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謎は謎のままに  作者: 村崎羯諦
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田中真由美のケース③

 終礼が終わり、クラスメイトが少しずつ教室から出ていく。俺はその流れに従うわけでもなく、そわそわと辺りを見渡しながら、いまだに自分の席に座っていた。部活に行かなくてもいいのかと茶化すように尋ねて来る知り合いをあしらいつつ、思い出したかのようにスマホを取り出したり、ちらりと廊下を往来する人間へと視線をやったりした。


「聡は……まだ帰ろうとしてないのかな」


 不安そうな声で俺はつぶやく。靴箱と町岡聡がいる教室との位置関係から、町岡聡が学校の外へ出ようとした場合、必ず自分がいる教室の横を通っていかなければならない。しかし、今のところ町岡聡が廊下を通り過ぎた様子はなかった。

 俺がまだ帰ろうとしていないことを悟ったのか、手持無沙汰にしていた二人のクラスメイトが陽気に声をかけてきた。どうやら、お喋りでもして放課後を過ごそうという魂胆らしい。俺もずっとそのまま一人で席に座っていても仕方がないとして、彼女らとの話に参加する。しかし、やはり完全に会話に集中することはできず、隙を見てはちらりと廊下へ視線をやり、町岡聡の姿を絶対に見逃さないよう心を配った。

 終礼が終わってから三十分経った後、突然自分の携帯がメッセージを受信したのか、ポケットの中でブルリと振動した。クラスメイトの話に相槌を打ちながら、スマホを手に取る。

 画面には田中真由美という名前が表示されていた。俺はその名前を見て、眉をひそめる。


「どうしたの沙希?」


 何か会話の話題になるのかもしれないと思ったのか、好奇心半分の調子ですぐそばにいたクラスメイトが声をかけてきた。なんでもないと落ち着いた口調で答えた後、スマホを操作して、田中真由美から受け取ったメッセージを確認してみた。そして、その全文を読んだその瞬間、俺はスマホを持ったまま固まってしまった。


「は? 何のつもりなの?」


 俺は敵意に満ちた声で小さくつぶやいたが、先ほど声をかけてきたクラスメイトはすでにその関心をもう一人のクラスメイトのゴシップに移しきっており、そのつぶやきに全く気が付かない。俺は会話に相槌を打つことさえ忘れ、再びメッセージを読み返す。

 田中真由美からのメッセージには次のようなことが書かれていた。『生物部を荒らした犯人はお前だ。今すぐに別館の屋上に来い』と。

 顔全体が怒りで火照り始めるのを感じた。俺は荒々しくスマホをポケットに戻し、自分の荷物をつかみながら椅子から立ち上がる。噂話に花を咲かせていた二人は突然の俺の行動にびくりと全身を震わせ、見開いた目で俺を見つめてきた。


「ど、どうしたの?」

「ごめん。ちょっと用事思い出したから帰るわ」


 俺はそれだけ言い残すと、何が何だかわからないでいる二人を置いて、教室から出ていった。廊下に出て一瞬だけ教室の扉の前で制止した後、俺は右に曲がり、二つ隣の教室のそばで立ち止まった。そして、中にいる人間から見られないようにこっそり教室の様子をうかがう。教室全体を見渡すと、その隅で一人の男子高生と楽し気に話している町岡聡の姿が見えた。俺はそれだけを確認するとほっと安どのため息をつき、別館に向かって廊下を引き返す。

 別館と本館を結ぶ渡り廊下を渡り、別館へと足を踏み入れる。別館は本館とは比べ物にならないくらいひっそりとしており、渡り廊下を渡るときも誰ともすれ違うことはなかった。俺はそのまま足を止めることなく階段を駆け上り、屋上へと向かう。階段を登り切り、階段室の扉を開けた時には、息が上がってさえいた。

 俺は周りを見渡し田中真由美の姿を探すが、屋上には誰一人としていない。そのまま周りを見渡しながら奥に進むと、後ろからぎぃと階段室の扉が開く音が聞こえた。俺がゆっくりと振り返るとそこにはこちらを鋭く睨み付ける田中真由美の姿があった。そして、その姿を見るやいなや忘れかけていた怒りが体中を覆いつくす。


「あんた……どういうつもりなの?」


 俺は必死に息を噛み殺しながらそれだけ言い放った。田中真由美はその迫力に一瞬たじろいだが、すぐに持ち直し、再び俺をきっと睨み付けた。張りつめた空気が二人の間に流れる。


「中川さんでしょ……生物部の部室を荒らしたのって」


 その言葉を受け取った俺はふっと視線を田中真由美からそらす。


「何言ってんの? 何があったかは知らないけど、言いがかりはよしてくんない」

「ふざけないで!」


 華奢な身体から発せられたとは到底思えないほど力強い声で田中真由美は叫んだ。


「私聞いてたんだよ! 中川さんが藤田君に昼休み、第二音楽室の前で部室を荒らしてって命令していたのを!」


 その告白に、俺は反射的に田中真由美の顔へ向き直った。


「そんな……馬鹿な」


 驚きのあまり、中川沙希としてではなく、田原坂マタタビとして小さくつぶやいてしまった。田中真由美は興奮した様子でさらに言葉を続ける。


「今日の昼休み、先生から頼まれて別館の資材置き室にいたんだ。そして、作業が終わって出ようとしたちょうどその時、中川さんと藤田君の会話が聞こえてきて……」


 町岡聡を演じていた時、田中真由美は平島によって演じられていた。そして演技の最中では、流れに逆らわない限り、俺たちは町岡聡や田中真由美が実際に行動した通りに行動することができる。しかし、その流れを断ち切り、自分の意志で動いた時はその通りではない。実際に取られるべき行動から外れ、代わりに演者が史実とは異なる流れを生み出すことが可能となる。

 そして、その時の昼休み。俺は田中真由美を演じる平島に対し、話し合いをするために流れを断つように言った。平島は俺の指示通り、本来ならば行っていた行動から外れ、俺と昼休みを過ごした。だからこそ、田中真由美がその昼休み、中川沙希と藤田正吾の会話を盗み聞きするというイベントを見過ごすことになってしまったのだ。


「中川さんは間違ってる……だから、加賀ちゃんの告白したことも含めて、みんなに謝って!」


 田中真由美が俺に向かってそう叫んだ。俺はハッと我に返り、まじまじと彼女の顔を見つめた。


「やだ……絶対に謝らない」


 少しだけためらうような口調で俺は答えた。俺の返答は予想外だったようで、田中真由美は驚きのあまり目を見開く。


「どうして?」

「嫌なものは嫌なの。特にあんたなんかに頭を下げるなんて絶対に」


 俺は軽く唇をかみしめながら言った。挑発的な俺の言葉に田中真由美は唖然とし、その後少しずつ顔全体が紅潮していく。そして小さなこぶしを握り締めながら、今まで押さえ続けてきた怒りを爆発させる。


「なんで謝らないの!? 謝ってよ今すぐ! なんでそんなわがままで、簡単に人を傷つけることができるの? なんで自分のわがままのために藤田君を脅すことができるの! 中学時代もそうだった! そっちはすぐに忘れてしまうのかもしれないけど、こっちは一時も忘れたこともないんだよ!」


 いきり立つ田中真由美に怖気づくことなく、俺はきっと相手を鋭くにらみつける。


「何よ、そんな私が藤田を脅したのが気に食わなかったわけ? ああ、そっか。藤田はあんたにとって王子様だもんね」


 俺は悪意に満ちた声で田中真由美に言い放った。すると、田中はそれまでの興奮が嘘のようにピタリと身体の動きを止め、冷たい目でこちらを見つめた。俺はその反応が楽しくてしょうがないと思っているかのようにさげすむような笑い声を浴びせる。


「優しい優しい藤田君はあんたの王子様で、恩人だもんね。中学時代にさ、あんたが私たちに良いようにパシらされていたのを止めてくれたんだもん。ま、その代わりにあんたに代わって藤田が色々難癖付けられるようになったんだけど」

「……やめて」

「やめない」


 田中真由美のつぶやきをかき消すようにぴしゃりと言い放つ。


「その時、あんたは何してたっけ? 藤田が自分の代わりにいじめられるようになっても、あんたは藤田をちっとも助けようとしなかったよね? いや、むしろ標的が移って安心したんじゃない?」

「もうやめて……それ以上、続けたら……私、何するかわかんない」

「だったら、何かすれば!!」


 俺は理不尽な、行き場のない怒りを田中真由美にぶつける。興奮のためなのか、顔全体が熱を帯び、身体にはうっすらと汗がにじんできている。両方のこぶしは強く握りしめられ、掌に伸びた爪の先が刺さって痛い。


「あんたのそういうずるいとこがほんっとうに大っ嫌い! そんなに藤田を助けたかったなら、昼休みの時にこそこそ隠れてないで出てきたらよかったじゃん! それでも駄目なら、藤田が別館に行く前に止めてやればよかったじゃん! なんでそうしなかったの? 本気で私と藤田を止めたかったら簡単に止めることができたはずなのに」

「そ、それは……」

「チャンスだと思ったんでしょ、私をここにおびき寄せて謝罪させるための!」


 田中真由美の顔がさあっと青ざめる。俺はさらに気持ちを高ぶらせながら、さらにまくしたてた。


「さっき中学時代にやられたことを忘れたことはないって言ったよね? 結局、あんたはその仕返しがしたかっただけなんじゃない? 私と藤田の話を聞いてた時はさぞかし嬉しかったんでしょうね! 私の弱みに付け込んで、あの日の屈辱を晴らそうと考えた! そのためには加賀って子が告白できなくなってもいいし、藤田も私の言いなりになって部室荒らしをすることになってもいい。あんたも結局私と一緒じゃん!」

「うるさい!!」


 今までとは段違いに甲高い声に俺は口の動きを止めた。田中真由美は顔を震わせながら、敵意に満ちた目で俺をにらみつけている。そして、おもむろに自分の懐に手を突っ込み、何かを取り出した。田中真由美の右手に握られていたのは大ぶりの、先端が鋭く尖ったガラスの破片だった。

 生物部の部室に散乱した、ガラスケースの残骸。その光景がふと頭の中によぎった。


「ふざけないで……絶対に許さない」

「何? それで私を刺すつもりなの?」


 俺は馬鹿にするような声で言った。しかし、その余裕のある口調とは裏腹に、凄みを利かせた田中真由美の雰囲気に気圧されたのか、右足を反射的に後ろへ下げる。

 田中真由美は怒りで我が忘れてたみたいにただ鬼の形相でこちらを睨み付けるだけで動こうとしない。ふとガラスを握った田中の右手に目を向けると、ガラスは先端だけでなく全体が尖っていたからか、じんわりと赤い血がにじみ出してきていた。そしてその血はガラスの破片へと移り、その先端からポタリとコンクリートの地面に落ちる。落下地点に赤い染みができているのが遠目からでも見えた。俺はその血の染みを見て、さらに後ずさりをする。


「来ないで」


 俺は自分がびびっていることを見抜かれない様子にするためか、命令口調でそうつぶやいた。しかし田中真由美は俺の言葉など耳に届いていない様子で、ただこちらを恨めし気に睨み付けるだけだった。

 田中真由美が一歩分前に進んだ。俺もそれに歩みに合わせるように一歩だけ後退し、距離を保つ。


「謝って……」


 かすれるような声が聞こえてくる。田中真由美は凶器で脅しつけてでも、いや、どこかを傷つけてでも俺から謝罪を引き出したいのだろう。しかし、俺は恐怖で身体を震わせながらも、歯を痛いほどに強くかみしめながら必死に対峙する。俺はできる限りの大声で助けを求めた。しかし、人が少ない別館においてこの叫びが誰かに届く望みは薄い。

 田中真由美はさらに歩を進める。俺は足を後ろに動かしながら、気高いプライドを捨てることなく、田中真由美に対し高圧的な態度を取り続ける。


「そんな脅しになんか絶対に屈しない。絶対に謝らないから」


 しかし、ついに俺の足が屋上端のパラペットにぶつかった。俺はそのことが信じられないと言わんばかりに一瞬後ろを振り返った後、そのまますぐに迫りくる田中真由美の方へ振り返った。彼女はなおを出血した右手でガラス片を握り締めており、その光景が一層おぞましさを引き立てていた。

 


「ふざけないで……あんたに謝るつもりもないし、刺されるつもりもないから」


 なおも強い口調で言い放つが、その声は先ほどに比べてどこか震えていた。加えて、顔全体に気持ちの悪い汗が噴き出してきた。俺は事態を打開する何かを探すかのように、辺りを必死に見まわし始める。

 そして、俺が何気なく屋上の下に目を向けた時、そこにあったあるものに視線がくぎ付けになった。俺はへりに手を置き、それを慌てて確認する。

 視線の先にあったのは、一本の鉄パイプだった。そのパイプは屋上から一メートルも離れていない大木の太い幹に引っかかっていた。さらにそれは地面に向かって偶然にも平行に、そして二つの太い幹の枝分かれの箇所にうまい具合に挟まる形で引っかかっていた。そして、俺が今立っている位置のちょうど真下、この別館の二階より少し上くらいの高さにあり、どんなに控えめに見積もっても、女子高校生のジャンプ距離の射程内に収まっている。

 俺は後ろを振り返り、田中真由美の姿をもう一度確認する。彼女の敵意は衰える気配を見せず、むしろ増幅しているようにも見えた。俺は田中真由美に向き直ったまま、後ろの鉄パイプへちらりと視線をやり、その後再び田中真由美の顔を見て、少しだけ微笑む。


「じゃあね、おバカさん」


 俺はくるりと身体を後ろへ向け、屋上のへりに右足を乗せた。そして、その状態のまま俺は身体を前かがみに傾ける。

 不自然な落下位置。折れた木の枝。裏庭に転がっていた鉄パイプ。濱方マネージャーが見た、自分から身を投げ出す光景。そして、屋上に点々と存在した血の跡。


「……そういうことだったのか」


 俺は右手でへりをつかみ、前へ放り出されようとする身体を押しとどめながら、そうつぶやいた。

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