田中真由美のケース
湯浅が事務所を立ち去る際、俺は彼女に対し一枚の手紙を渡した。湯浅が不思議そうにこの手紙について尋ねてきたので、俺はそれを湯浅真紀が知っているある人物に渡してほしいと告げた。湯浅はその人物の名前を聞き、余計に眉をひそめたが、それ以上理由を聞くことなく承諾してくれた。
扉が閉まり、湯浅が事務所からいなくなるとすぐに後ろから俺たちの様子をうかがっていた平島が怒ったような表情で俺に問い詰めてきた。
「もしかして……女子高生相手に電話番号を渡したんじゃないですよね」
俺は慌ててそれを否定し、先ほどと同じ説明を平島に繰り返した。平島はとりあえず納得した様子だったが、すぐに機嫌を直してしまうのも癪に感じるのか、少しだけとげとげしい口調で言った。
「なんでわざわざそんなことするんです? 新手の営業ってわけでもなさそうですし」
「単なる好奇心だよ。中川沙希が自殺した事件についてのな。まあ、手紙を出したところで、相手がきてくれるとは限らないけどな」
平島はふーんと自分は興味などないと言うかのように相槌を打ちながら、テーブルの上に置きっぱなしになっていた湯呑を台所へと運んでいった。
湯浅真紀の依頼からちょうど一週間後。手紙を宛てた人物が事務所に訪れたのは、おそらくここに来るつもりはないのだろうと諦めかけていた時だった。
遠慮がちに事務所の扉を叩き、平島によって中へ通されたその人物に俺は警戒心を与えないよう、軽く微笑みながら挨拶をする。
「よく来てくれましたね、田中真由美さん」
田中もおずおずと俺に頭を下げ、促されるままに事務所中央のソファへ腰かけた。田中真由美は加賀なつみや湯浅真紀と同じ紺色の学生服を着ており、緊張しているのかそわそわと手をもみくだしながら、事務所内をきょろきょろと見まわしていた。平島がお茶を田中真由美の目の前に置くのを待ってから、俺は彼女に話しかけた。
「手紙を見てここに来てくれたってことは……やっぱりあの日の事件のことで思い悩んでいることがあるんですね」
不意に話しかけられた田中真由美は一瞬身体を強張らせ、はいと消え入るような声で返事をした。置いてけぼりを食らっている平島が一体どういう意味なのかと後ろからささやいてきたが、それを適当にあしらいながら俺はただ田中真由美の言葉を待った。
「あの日のこと……怖くてずっと誰にも言えなかったんです。最近ようやく忘れることができたかなって思い始めてきたのに、湯浅さんがその事件をまだ少し引きづっているってのを加賀ちゃんから聞いて……またその時の嫌な記憶がよみがえるようになったんです」
田中真由美の告白に俺たちはじっと耳を傾ける。彼女は下を向いたままとぎれとぎれに言葉を紡ぎ、心なしか両ひざに置いた手が震えているように思えた。俺は十分に間を空けた後、優しくゆっくりとした口調で尋ねた。
「ここの事務所でできることについては湯浅さんから聞いてる?」
「湯浅さんからは聞いてないけど……加賀ちゃんからは聞ききました」
田中真由美は顔を上げないまま答えた。
「術によってこちらが知りえた情報は、そちらが望む限り絶対に外部へは漏らさないし、ましてや警察とか君の友達に告げることだってしない。それを踏まえたうえで、田中さんがどうしたいと思っているのかを聞きたい」
彼女はゆっくりと顔を上げ、俺の目をじっと見つめてきた。それはまるで、俺が本当のことを言っているのか確かめるかのようだった。気まずい沈黙が部屋を支配したのち、田中真由美の目に一瞬だけ強い光がともった。
「お願いします。もう一度だけあの日の出来事に向き合ってみたいんです」
小さな声ではあったが、それにはどこか力強さが宿っているように思えた。俺は田中真由美の返答を了解し、懐から仕事道具である鈴を取り出そうとする。後ろに立っていた平島がちょんちょんと俺の背中をつつき、自分も同行すべきかと尋ねてきたが、今回は俺一人で十分だと告げた。
平島がソファから離れたのを確認してから、鈴を田中真由美と俺のちょうど間につりさげた。
「いいですか、つらいとは思いますけど、田中さんがやり直したいと願う出来事を思い浮かべて。十分にその日のイメージが頭の中に出来上がったら首を縦に振って合図してください」
田中真由美は目をつぶる。そして少しだけ間が開いた後、彼女は少しだけ眉をひそめ、ゆっくりと首を縦に振った。俺は小さく深呼吸をし、右手に持った鈴を慎重に、そして優しく揺らした。事務所内に澄んだ、鈴の音が響き渡る。
チリン、チリ―ン
俺はゆっくりと目を開ける。意識が完全に角栄すると同時に俺は、自分が今高校の廊下を歩いていることに気が付いた。俺の前方には二人の女子高生が楽しそうに談笑しながら歩いていた。時折同意を求めるようにこちらへ視線を送っていることから、彼女らが自分の連れであるということがわかる。俺は流れに身を任せ、その会話に加わった。
俺と彼女たちは会話をしながら、そのまま女子トイレに入っていく。しかし、中は一つを除き、誰かに入られていたので、一番前にいた少女に俺ともう一人が沙希に入りなよと促し、その女の子も促されるまま唯一空いている個室へ入った。残された俺はもう一人とどうでもいい話の続きをしながら、洗面台上の鏡で自分の顔を注意深くチェックした。それと同時に、鏡には自分が今演じている人間の顔が映る。俺は目の前に映った人間の顔を認識しながら、動揺を押さえつつ、そのまま流れに身を任せ続けた。
個室トイレからちょうど二人が出てきて、俺ともう一人の女の子は彼女らに道を空けつつ、それぞれk室へと入っていこうとした。その時、俺は一瞬だけ流れに逆らい、再び鏡に視線をやった。
「なるほどな……」
俺は周りの人間に聞き取られないような音量でそうつぶやき、個室へと入っていく。 鏡に映った見覚えのある人間の顔。それは、間違いなく中川沙希の顔だった。




