湯浅真紀のケース⑭
「部室を荒らしたって……どういうこと?」
明らかに当惑する神谷に平島が説明を加える。
「えっと、中川さんの事件と同じ日に、生物部の部室が誰かにめちゃくちゃにされたっていう事件があったんです」
「初耳だぞ。そんな大事件なのになんで話題にならなかったんだ?」
「そ、それは……」
平島は神谷の指摘に言葉を詰まらせる。今、平島は加賀なつみを演じきっているわけではないし、そこらへんの事情を知っているはずがない。しかし、そのまま適当に嘘でもつくのだろうと思っていると、見かねた田中真由美が平島に代わって説明を引き継いだ。
「確かに一大事だったけど、やっぱり中川さんの自殺の方がインパクトがあって……。一応警察や学校の先生には報告してあるけど、生物部自体がそれほど目立った部活じゃないからか、それほど話題にはならなかったの」
神谷は田中真由美の説明に納得したようにうなづいた。平島はほっと胸を撫で下ろし、安堵のため息をついた。俺は複雑な表情を浮かべたまま藤田の横に立っている田中に向かい、「犯人はまだわかっていないんだよな」と確認を取る。田中が小さな声でまだわかっていないとつぶやいた。
「藤田、お前がやったんだろ? お前はそのためだけに別館に行って、それが済めばすぐにサッカー部の練習に何食わぬ顔で加わろうとしていた」
「でも、それだとどうしてその後部活の練習に行けなかったんだ?」
俺は藤田の真っ青な顔を見ながら、神谷の問いに答えた。
「別館を出るに出られなかったんだ。思っていた以上に早く、生物部の部員が部室にやってきたからな。そうだろ、田中?」
俺の突然の問いに田中真由美がびくっと肩を震わせる。
恐らく藤田は部室を荒らすとすぐに別館を離れるつもりでいたのだろう。しかし、あの日、田中真由美は終礼が終わると真っ先に別館へ向かい、荒らされた部室を発見してしまった。放課後、生物部を除いて別館に行く人間はほとんどいない。藤田がその時間帯に別館にしたということが判明すれば、藤田が部室荒らしの犯人だと疑われるのは日を見るより明らかだ。そして、都合の悪いことに別館と本館をつなぐ渡り廊下は一つ。つまり、そこで誰かとすれ違うだけでもアウトなのだ。
だからこそ、藤田は向かいの校舎から別館へと走ってやってくる田中真由美を見て、焦りに焦った。そして、反射的に別館へ引き返し、生物部のある一階から逃げるようにして二階へと登った。
「確かに真由美ちゃんはその日、私をおいて真っ先に部室へと向かってました」
「そういえば、いつもは少しだけ時間をつぶした後で二人一緒に部室に行ってるもんね」
平島のつぶやきに、今まで黙っていた湯浅真紀が捕捉を加える。
「そして田中真由美がをやり過ごしたとしても、その後すぐに加賀や他の部員が渡り廊下を渡って別館へやってくる。可能性は小さいとしても、そこで誰かと出くわすのは怖い。そういう心理から、藤田はしばらくの間、誰も来るはずのない二階に潜伏していようと考えたのかもしれない。そしてそう考れば、俺の友達が藤田を見た時間から、湯浅と藤田が出会うまでの時間まで、長い空白の時間が存在するということを説明できる」
俺は何か言いたそうにしている藤田の顔を見つめる。俺が黙って藤田が落ち着くのを待っていると、藤田に変わり、田中真由美が遠慮がちに俺たちに向かって尋ねてきた。
「でも……藤田君がそれをやったっていう証拠はないよね」
田中の言葉に藤田は必死に首を縦に振る。俺の後ろにいた平島や湯浅、そして神谷も小さな声で田中の発言に同意をしめした。神谷は俺を、証拠があるのかと尋ねかけてくるような目で見つめてくる。
俺は「今のところ」という前置きをつけたうえで、証拠はないときっぱりと言いのけ。その一瞬、藤田は今までにないほど明るい表情を浮かべた。
「しかし、だ。一応、調査次第で証拠になりえると考えられるものはある」
俺はそこで一旦間を空け、言葉を続けた。
「部室を荒らした凶器に藤田の指紋が出てくるかもしれない」
「きょ、凶器?」
口をそろえてその言葉を発した神谷と湯浅に対し、後ろにいた平島が一人、興奮を抑えきれない様子で俺の言っているの意味を理解した。
「て、鉄パイプですね? 別館の裏庭に落ちていた!」
鉄パイプ。平島から発せられたその言葉に俺はゆっくりとうなづく。
「裏庭の、中川さんの死体が落ちていた場所の近くに先端が軽くへこんだ鉄パイプが投げ捨てられてたんですよ! きっとそれは犯人が部室を荒らしたときに使った武器なんです!」
「ま、待てよ。なんで先っぽがへこんでいるだけでそれが部室荒らしに使われたモノだって断定できるんだよ? あと、なんかお前ってそんな話し方だったっけ?」
神谷の冷静な突っ込みに平島は慌てて加賀なつみの口調へと戻る。
「ごめん。ちょっと興奮しちゃってて……。で、でも、その鉄パイプが部室荒らしに使われたかどうかの確認はできるよ。だって、そのへこんだ先には血のようなものが付いてたんだもん」
「血? それが一体何の関係が……?」
「加賀が言ってるのは人間の血のことじゃない。部室に並べてあったガラスケース。そいつを壊す際に、一緒に叩き潰いしてしまった魚の血のことを言ってるんだ。つまり、その血のようなものが生物部で死んでいた魚の血と一致すれば、部室荒らしに使われたモノだっていうことが断定できる」
俺と平島が、町岡聡と田中真由美を演じている時に見た光景。部室の窓台の上に無残にも平らに叩き潰され、周りにうっすらと赤い液体をにじみ出していた魚の死骸。鉄パイプの先についていたのは中川沙希の血なんかではなく、その魚の血液なのだ。
屋上の血痕に引きづられたとはいえ、そもそもあの赤い染みが中川沙希のものだと考えること自体に無理がある。鉄パイプは鈍器であり、ナイフのような刃物とは全く違う性質の凶器だ。刃物ならば先端がかすった程度で相手を出血させ、さらにその血が凶器に付着しているということもありえるだろう。しかし、鈍器の場合、まず相手を出血させてしまうほどの打撃を与えてしまえば、その一撃だけで致命傷を負い、決して逃げ回ることができない。仮に逃げまわるだけの余力が残されていたとしても、その相手方の血が凶器である鉄パイプに付着することは考えにくい。打撃から出血まではタイムラグが存在する以上、同じ場所を殴打しなければ血液がつくことがないのだから。




