湯浅真紀のケース⑫
藤田は目を見開き、俺の言っていることが信じられないと言ったような表情で見返してきた。
「そんな……あの時は誰もいなかったはずなのに」
藤田はかすれるような声でそうつぶやく。
藤田がそう思うのも無理はなかった。俺が告げた、藤田を見た人間と言うのは実際にはいない。藤田を見た人間というのは、本来ならば全く違った行動を取っていたはずの町岡聡だからだ。俺が実際の町岡聡がとる行動の流れに逆らい、終礼が終わってからちょっと経ってから別館の二階に行ったからこそ、藤田正吾と遭遇することはできた。虚構の世界とは言え、俺や平島以外の人間は俺たちがむやみやたらに因果律をいじらない限り、その当時の行動を再現する。つまり、藤田正吾は現実においても、あの日あの時、別館にいたということなのだ。
「説明してよ。あの日、あんたが別館で一体何をしてたのか。なんで私たちにそんな嘘をついてたのかをさ」
湯浅真紀は藤田の口から零れ落ちた決定的な言葉を見逃さなかった。ここまで追い詰められてもなお、藤田は何も言えずにただ身体を小刻みに動かすだけで、湯浅が納得すような答えを言う様子は全く感じられない。
「あんたが沙希を殺したんでしょ。屋上の隅に追い込んで、そこから突き落として殺した」
「な、なんで俺がそんなことを……」
「動機はあんたの方がよくわかってんじゃないの?」
藤田はその言葉に何も言い返さない。一見、かなりの論理的飛躍がある湯浅の言葉も、藤田の沈黙によって信憑性があるように感じられてしまう。
「殺してなんかないし……その日もまさか中川が死んだなんて思いもしなかった。それだけは本当なんだよ」
「じゃあ、その日何をしてたのか答えろよ! 人殺し!」
藤田の煮え切らない態度に、ついに湯浅真紀の怒りが爆発した。湯浅は悔しさのあまり、目にうっすらと涙を浮かべながら、平島を振り払い、藤田につかみかかろうとした。俺は慌てて二人の間に割り込み、湯浅を制止したが、藤田はあとずさりをしようとして机の脚に引っかかってしまったのか、そのまま盛大な音とともに地面に尻餅をついた。
「お、落ち着いてよ真紀ちゃん!」
平島が再び湯浅の腕を取ると、湯浅は平島の方を唇をかみしめながらじっと見つめ、そのまま平島の肩に顔をうずめた。そこから押し殺すような嗚咽がかすかに聞こえてくる。
藤田の方へは、近くに座っていた田中真由美が慌てて駆け寄り、「大丈夫?」と心配そうに声をかけた。田中は右手を藤田に差し伸べたが、その右手が包帯で巻かれていることを思い出したのか、さっとその手をひっこめ、代わりに左手を差し出し、藤田を起き上がらせた。
「藤田、お前いい加減にしろ! このままだと、本当に人殺しだと思われちまうぞ!」
俺は勢いに任せ、藤田を怒鳴りつける。すぐそばにいた平島は小さな声でえっとつぶやいた。
「それってどういう意味なんですか、マタ……畑君」
その時、不意に教室の扉が音を立てて開いた。俺が振り向くと、そこには先に部活へ行ったはずの神谷が立っており、俺と藤田を見るなり、怒りの表情で教室に乗り込んできた。
「すぐに戻るって言っときながら……なんだよこの状況は」
「藤田が中川沙希を殺したんじゃないかって、湯浅に問い詰められてる」
神谷は俺の説明を聞くなり、平島の肩から顔を離し、突然の乱入者を忌々し気に見つめる湯浅に喋りかけた。
「おい、湯浅! 言いがかりもほどほどにしろよ。中川は自殺だって、とっくに片がついてんじゃねえか」
「で、でも……あの沙希が自殺なんてするはずないし……それに藤田のその日の行動だって怪しくて、しかも、沙希を殺す動機だってあるんだよ……」
湯浅真紀の目は真っ赤にはれていた。たとえその言葉が感情に振り回された戯言だとしても、その目だけは何か心に強く訴えかけるような迫力があった。湯浅の同情を誘う瞳に虚をつかれたのか、神谷も先ほどまでの勢いを失い、申し訳なさげに頭を右手でかきむしった。
「お前の気持ちもわかるよ、湯浅。お前ら仲良かったもんな。でもさ、中川は本当に自殺だったんだよ」
神谷の言葉に平島が反応する。
「何の根拠があってそんなこと……」
神谷は少しだけ黙り込んだ後、決心がついたのか、表情を引き締めながら俺たちにゆっくりと話し始めた。
「うちのマネージャーにさ、濱方詩織っているだろ?」
「ああ」
もちろん見たこともない人間だが、俺は知っている体で相槌をうった。
「本当は口止めされてるんだけど……その濱方が見たんだってさ、中川が自分から飛び降りる瞬間を」
「じ、自分から?」




