湯浅真紀のケース④
俺は気が抜けたように大きく息を吐き、そのままはしたなく首をソファにもたれかからせた。全く意味がつかめていない平島が小声で俺に問いかけてくる。
「あいつだ。俺が第二音楽室に行く途中に出会った男。ユニフォームの前にローマ字で大きく藤田と書かれていた」
平島は驚きの声をあげ、目の前に座っていた湯浅真紀がびくっと肩を震わせた。
「なんで。なんで、お二人が藤田を知ってるんですか? 加賀ちゃんから聞いたってわけでもないですよね。あの子、藤田のことなんてあんま詳しくは知らないだろうし」
「いや、ちょっとそれについては守秘義務で言えないんだ。でも、とりあえずは湯浅さんの話をもう少し真面目に聞こうと思う」
まるで今まで半信半疑で聞いていたかのような物言いだったが、湯浅はそれに気が付かず、嬉しそうに首を縦に振った。
藤田正吾。俺が第二音楽室へ向かう途中、階段を登ってすぐに運悪く鉢合わせしてしまった男。時間は終礼後まもなく。もちろん実際に藤田があの時間に町岡聡と出会ったわけではないのだが、少なくとも、藤田がその時間に別館の二階にいたという事実は動かない。そして、湯浅真紀が放課後の遅い時間に別館から出てくる藤田と出会ったと言う事実と重ね合わせると、藤田はその間ずっと別館にいたということが言える。
「で、でも、一体その時間何をしてたんでしょう。一階本館に戻って、もう一度忘れ物か何かで別館へ行ったとも考えられますけど」
「うーん、こればっかしはいくら考えてもわからんだろ。やっぱり術を使って確かめるしかないな」
今までにない俺の肯定的な発言に湯浅真紀は表情を明るくする。
「術ってあれですよね。加賀ちゃんが言ってた、過去を再現できるってやつ。それをずっと待ってたんですよ。それで早く沙希の自殺についての真相を確かめましょうよ!」
「ちょ、ちょっと待ってください。それには少しだけ条件が必要なんです」
俺の制止にもかかわらず湯浅真紀はなおも興奮した様子で言葉をまくしたようとする。俺はとりあえず話を聞いてくださいとなだめ、彼女が落ち着くまで待った。
「この術を使うにはですね、対象者、まあ、つまり湯浅さんにとって何か後悔しているイベントが必要なんです。それも最初に行ったように具体的なイベントじゃなきゃダメ。それも、中川沙希の自殺の真相を知りたいのであるなら、それに関係するような事件なりイベントなりじゃないと。何か心当たりはあります?」
俺の質問に湯浅真紀は目をつぶって考え込む。その状態のまましばらく経った後でようやく、おもむろに口を開いた。
「そういえばなんですけど……。沙希が自殺してから一か月後くらいに、放課後の空いた時間に藤田正吾と偶然話す機会があったんです。で、その時に私、藤田に面と向かって別館で何をしてたんだと問い詰めたんです」
淡々と話す湯浅を見つめながら、俺は話の続きを聞く。
「藤田は明らかに動揺してたけど、結局最後まで押しきれなくって……。周りの人間に止められたってのもあるけど、その時は私も考えをまとめ切れてなくって、絶対の確信があったってわけでもなかったし。もし、あの時もっと厳しく追及したら藤田も本当のことを喋ったのかもしれない。……こんな、出来事じゃ駄目ですかね」
「いや、これ以上ないほどにできたシチュエーションですよ」
俺はゆっくりと懐から鈴を取り出し、俺と湯浅真紀の間にぶらさげた。俺は湯浅真紀にその出来事の日時を簡単に聞いた後、平島に準備はいいかと確認した。平島がうなづくのを確認してから、俺は湯浅真紀に語り掛けた。
「いいですか、頭の中にその時の光景を思い浮かべてください。湯浅さんが後悔していることと一緒にですよ。……準備はいいですね?」
湯浅真紀は返事の代わりにぎゅっと目をつぶった。俺は小さく深呼吸をし、ゆっくりと右手に持った鈴を小さく揺らす。
チリン、チリ―ン




