湯浅真紀のケース③
殺された。突然出てきた穏やかではない言葉に俺と平島は一瞬言葉を失った。平島は「冗談ですよね」とぎこちない笑顔を浮かべて聞き返したが、湯浅真紀はきっぱりとした口調でそれを否定する。決して、この瞬間に思いついた考えではないようだ。
「で、でもですよ。一体どんな根拠があってそんなことを言うんですか?」
平島は身を乗り出しながら、湯浅真紀を問い詰める。俺は興奮する平島をなだめながら湯浅真紀に質問した。
「別に適当に言ってるわけじゃないんですよね、湯浅さん。となると、考えられるのは一つだ。中川沙希を殺した人物、あるいは殺しうる人物に心当たりがあるということなんでしょう」
湯浅はおずおずと首を縦に振る。
俺は肩をすぼめながら、小さいため息をつく。そのまま俺は、どうやら面倒なことに関わってしまったな、と独り言のようにつぶやきながら、心当たりのある人物について尋ねてみた。
「もちろん私が犯行を直接見たってわけじゃないんです。ただ、そいつは沙希に個人的な恨みがあって……」
「個人的な恨みとは?」
俺は身を乗り出す。
「いじめです。そいつは沙希と同じ中学で、その中学時代に沙希を中心とするグループから、ある出来事をきっかけにいじめられてたんです。中学三年の春から、卒業までずっと……。高校にあがってからは、そのいじめもなくなったんですけど、そんなんで忘れられるほど生半可ないじめではなかったということも確かなんです」
俺は湯浅真紀の言葉を聞きながら、眉をひそめた。中川沙希が中学時代、いじめに加担していたという事実に驚いたわけでもない。いじめが殺しの動機となりうるということも理解できる。しかし、問題はそこではなかった。
「でも、なんでも一年前のあの日に? もちろんタイミングの問題とかもあるんだろうけど、なんでよりによっていじめがすでに終わって時間が経ってから殺したんだ。どうせ殺すなら、中学時代に殺すだろうし……。それだけ、湯浅さんが言う人物が執念深い性格をしているということなのかな」
「見た感じはそんなんじゃないんです。なんというか、普段からおとなしくて、よく言えば優しい、悪く言えばなよなよしている人間かな」
「でも、なんでそんな人間が殺人なんか……」
「ほら、よくテレビであるじゃないですか。そういう一見大人しい人間ほど、不満とかをため込んでて、切れたら危ないやつだって。だから、正直そいつが実際に沙希を殺したいってずっと思っていたとしても、私は驚かないんですよね」
湯浅真紀は少しだけ語気を強めながら言った。俺がいちいち揚げ足を取っているからか、少しだけむきになっているのかもしれない。そいつを見たこともない人間にそこまで否定される筋合いはないと考えているのかもしれない。
「それにですね。そいつが殺したって私が思うのにはもう一つだけ理由があるんですよ」
「もう一つの理由?」
「私、あの日見たんです!」
湯浅真紀は半ば興奮気味に、顔を若干赤らめながら言葉を続けた。
「あの日の放課後、ちょうど部活が終わって、帰ろうとしていた時ですかね。校門への近道のために、本館と別館をつなぐ渡り廊下を土足で横断しようとしていた時、ちょうどそいつが別館側の入り口から出てきたんです!」
「別館から出てきた?」
うろたえる俺に対し、平島はそれがどうしたのかと首を傾げながら俺たちに問いかけた。湯浅は平島に顔を向け、早口で説明を加える。
「さっきちょろって言ったように、別館は授業中を除いて滅多に人が入らないんです。放課後、別館にいるとすれば生物部関係の人たちか、資材置き場に用事がある事務の職員くらいなんです。あそこは正直、すぐ横に雑木林があって薄暗く、不気味だし、一応音楽室はあるけど、吹奏楽部はそこで練習なんかしない。つまり、何か特別な用がない限り、大抵の生徒は放課後別館に近寄らないわけです」
「じゃ、じゃあ、その人も事務職員の人にお願いされて資材置き場に行ってたんじゃあ……」
しかし、平島の言葉に対し湯浅真紀は、その質問を待ってましたと言わんばかりの表情で反論を加えた。
「私が遭遇した時、そいつは部活のユニフォームを着ていて、しかも手ぶらでした。ちなみになんですけどね、そいつはサッカー部に所属してるんです。サッカー部はまだその時練習をしてたし、わざわざ放課後の、それも遅い時間に生徒を一人手伝いに行かせることなんてしませんよ。そして何より決定的なのは、そいつが渡り廊下で私を見た瞬間、一気に青ざめたような顔をして、逃げるように本館の方へ走って行ったんです!」
「そ、それは確かに怪しいかも……」
平島の返事に湯浅真紀はどうだと言わんばかりの得意げな表情を浮かべた。しかし、俺はそんな態度を気にかけることなく、湯浅真紀に勢いよく問い返した。
「さっきサッカー部のユニフォームって言いましたよね!?」
「は、はい。それが何か?」
湯浅は自分の思い描いていたものとは違う反応に気を悪くしたのか、むっと顔をしかめて俺に答えた。俺は少しだけ間を置いた後、恐る恐る言葉を切りだす。
「もしかしたらなんですけど……湯浅さんが言ってる容疑者の苗字って、藤田じゃないですよね?」
湯浅真紀は漫画みたいにあんぐりと口を開け、俺の顔を見つめた。そして困惑する俺たちが黙り込む中、絞り出すような声で彼女は答えた。
「はい。そうなんです。私が怪しいと思ってるやつは、まさにその藤田正吾ってやつなんですよ」




