加賀なつみのケース
「お客様ですよ、マタタビくん!」
ドアが勢いよく開かれ、平島ほのかの快活な声が事務所にこだました。俺は重い腰をあげ、平島が立つ玄関へと歩いて行く。平島の隣に立ちすくむ客人は緊張しているのか俺と目を合わせずにただうつむいていた。俺は事務所の中に入るように促し、そのまま部屋の中央にある客人用のソファへと案内した。客人は座るか座らないか一瞬だけ迷った後、ぺこりと頭を下げ、おどおどとソファに腰かけた。
俺は客人の真向かい、机を挟んで向かい合う位置に置かれた一人分のソファに座る。
「予約されていた加賀なつみさんですね?」
客人はおどおどと顔をあげ、小さくうなづいた。加賀なつみは高校のブレザーを身につけていて、ちょうど学校帰りにここへ寄ったことが見て取れる。彼女は女子高校生にしては少しばかりあどけなさを残していて、顔は丸みを帯び、不安そうに俺を見つめる瞳は栗色をしていた。髪型はどちらかといえば子供っぽいショートヘアで、前髪を二本の空色をしたヘアピンで留めている。また両頬にはうっすらとしたそばかすがあり、それが彼女の純朴な雰囲気を一層引き立たせていた。
しばらくしてから平島が目の前の机に二人分のお茶を出した。俺はそれを見届けた後、改めて客人に話しかける。
「で、今日はどういった用件で?」
俺がそう言うと、加賀はどこか自信なさげな調子で話し始める。
「えっと……。知り合いから噂を聞いてやってきたんですけど、ここは田原坂事務所で間違いないですよね?」
俺はこくりと首を縦に振る。
「それで、失礼を承知でおたずねするんですけど……あなたが田原坂さんなんですか?」
「……やっぱりそうは見えないですか?」
「い、いえ! 別に変な意味で聞いたんじゃなくて、ただこうやって事務所を構えているにしては若い方たちだなぁって……それに助手さんも私とあんまり年が変わらないように見えますし」
慌てて弁解する加賀なつみに対し、俺は気にしなくていいと言いながら顔をほころばせる。すぐそばで会話を聞いていた平島もよく言われることですからと笑い、左ひじで俺の肩をつついた。
「聞きました、マタタビくん? 私女子高生とあんまり年が離れていないように見えるんですって! ちょっと待っててくださいね、加賀さん。今、ちょっとだけお高いお菓子を持ってきますから」
平島は小さな鼻歌を歌いながら事務所奥のキッチンへと歩いて行った。その足取りは軽く、これ以上ないほど上機嫌であることが痛いほど伝わってくる。
俺は客人に向き直り、軽い自己紹介をしたのちに改めて要件を尋ねた。加賀なつみは少しだけためらった後、自信なさげな声で話し始めた。
「面と向かってこういうのもなんなんですけど、正直知り合いから聞いた話も半信半疑なんです。でも、その人が言うには、なんかここで過去のやり直しを体験できるって……」
俺は目の前のお茶を手に取り、それを一口だけ飲んだ。口の中に緑茶の青々しい香りが広がる。
「過去のやり直しっていうのは少し、ニュアンスが違いますね。まあ、当たらずも遠からずって感じだけど。まあ、ごく簡単に説明するとですね、未練とか後悔がある昔の出来事を、よくわからない不思議な力で再現することができるんです」
「はあ……再現ですか」
加賀なつみは疑わし気な目で俺を見つめてくる。
確かに今の説明で完璧に理解することはできないだろう。事実、この説明をするたび、毎回毎回客人は同じような顔をする。それだけ俺たちが使うこの術式はオカルト的で、変に複雑な代物なのだ。
「再現っていうのはわかりづらいかな。そうだな……加賀さんの過去を舞台とした映画に出ることができると考えてみてください。その映画は実際に存在した事実のまま進行していき、その中で加賀さんが自分が映画に出てるってことを認識しないまま、自分の役を演じるんです。そして、その映画の中で加賀さんがやり直したいと思っている出来事に再び直面し、そして加賀さん次第で、現実とは違ったその先の展開を見ることができるって感じですね」
俺はいつものようにぺらぺらとまくしたてるが、加賀なつみは俺の説明を聞きながらぽかんとした表情を浮かべるだけだった。いつも間にかお菓子を手に取ってこちらへ戻ってきていた平島が俺の肩をつつき、「説明が難しすぎます」と耳元で囁いた。
俺はコホンと咳ばらいをし、話を切り替えることにする。
「まあ、こればっかりは実際にやってみないとわからないからな。とりあえず本題に入りましょう。冷やかし目的じゃないのなら、加賀さんも何か過去の後悔があってここに来たんですよね?」
過去の後悔。加賀は恥ずかし気に首を縦に振った。俺はそのことについて簡単に話すように頼む。
「実は、ちょうど一年前の話なんですけど……。ずっと好きだった男の子に告白する絶好のタイミングがあったんです。でも、ちょっとした騒動があったせいで、それがうやむやになって……。結局思いを伝えられないままになってしまったんです。だから今でも、たとえ結果が駄目だったとしても、告白していたらなぁって最近特に思うようになってきて……」
ぽつりぽつりと語られる加賀なつみの話に俺はじっと耳を傾ける。色恋沙汰の後悔。確かにどこにでもありふれた後悔だった。
俺は加賀なつみが話し終えたのを見計らい、再び話しかける。
「その告白を過去に戻ってやってみたいということですね。わかりました。じゃあ、加賀さんさえよければ、もう早速始められますけどどうします?」
「え、もうですか? 何か準備とかは……」
俺は自分の懐を探りながら大丈夫と答えた。加賀なつみが再び怪しむような目で見つめてくる中、俺は懐から鈴を取り出す。それは金と銀の二つの鈴に、赤と白の糸で紡がれた紐がつながっているという何の変哲もないものだ。加賀なつみはじっとその鈴を観察しながら、ぎゅっと両眉をひそめる。
「それは?」
「まあ、商売道具ってところですかね。これを使って加賀さんの過去を再現するんですよ。じゃあ、心の準備はいいですか?」
俺がそう尋ねると、加賀なつみは慌てて首を横に振った。
「ちょっと、まだ全然心の準備が……というか、本当にそれだけでさっき言ってたことができるんですか?」
「そう言われても、正直こっちはこれ以上何の準備もないからな……何か術のことで疑問があるとか?」
加賀なつみは必死に何かを考えるしぐさをし、すぐに何かを思いついたのか身を乗り出すようにして俺に質問をぶつけてきた。
「あ、あの。さっきの説明で全部理解できたってわけじゃないんですけど。さっき、私がその映画とやらに出ていることに気が付かないって言ってたじゃないですか。それで疑問に思ったんですけど、それだとまた同じ失敗を繰り返すだけじゃないんですか?」
「ああ、そのことについてですか。大丈夫です。僕がそうならないようなサポートをやりますから」
「そ、そうですか」
俺のあっさりとした返答に加賀なつみは間の抜けた返事をする。俺は肩をすくめた。
「このままだと押し問答だからな。とにかく、物は試し。さっそく実践してみましょう」
「は、はい……」
まだ信用する気になれないのか、加賀なつみはどこか納得いかないような表情でそう言った。しかし、このまま説明を続ければ納得してもらえるという代物ではない。俺は客人の気持ちが変わらぬうちにと、持っていた鈴を俺と加賀なつみの間にかかげる。
「……ところでマタタビくん。今回私はお留守番ですか? 正直、楽そうな依頼ですけど」
俺の横で平島が申し訳なさそうに小声でつぶやいた。
「いや、今回は特訓もかねて、平島も一緒に来てくれ。その方が成功率もあがるしな」
俺はそこで咳ばらいをはさみ、加賀なつみをじっと見つめた。
「じゃあ、加賀なつみさん。あなたが後悔しているその時の出来事、そして告白するはずだった予定の相手を頭の中に思い浮かべてください」
加賀なつみは目をつぶり、少しだけ間が空いた後にゆっくりとうなづいた。俺は加賀なつみの準備が整ったことを確認したのち、改めて鈴を俺と加賀なつみの間で仰々しく掲げる。
「……思い浮かべました? じゃあ、いきますよ。いざ、過去のあの時へ」
俺はゆっくりと鈴を横に揺らす。鈴の澄んだ、高い音が事務所の中に小さく響き渡る。
チリン、チリ―ン