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Ever Lasting  作者: 沙也
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第五章

 10年前。

 景助と優也は、アメリカ東海岸の学校に通っていた。

 その中で、二人は行動を共にしていた。景助はかなり人見知りをする方だったし、優也も景助と一緒にいる時が純粋に一番楽しかったのだ。


「なぁ景助。この後どうする? 俺ん家来るか? 昨日新しいゲーム買ってさ」


 家が学校に近いため、二人は徒歩での通学が専らだった。その日も授業後、15分程度の道のりを並んで歩いていた。


「また? お前の部屋、そろそろゲームソフトで埋まるんじゃないか」

「いやぁ、まだまだだな。つか最近妹が邪魔してきて、全然はかどんねぇの」

「可愛いもんだろ。これから会いに行こうかな」

「あいつマジで喜ぶぞ。いや、それはお袋か? お前、熟女キラーってやつだな」

「…嬉しくない」


 他愛もない会話を繰り広げながら、優也の家まで残りおよそ百メートル、というブロックに差しかかった。

 と、角を曲がってきた二人組の男とぶつかった。相手が体格のよい黒人だったため、景助と優也が弾き飛ばされるような形になった。


「――ってぇ…気をつ――」


 相手の顔を見上げた優也は、そう言いかけて口を閉ざした。二人はこのあたりでも名の知れた、いわゆる不良で、サングラスの下に隠されてはいるが、鋭い眼光で優也と景助を睨みつけているに違いなかった。


(何だって昼間に…しかもこんな住宅街を歩いてんだよ――!?)


 優也の心の声は隣の景助にも伝わったようで、お互いに運が悪かったな、といった表情をしている。


『お前ら…ぶつかっといて、挨拶もなしかよ?』


 案の定、一人がお決まりのような台詞とともに景助の胸倉を掴んできた。背があまり高くない景助の身体は、片手でも吊り上げられて宙に浮いてしまいそうだ。


『おい、やめろ――!』


 優也が慌てて怒鳴ると、理不尽なことに横からもう一人に殴られた。不意を突かれたせいで、拳は頬にもろにヒットし、優也は吹っ飛ばされた。

 衝撃で目の前がチカチカした。


『弱っちぃの』


 殴った男がさもつまらなさそうにこぼすと、景助の低い声が聞こえた。


『…どうかな』


 言いながら、景助は自分の胸倉を掴む男の腕をゆっくりと外していった。相当強い力が加えられているのか、男は顔を顰めつつ、驚きを隠せないようだった。

 景助は本気だ。優也がそう思った時には、既に男は景助に背負い投げされて地面に叩きつけられていた。

 優也は忘れていた。二年前、景助が柔道の全米ジュニアの大会で準優勝したことを。彼は立派な有段者で、その実力は柔道初心者の優也にも見て取れた。さらにどういう教育の一貫なのか知らないが、景助は父親に武術を色々と叩き込まれているらしく、たまに喧嘩をしても景助が本気を出すと、優也は勝てたためしがなかった。


(そうだ、あいつ強いんだった…)


 そうと分かれば、優也は頬をさすりながら高見の見物を決め込んだ。

 あの細い身体のどこにそんな力が宿っているのか、景助の技はかなりの破壊力をもって男たちを圧倒していた。最後に決まったのは、綺麗な回し蹴りだった。


「お見事」


 優也が拍手を贈ると、襟を正した景助が息ひとつ乱さずに「気楽でいいな」と呆れたように言った。そして足もとでうずくまっている男に目もくれず、さっさと帰ろうと優也を促した。まるで、何事もなかったように。

 再び並んで歩きながら、優也は言う。


「お前って、クールに見えて意外と喧嘩っ早いよな」

「そうか?」

「そりゃ俺と喧嘩する時は、俺のが手出すの早いかもしんねぇけど」

「うん」

「今のとこ俺の連敗だぞ。お前、また強くなってねぇ?」

「そうかな。やっぱりウエイト差があると結構きつい」

「そういう問題か…?」

「俺があと10キロ重かったら、さっきの奴らももっと簡単に――」

「それも怖いから考えたくねぇなぁ」


 優也が身震いすると、景助は「冗談だよ」と笑った。

 その後、優也の母親に思いきり心配されてお叱りを受けたのはいうまでもない。




(昔からあいつは強かったんだよなぁ…けど『この前』は。強いっていうか――)


 アメリカにいた頃を思い出しながら、優也は考え込んでいた。景助と再会したその日の夜、セイホウ会だとか名乗った連中と争っていた景助は、殺気さえ帯びて、確実に相手を仕留めるような動きだったように思う。あくまで優也の勘にすぎないが。

 何が景助をそうさせるのか。


「何があったんだ――?」


 俯いて小さく呟いた優也の隣に、滑り込むように座ってくる影があった。当の景助だ。


「今日も来てたのか」


 白衣姿の景助は、研究室を抜けてきたところなのだろう、ほのかに薬品の香りが漂っている。

 真実をいずれ話す、と約束してから5日。暇さえあれば大学を訪れている優也は、ほぼ毎日景助と顔を合わせていた。


「研究、進んでるのか」

「ぼちぼちかな。岩崎先生だって数年がかりで続けてきてる研究だから、そう順調に、とはいかない」


 肩を竦めた景助は、馴れた仕草で煙草を銜える。


「お前、煙草吸いすぎじゃねぇの」


 優也が嗜める。


「ああ、煙かったか? 今度からは離れた場所で吸うよ」

「そうじゃなくて」

「…いいんだよ。健康を気遣うとか、そういうことはやめたんだ」


 あまりにきっぱりと景助が言うものだから、優也はそれ以上咎める気になれなかった。景助は煙を吐きながらどこか遠い目をしている。優也が隣にいるのに、それも気にせず一人の世界に入り込むのも、彼には昔からよくあることだった。


「橘君、やっぱりここにいたのね」


 二人で無言のまま座っていると、背後から聞き覚えのある女の声がした。


「岩崎先生が探してたわ」

 

 岩崎教授のゼミの助手、永瀬晶だった。ここ最近は頻繁に研究室に出入りしていた優也も、幾度か言葉を交わしたことがある。長身でなかなかの美女であり、研究室のマドンナと呼ばれているとかいないとか。何にせよ、女性の少ない医学系のゼミでは男性陣の目の保養の対象であることは違いないだろう。


「わざわざご苦労様です」


 景助はゆっくりと立ち上がった。


「あら、桐島君も一緒なの? そういえば、お友達なんだっけ?」

「ええ。それで、岩崎教授は何て?」

「貴方、教授が頼んだ遺伝子解析を途中で放り出してきたでしょ? ずいぶんご立腹だったわよ」

「それならもう終わって、データをまとめておきましたけど」

「…うそ。だってまだ――いや、貴方なら可能だったわね。ウイルス学で世界トップクラスの論文を発表した人だもの」

「たまたまですよ」


 そんな会話を黙って眺めていた優也は、


(こういうのを、美男美女っていうんだろうな…)


なんて、アカデミックな会話の内容とは裏腹に、まったくどうでもいいことをぼんやりと考えた。


「今度ゆっくり橘君の話を聞きたいわ」

「近いうちにゼミのメンバーで食事でもしましょうか」

「二人でいいじゃない。あの人たちと飲むと、研究の話ばっかになっちゃうもの」

「俺と二人で飲んでも、じゅうぶん退屈だと思いますよ」

「そんなことないわ。約束よ」


 話が段々とおかしな方向へ流れていた。永瀬が優也の存在をよそ目に景助を口説きにかかっている。


(さすがマドンナ…手が早いぜ)


 こうなってくると、優也の立場はかなりアウェイだ。永瀬が目線で、さっさと二人きりにさせろ、と訴えてきているような気がしてならない。


「あのー俺そろそろ帰るんで…」


 優也がこそこそと立ち去ろうとすると、後ろからがっしりと服を掴まれ、引き止められた。


「待て。まだ用事がある」


 景助が憮然とした顔で言う。察するに、彼は彼で二人きりにしてくれるな、ということであろう。この流れでは景助がマドンナの餌食になるのもそう遠い話ではなさそうなので、必死の回避作戦に強制的に協力させられてしまった。


「用事って言っても、もう休憩時間は終わりにした方がいいんじゃない? 貴方、ただでさえ今日は昼前に出勤したばかりなんだから、少しは研究室にこもって岩崎先生を手伝ったらどうなの?」


 マドンナの手厳しい言葉にも、景助は笑顔で受け応える。


「すぐ戻りますよ。お待たせしても悪いですから、永瀬さんは先に行ってください」

「何か聞かれちゃまずい話でもあるわけ?」


 疑り深い目で尋ねるマドンナに、


「実はそうなんです」


と、あっさり景助が言うものだから、さすがの彼女も面食らって、不服そうに研究棟の方へ歩いていった。

 彼女の後ろ姿を見送りながら、優也は肩をなで下ろした。

 

「やるなーマドンナ。景助、お前狙われてんぞ」

「…そんなことはない」

「いや、見りゃ一発で分かるだろ。モテる男もつらいな」

「別にモテないよ」


 またそんな謙遜を、と優也は突っ込もうとしたが、新しい煙草を銜えた景助があまりに冷めきった表情をしていたので、


(きっとこいつは、好きな子にはなかなか振り向いてもらえないタイプなんだな――)


優也は好き勝手に考えを巡らせる。けれど、言われてみれば、景助には彼女がいないのか? 今まで色々と話すことはあったが、恋人の話に至ったことはなかった。


「そういや、お前彼女は? 永瀬さんの誘いだって、彼女理由にして断ればいいじゃねぇか」


 優也が軽い調子で聞くと、景助はしばらく沈黙した後、やや低く答えた。


「…いたよ、昔は。今は、いない」

「そっか。で、どんな子だった? むこうの子か?」

「日本人だよ。大学で知り合った」

「ふーん。会ってみたかったな。お前が選ぶくらいだから、可愛いんだろな」


 冷やかし半分で景助を見ると、彼は俯いて紫煙をゆっくりと吐きながら言った。


「そうだな。…俺には勿体なかったよ」


 自分で聞いておいて、優也は思わず固まった。景助がこんなあからさまにのろけるのを初めて耳にしたからだ。

 そして、彼が一瞬こちらが照れてしまいそうになるくらい、幸せそうに微笑んだので、きっとまだ、彼女のことを想っているんだろうことが優也には分かった。そう思ったら、はぐらかすようにさっさと歩いていってしまった景助に、これ以上何も聞けなかった。

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