第三章
「ほんと懐かしいわね。景助君、随分かっこよくなって…」
夕食時、ミーハーな声を上げているのは、優也の母である。優也が景助を連れて帰宅すると、大慌てで家中の掃除を始め、あげく桐島家では年に一度もない寿司の出前を取った。
今年小学校5年生に上がる妹までもそわそわしており、優也は気恥ずかしくてならなかった。けれど、ちらりと隣に座って寿司を頬張る景助の横顔を見た優也は、仕方ないかと納得した。
昔から可愛い顔をしていたのは確かだ。あの頃から優也の母親は景助のファンだった。10年たった今は、長身で、誰が見ても端整な顔立ちの美青年へと成長している。
(こりゃ明日から岩崎教授の研究室も大変だな――)
「そういえば景助君、お母様はお元気? 連絡もずっと取っていなかったし…」
優也がどうでもいいことを考えているうちに、母親がどんどん話を進めていく。彼女を景助の正面に座らせたのは間違いだった、と優也は後悔した。母親の口は永遠に閉じそうにない。
「たしか涼子さんて仰ったわよね…まだアメリカにいらっしゃるの?」
「いえ。父と母は桐島さんが日本に帰国されてすぐに、交通事故で亡くなったんです」
(地雷踏んでんじゃねぇよ、お袋――)
「あ…ごめんなさい」
「気にしないでください。もう10年も前のことですから。――今は別の家族と、幸せに暮らしてます」
景助が平然として言った。
「そ、今日はまぁ楽しもうや。ほら、飲め景助」
優也は半ば無理矢理に場を盛り上げようと、景助のグラスになみなみとビールを注いだ。
夕食がすみ、夜も更けた頃。
「こんなところにいたんですか」
桐島家から少し離れたコンビニの前で煙草を吸う景助に、イチノセが声をかけた。
「別に逃げちゃいないだろ。俺だって、一人で煙草が吸いたい時ぐらいあるんだ」
「分かってます。桐島さんが心配そうにしてましたよ。貴方が気分を悪くしたのではないかと」
「あいつは――いつもまわりに気を遣う奴だったから」
景助はゆっくり紫煙を吐き出した。
「彼は貴方に再会できたことを、とても喜んでいる」
「それは俺も同じだ。だからって、ずっと一緒にはいられないだろ。…あと1ヶ月もしたら、俺は帰国しないといけなくなるだろう」
「――彼は悲しむでしょうね」
「仕方ない。今更どうにもならないことだ」
景助は灰皿に短くなった煙草を落とし、コンビニの前を離れて桐島家に戻ろうとした途中で、ぴくりと動きを止めた。イチノセも何かに反応したように、身を構える。
「…俺が来日するのは、極秘事項じゃなかったのか」
景助が小声でイチノセに尋ねる。周囲の気配に意識を集中させることは忘れない。
「もちろん極秘ですが――秘密というのは、必ずどこかから漏れるものですよ」
「…目立たないように行動してたつもりだったのにな」
「無理ですよ。貴方は人目を引きますから」
そう言って、イチノセはジャケットの内ポケットから小型拳銃を取り出した。景助も小さなため息とともに、コートの袖に忍ばせていたナイフを手にした。
「――日本でガンファイトはまずい。できるだけ銃は使うな」
「相手しだいです」
景助とイチノセが目配せすると、複数の足音が近づいてきた。おおよその計算では5人程度か。人通りの少ない道に入ったところを突かれた。恐らく、大学にいた時から目をつけられていたのだろう。
銃を構えたいかにも怪しげな男たちに囲まれると、景助は問うた。
「何が目的だ? …いや、誰の指示だって言うべきかな」
「教えてやる義理はない」
どうやら穏便に話し合いをする気はさらさらなさそうな相手方は、銃のセーフティレバーに指をかけた。
――その一瞬の隙を突いて、景助とイチノセは相手の懐に飛び込んだ。銃を蹴り飛ばし、肘鉄を喰らわせ、気絶させる。残りが動く前に、次の動作に移る。
さして手強い相手ではなく、あと2人、となったところで、思わぬアクシデントが起きた。
「おい、景助ー? ――お、んなとこにいた…って何やってんだ!?」
景助を捜しに来た優也が、角を曲がって現れたのだ。見知らぬ男たちと、派手なアクションシーンを繰り広げているさまに、唖然としている。
僅かでもそちらに気を取られたのがまずかった。男たちの動きが一歩早く、優也の方へ走り出した。
「優也っ! 逃げろ!」
景助が叫んだが、優也は事態が飲み込めない様子で、動けない。ここで優也を人質に取られると、身動きが全く取れなくなってしまう。
景助は男の足もとを狙って、ためらいもなく引き金を引いた。彼らが呻き声を上げてその場に崩れると、すぐに優也のもとへ駆け寄った。
「大丈夫か?」
景助が尋ねる後ろで、イチノセは倒れている男たちの胸ぐらを掴んでいる。
「――あ、ああ。大丈夫だけど…」
優也がそう答えると、景助はほっと息を吐いて、イチノセの方を振り向いた。
足をおさえてうずくまっている男を見下ろし、景助は静かに言う。
「あんたら、誰に頼まれたんだ? 答えるなら逃がしてやってもいいけど」
男たちは沈黙を保ったままである。イチノセが襟首を掴んで締め上げるのを、景助は肩に手を置いて止めさせた。
「そんなぬるいやり方じゃ、こいつらは吐きそうにないな」
「…どうしますか。こいつら自体はたいしたことはありませんが、銃を携帯しているのが気がかりです」
「――ろくでもない連中が銃を持ってるのは、アメリカも日本も同じだろ」
言い放った景助は、ナイフを片手に、一人の男の前に屈み込んだ。そして首筋にナイフを突きつけ、
「こう見えて、俺は医者なんだ。だから、人間の血管、神経がどこを通ってるかは、手に取るように分かる。…つまり、神経を一本切断して、あんたの全身の自由を奪うのも俺には簡単だってこと。ただし、一生修復がきかないくらいにね」
男がまだ動かせる上半身を使って、景助のナイフを奪おうと掴みかかってきたが、景助は後ろに跳んでひらりとかわし、男の肩を蹴って道路に倒し、素早く首の真横にナイフを突き立てた。男の首の皮一枚が切れて、血が伝う。
「あと3センチ右に刺さってたら、あんた死んでるよ。――俺もいつまでもあんたたちと遊んでられるほど暇じゃないんだ。用事はさっさと済ませたい。これ以上時間を取らせるなら、全員ここで処分する」
景助が待機していたイチノセに顎で指示を出すと、男は観念したのか口を開いた。
「俺たちは、西峰会の人間だ! あんたが何者かも聞かされてねぇよ。ただ幹部連中に頼まれたんだ」
「セイホウ会…分からないな」
「俺たちが言えるのは、本当にこれだけだ」
景助が腕を組んで考えていると、イチノセが、
「彼らを帰すんですか」
「ああ。ここに置いといても面倒だ。――おい、あんたら。帰ったらボスに伝えとけ。『悪いがあんたらの相手をしてる暇はない』ってな」
――きっと、日本に来たのは間違いだった。仕事を片づけて、早々に帰国するべきだろう、と景助は不安そうにこちらを窺っている優也を見て、強く思った。




