特赦の馬車
“勇者とは何であろうか。力であろうか。力の面で魔族王へと肉薄したのは勇者エレノートや、勇者カーズと言った数人の選ばれた人間のことを言うのだろうか。勇者とは仲間に恵まれることであろうか。そうだろう。だが、そうであるならば、なぜ一人勇者フェスの話は人の胸を打つのだろうか。あるいはそれは勇気であろうか。だが、勇気あることが必要だと言うのなら退くことは許されないのだろうか。一体、エナンコールジーツのことを誰が非難できるというのだろうか。あるいは勇者とは演技者のことを言うのだろうか。大陸を股にかけるただ美しい演技者のことをいうのだろうか。ユーノス=カブキの伝承は確かにそれを裏付けるだろう。勇者とは“勇者の時代の終わり(魔族戦役第二章より)
あのとき魔族王は勇者イクセスを討つ直前だった。私は己を振る舞わせた。そうだ。私は魔族王を滅しようと試みた。そう。私はそのとき一瞬の間だけリエントラントと同じだった。このことはそれ以上思い出したくもない。盗賊失格に近い行動だ。直前に鳴り響いた鈴の音を背景に。私の意識は朦朧としてそれで、それで、だめ、だめだ。私はこのときのことをこれ以上思い出すことはできないような気がする。
戻る。イクセスは魔族王に一太刀を浴びせた。凍牡丹の紋章の剣に腕輪の力を呼応させ、全てが凍りつくほどの一撃を魔族王に見舞った。そうしてそれでやめなかった。そう、やめなかったの。私、それは、でも、どうしても。LLCのために一騎打ちが盛り上がるほうがいいことは知っていた。それに、ヨギが側にいることも知っていた。でも、だから、でも、私、止めたんだ。フレイスラが『いざとなったら僕みたいに気ままな幽霊になればいいよ』と無責任なことを伝えてきて、それで、私、わからない。
なぜだか、魔族王の強大な魔力の前でも、イクセスは無傷のままで、それで、だから私、うまく語ることができない。
だって、大マジックス、ミラー=ラーク!
「星民の言う天空の史書の勅令、ということになるかな。僕の起ち位置は。やれやれ面倒なことだよ」
そう口にした少年姿のマジックス。そう。そこまでは覚えている。「ねえ、危ないことはよしなよ。盗賊はね。表には出ないものさ」大マジックスはそう口にして私が大粒の汗と共に流れるように結び続けた、いくつもの印を結び続けていた手を抑えつけた。ヨギの腕が私の腕をつかんだのはそのときだったと思う。眉を落としながら焦りと悲しみを浮かべたその表情を私は見たんだ。私が作り上げつつあった、呼び寄せつつあったものが四散したのはそのときだったのだと思う。奇跡のかけら。人為による私たちの、盗賊の詩。そういうものが四散したのは。一本の枝を、太古の秘跡の枝を媒介にした禍々しい力の全てが四散したのはその時のことだったように思う。大マジックスはイクセスに向かって近づくと「まだ間に合いそうだね」と口にし、イクセスの懐から零れ落ちた呼び鈴をつかんだ。倒れていたイクセスの上で何度も鳴らしたその虹色の呼び鈴が実体を溶かしてゆっくりとイクセスの体に浸透してゆくのを私は見たように思う。それから、それから、何かを探すそぶりを見せる大マジックスと魔族王テウソの間に数語が語り合わされると、魔族王が幽霊フレイスラに何かして、そうしたらフレイスラが急に実体を得て小さくなったかと思うと急に大きくなり始めて、それで、そこで見たのは、それは、それは、何だったのかな。小さな魔族の戦士が驚いたように近づいて声を上げて、それからフレイスラであったものに、そのときでも微小にはきっとそうであったろうものに声をかけたんだ。「なぜ、父上」と。
「すまないな、私はこの方と話さねばならんのだ。それに別れは既に済ませたであろう」
「父上!」
「いいかな、ごめんね。時間がない。魔族王スメヌースよ、この状況はどういうことなのかな。契約はどうなったのかな」
「あなたの思われるとおりでしょう。大マジックスよ」
「そうかな」「そうです」「では、どうだろう。スネックボトムは蘇るべきかな」「そうなされても構わないでしょう」「起こるべきことは起こりつくした。そう思うかい」「さて、それは」「いや、そうだね」「そろそろ、」「時間、かな」
短い会談。会話の後。聖魂の異常な輝きの後に残ったのは、マジックスと、その輝きに向かって一礼を行う魔族王テウソと優雅にティーを楽しむフィラネスト、驚愕とそこから醒めたリエントラントに、そして
「父上、どうして、なぜ」
と叫び続ける小さな、本当に小さな魔族の戦士の姿と、幽霊に戻ってしまってふわふわと浮かび上がっているフレイスラ、それから倒れ込んだままにイクセスを見つめる私と、そしてその側にいてくれたヨギ、そうして、そして私の視線の先に倒れたままのイクセス。
「どうしたものかな。魔族王閣下」
ミラー=ラークは、静かに魔族王テウソに近づくとそう口にした。
「何のことですかな。マジックス殿」
「どうかな。託宣を受けるつもりかい」
「そのつもりですが」
「それならさ。その後でいいから僕の話にも付き合ってよ。魔族王閣下」
「構いませんとも。マジックスよ」
私は、私は、ごめんなさい。こんなこと、私、どうしてもあのときのことをこれ以上詳しくは思い出すことはできない。
「思い出した」
だから、イクセス、あなたがそう口にして起き上がったことと、今みたいなあいまいな話でしかあのときのことは語ってあげられない。だから、思い出せるだけで許して。手帳記の空白を、ごめんなさい。
「私、呼び鈴。あれ鳴らすのを忘れていたの。だから、えっと魔族王の前で、あれ。あの呼び鈴ここに入れていたはずなんだけど」




