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アイリスの空  作者: Tandk
第一章
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第08話

 黒犬が処刑された輪廻浄化の日より遡ること一月前。聖都プロメア東門近くの民宿韋駄天の一室でその会話は行われていた。

「――そう、か。恵子殿の赤子が禁術で封印されているという事情は分かった。だが、どうしてタクマ殿にも禁術が施されているのだ?」

 恵子の説明が一段落したところで、ダンカンが疑問を呈した。恵子が授かっている赤子を封印するのであれば、その母体である恵子にのみ禁術を施せばいいだけの話である。それがどうして、恵子の伴侶であるタクマにも施す必要があるのか。

 ダンカンの疑問に対し、一つ頷いて恵子が答える。

「ダンカン様の疑問も尤もです。実は赤子の封印については私に施されている禁術の効果です。主人に施されている禁術は――」

「恵子に施術された禁術を維持する効力がある。具体的に言えば、禁術で消耗した恵子の生命力を補填する」

 恵子が僅かに言い淀んだ言葉を、タクマが引き継いで話す。タクマが話した内容が示すことはつまり――

「恵子様の生命力を、タクマ様の生命力で補っているという事ですか!」

 その事実にいち早く気づいたルシェルが思わず声を上げた。ダンカンもその両目を閉じ、上を向いて歯を食いしばっている。ダンカンもまた叫びたくなる衝動を抑えているのだ。

「そうです。俺の生命力が恵子と胎児の命を繋いでいる。それがなければ、恵子も胎児も長くは持たない。だからこそ、むしろ俺はこの禁術に感謝しています。二人を失わずに済んでいるのですから」

 その目の奥に意志の強い光を宿しながらタクマは声を張る。ダンカン達の困惑というよりも、今もタクマ以外には分からないであろう、恵子が見せる僅かな悲しみを取り払うかのように。

「いずれにしろ、俺達の禁術は距離に依存もしないのでひとまず問題はないんです。俺が生きている限り、恵子の生命力が削られることは無いのですから」

「そ、それは……恵子様はそうかもしれませんが! ですが、それではタクマ様が」

「いいんです。俺は、大丈夫ですから」

 タクマが恵子に向けるのは深い愛情だ。そこには嘘も偽りも欺瞞もない。只ひたすら、恵子が生きていける事を、共に生きていける事を望んでいるのだ。

 ルシェルはタクマの言葉から恵子の生命力が回復するのだとしても、それではタクマが消耗するだけではないのかと危惧した。事実、その予想は当たっている。しかし、それでもタクマは大丈夫と言い、それ以上の言葉を言外に拒絶した。それが同情でも好奇心でも、だ。

「ルシェル……お前は優しいな。だが、これ以上は野暮だ。俺達が口を挟む事じゃない」

 タクマの心情を察したのは同じ男であるダンカンだ。自分がタクマ達と同じ立場なら、恐らく自分もタクマと同様の決意と覚悟を持つだろう。だからこそ、ルシェルを止めた。

「隊長! ……ですが!」

「ルシェル!」

「……わかりました。タクマ様、申し訳ありませんでした」

「いえいえ、お気持ちだけでも嬉しいです。ありがとうございます」

 それでもルシェルはどうにかしたいと思った。しかし、再度ダンカンに強く名前を呼ばれ、納得はできないがひとまず引き下がった。内心、これから力になれる事があれば、できる限り助力をしようと考えながら。

「さて! 禁術についても話は分かった。タクマ殿達がこの世界に来て、かの高名な五賢人の一人、ガリド様に巡り合えたことは僥倖以外の何物でもないだろう」

 ダンカンも内心は彼ら若人達に禁術を施した存在に憤りを覚えているが、今すべきことは個人の感情を吐き出すことではないと自制しているのだ。それでも苦渋に満ちた表情を抑えることは出来なかったが、話を進める。

「恐らく、タクマ殿達もガリド様より禁術についてご助言頂いたのであろう? だがしかし、そのガリド様でさえ今すぐに解呪が出来なかったという事は、我等がこれ以上首を突っ込んでも得られる物は何もあるまい。それに俺の力を持ってしても、分かるのは精々禁術が掛けられていることだけだ。これ以上出来る事もない」

「た、隊長! 何もそんな……」

「まぁ待て、ルシェル。何も協力しないと言っているわけではない。それに、タクマ殿達が悲観した様子でもなく、更に彼らにあのガリド様がご助言成されたとあらば……恐らく、禁術を解呪する方法について、何らかの道筋が見えているのだろう」

「え!? そうなんですか、恵子様!?」

「え、えぇ……。その通りです、ルシェル様。流石、ダンカン様でございますね」

 ルシェルがダンカンの言葉に驚き、勢いよく恵子へ振り返りながら声をあげる。だが恵子はすぐに反応できず、一呼吸おいてからルシェルへ返事を返した。ダンカンが僅かな情報で的を得た推測を行ったこともそうだが、実はガリドに対するダンカンの扱いに戸惑っていた。そんなに有名な人だったのか、と。

「……あの爺さん、妙に自分の事話さないと思ったらそういう事でしたのね。次会ったときは〆ましょう」

「え? 恵子様、何か仰いましたか?」

「いぇいぇ、何でも御座いません。お気になさらずに」

「そ、そうですか……何か話したいことがあれば、何でも私に話してくださいね!」

「ありがとうございます。ルシェルさんのお気持ちがとても嬉しいです。その時は、宜しくお願い致しますね」

「もちろんです!」

 恵子がポツリと呟いたのにルシェルだけが近くに居た為気付いた。恵子は内心しまったと思ったが、無難に話を逸らしてしまう。いや、ルシェルにとっては知らないままでいて幸せだったのかもしれない。

 ルシェルには素知らぬ顔で応対したものの、恵子は後でガリドについて、この国でどういう人物なのか調べないと、と考えていた。恵子たちに接したガリドからの様子からは、胡散臭さはあっても国の重要な地位に就いているようには見えなかったのだ。

「で、では! 恵子様、タクマ様。お二人がガリド様から賜った道筋というのを、お聞かせいただくことは出来ないでしょうか? 先ほどはタクマ様と恵子様のご覚悟についてお伺い致しました。ですが……いぇ、ですからこそ、お二人のお力に少しでもなりたいのです!」

「ルシェルさん……どうして、そこまで私達の事を?」

 タクマや恵子達にとって、この街の実力者であるルシェルからの申し出は有り難い。だが、今日知り合ったばかりの街の住人でも無いタクマ達に、こうまでしてルシェルが首を突っ込む理由が分からない。カエルム国において名立たる衛兵隊の副隊長をしている事からも、ルシェルが公私の区別は勿論の事、過度な善意は偽善にしかならない事など百も承知の筈だ。その程度の事もわからないのであれば、只でさえカエルムの衛兵隊は武力は大前提として、国内外の重要な折衝を行うこともあり政治力が求められる中で、他の者を差し置いて副隊長の地位を得る事など到底出来はしないだろう。

 しかし現実として、ルシェルは異様といってもいい様子で、恵子を真剣に見詰めている。そして彼女の上司であるダンカンも、その口端には苦笑が隠しきれていないが、先ほどと違って引き止める事もしない。

「それは……そうですね、今日会ったばかりの人に急に言われても戸惑われますよね。一人、勝手に焦ってしまいました。申し訳ありません」

「いぇいぇ、誤らなくても大丈夫ですよ」

 ルシェルはやや恵子が困っている様子を感じ取り、慌てて謝罪した。恵子も不快に感じる事もなく、それに応じる。

 だが、恵子は気付いていた。ルシェルが一瞬見せた、苦渋の表情を。

「ルシェルさんがそこまで仰られるからには、きっと並々ならぬ想いがあっての事なのでしょう。今日初めてルシェルさんにお会い致しましたが、これまでのやりとりでルシェルさんは勿論、ダンカンさんも、そのお人柄にはとても好ましく思っております」

「恵子様……ありがとうございます」

「ですので、寧ろ私達からダンカンさん、ルシェルさんにお願いさせて頂ければと思います。今日お会いしたばかりで恐縮ですが、私達の昔話に付き合って頂けませんか?」

「はい、もちろんです!」

「おいおい、ルシェル。盛り上がってるとこ悪いが俺たちは黒犬を追わねばならん。こうしてタクマ殿と恵子殿が無関係と知れた以上、あまり長居するわけにもいかん」

「そんな! 隊長がこんなにも白状者だったなんて、私思いもしなかったです!」

 ルシェルが前のめりになって恵子に同意した途端、ダンカンから待ったが掛かった。それに対し、ルシェルは信じられないものを見るかのような目でダンカンを振り返る。

「お前な……いつも言ってるが、衛兵隊として過剰な感情移入は辞めろ、俺たちの務めに支障が出る。それが分からんお前でもないだろう」

「それは……そうですが! ですが隊長」

 ダンカンはルシェルの様子に苦笑しながらも、まるで諭すかのように続ける。

「まぁ、待て。お前の事情も分かっている。それに、このあたり一帯はもう調査は済んでいるからな。副官一人が独自行動を取ったところで、さして問題は無かろうよ」

「え、それはつまり……」

 そのダンカンの言葉に、悔しげな表情を浮かべていたルシェルの顔に、僅かな希望を見つけた感情が浮かんだ。

「ルシェル・イルバード、命令だ。旅人とは言え、今は街の住民であるお二人を日の出まで護衛して差し上げろ。但し、戦闘行為は正当防衛に限定する。定時連絡は一時間ごとに行え。以上だ」

「― ― はい! 承知致しました!」

 暫し呆然としたのち、ルシェルは背筋を張り左手を右胸にあてる、カエル王国の作法に則った礼を取った。先ほどまでとは打って変わって、ダンカンを見る目は尊敬する上司を見る目になっている。

 もちろんダンカンもそれに気づいてはいるが、やはり根が優しいのであろう、厳しい上司の顔を取り繕いつつも、僅かながら笑みが隠せないでいる。

 タクマと恵子達もそれを微笑みながら見守っていた。タクマは、随分と人間味の溢れる二人に出会ったなぁ、と。恵子は、まるで妹を見守るかのようにルシェルを見つめていた。ちなみにソルは夢の中だ。

「では、俺は任務に戻る。ルシェル、後は頼んだぞ」

「はい! 隊長、お気をつけて」

「誰に言っている。ではな」

 一区切りがついたところで、ダンカンはっルシェルを残し任務に戻った。彼とて話の続きは気になるが、今はそれよりも黒犬を負わねばならない。街の為に。それこそが、ダンカンの原動力なのだから。

「……それでは、ルシェル様。私達の事について、詳しくお話しさせて頂きます。それには、まず私たちがこの世界に降り立った時からの事を話さねばなりませんが、宜しいでしょうか」

 ダンカンが去った後、ルシェルは恵子達の前に座り、居住まいを正していた。

「はい、勿論です。宜しくお願いします」

「えぇ、こちらこそ。それでは……私達が、この世界に来たのは――」

 そう言って、恵子は語り始めた。この世界に来てから、この街にたどり着くまでに背負った宿命と呪縛の話を――


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