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アイリスの空  作者: Tandk
第一章
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第06話

 そこは聖都プロメアの東門近くにある旅人御用達の民宿、韋駄天。二階奥の一室に一組の夫婦とその愛犬、そしてこの街の治安を担う衛兵隊の隊長と副隊長がそれぞれ険しい顔をしてテーブルを囲んでいた。短くない沈黙の後、英へ隊隊長 ――ダンカン・レガリアが重い口を開く。

「黙っていても何も始まらん。このまま何も聞かずにおく訳にもいかん。そろそろ、話したらどうだ」

 その視線の先には並んで座る夫婦の一方に向けられていた。隣に座る平凡な容姿の主人とは違い、異性だけに留まらず同棲でさえも見惚れてしまうだろう美貌を持つ、黒を基調とした和装を着て肩までかかった綺麗な黒髪を持つ妻、恵子にだ。

 夫婦のクリスタルをそれぞれ別々に計測する為に男女別で別れたあと、ダンカンは己の直感からタクマが街を騒がせる盗賊、黒犬だと直感した。ダンカンはその直感に従いタクマを捕縛しようと行動したが、その一手はタクマによって ――軽くない傷を負いながらも ――塞がれた。次の一手を仕掛けようとした時、ダンカンの副官である衛兵隊副隊長、ルシェル・イルバートが場を治めてダンカンにタクマのクリスタルの計測を謝罪の後に促した。

 ダンカンが自身の固有晶術でタクマのクリスタルを計測したのだが ――

「精巧だが生来の物ではないクリスタルをその身に宿す理由。そして、その身にかけられた禁術について」

 彼らが場所を移してこの部屋で沈黙に包まれていた理由。それは、ダンカンがタクマのクリスタルを見た事が原因だ。正確には、タクマのクリスタルはダンカンが知る限り普通ではないからだった。

 ダンカンと暫く目を合わせていた恵子だったがダンカンの瞳の奥にある確固たる意志を感じて、一つ溜息をついた。そしてこの部屋に戻ってから初めてその美声を紡いだ。

「ふぅ ……仕方ないですね。なぜ、クリスタルが本物でないと?」

 恵子は答えを予想していながらも、ダンカンがタクマのクリスタルが、この世界イリスに生を受けた生物に例外なく宿る生来のクリスタルでない事を見抜いた理由を聞いた。なぜなら、タクマがそのクリスタルを身に宿してから一年、ただの一度も誰にも感づかれた事すら無かったのだから。

「俺だからだ!」

 厳しい顔をしながらもやや誇らしげに胸を張るダンカン。それを見てルシェルは溜息をつく。

「もぅ、隊長。それじゃダメですよ! まったく ……恵子さん、隊長の固有晶術はご存知ですか?」

「はい。ご高名なダンカン様の固有晶術である |契約領域形成( コントラクト・フィールド )のお話は、この街に縁のある者なら誰もがご存知なのでは無いでしょうか」

 ダンカンの固有晶術は彼自身が名高い事もあってこの街で知らぬ者は居ないだろう。念の為確認したルシェルだったが、恵子から返事を聞くと一つ頷いて話を続けた。

「それならば、話は簡単です。隊長の |契約領域形成( コントラクト・フィールド )の対人用に調整した術式を先ほど、タクマ様に使わせて頂いたのです。 |契約領域形成( コントラクト・フィールド )はその対象領域の中であれば、ありとあらゆる情報を把握する事ができます。勿論、イリスに芽吹く生物のクリスタルも、本人よりも詳しく知ることが出来ます。隊長は長年の経験で数多くのクリスタルを解析してきました。つまり ――」

「生来のクリスタルは当然の事として、人工的に作られたクリスタルについてもご存知、というわけですね」

「はい、その通りです」

 ルシェルの言葉を引き継いで恵子が確信を持ってダンカンが見抜いた理由を話した。それもダンカンを知る者であれば当然である。彼の |契約領域形成( コントラクト・フィールド )の精度がずば抜けているのは誰もが承知の事だ。エージェントやワーカー志望の者がプロビデンス機構で受付する際に基本的な能力を測るため、プロビデンス機構の最新鋭の晶化学の粋を集めて作られた計測用装置でクリスタルを調べる。その計測精度の高さと安定性から、プロビデンス機構の者達の基本能力は世界どこにいても保証されるものとなっている。その世界最高と言われる装置でさえ、ダンカンの |契約領域形成( コントラクト・フィールド )より精度は数段落ちるのだ。その為、彼は研究所等からひっきりなしに勧誘を受けているが、すべて断っている。そんな彼ならいくら精巧に作られた人工クリスタルといえど、見破られてしまうのは頷ける話なのである。

 となれば、次に恵子たちが聞かれるのは ――

「普通、固有晶術ってのは秘匿するもんだが、まぁ俺は例外だな。で、気付くのは当然としても、だ。これ程の精度を持った人工クリスタルは見たことが無い。いったい、どこで手に入れた?」

 人工クリスタルは実はそれほど珍しい物でもない。晶化学を利用した晶道具が一般家庭にも広く普及しているこの世界では、動力となるレイの結晶が必要不可欠なのだ。クリスタルがあればより動力を多く必要とする晶道具も動かすことができるようになる。例えば、世界の交通網を結ぶ飛行魔道船がそうだ。だがクリーチャーや魔獣から採取するクリスタルだけでは、慢性的に動力源不足となってしまっていた。その為、プロビデンス機構は独自にクリスタルを生み出す技術を開発し、無償で全世界に公開した。以降は民間企業も含めて多くの人工結晶や人工クリスタルが生産されるようになっているのだ。

 だがそれら人工で作られた物は、採取された結晶やクリスタル等と比べると、半分にも満たない性能が関の山だ。それなのに、ダンカンが見たタクマの人工クリスタルは生来から持っているかのような純度や密度を持ち、俄かには人工クリスタルだと信じられない程のものだ。当然、出所について聞かない理由がないだろう。

 やはり聞かれたか、という感情は表に出さずに恵子は慎重に返事をする。

「ダンカン様、主人のクリスタル ……いいえ、もう隠す意味もないですね。私達のクリスタルはとある方から偶然頂く事が出来たのですが、詳しくはお伺いしていないのです。ですがこの人工クリスタルのお陰で、私達はこの世界に馴染む事が出来たのです」

「ふむ ……やはり、君たちは異世界人か。だが、君たちについて噂が無いのも納得だ。クリスタルを持たずにレイを操り晶術を行使するどころか、メニューすら使える異世界人は何処に居ても目立つ者だ。そんな者達が居れば噂の的となり酒の肴となる。当然、我等衛兵隊の耳にも入ることになる。それが今回ないのは、その高精度な人工クリスタルのお蔭、か」

 この世界、イリスで生まれた頃からクリスタルを身に宿すすべての生物は、その精度に個人差はあれどクリスタルを感じる事ができる。だが、異世界人はクリスタルを持たない。イリスの者達からすれば、異世界人は地球で言う気配のない人間なのだ。誰もがその違和感に気付く。幸いなのは、この世界では異世界人の数は少ないが世間に浸透している点だ。一部を除き差別などはされていない。

 だがそんな異世界人も、後天的にクリスタルを身に宿す方法がある。それが、人工クリスタルの移植だ。但し、五行教会ではクリスタルは神々の加護とされている。その為、神の御業を真似るような行為を教会は禁じていないが、だからといって表立って出来る事ではない。一部の国では法で禁止している場合もある。ここ空の国カエルムでは禁じられてはいないが、穢れた行為として捉えられている。

「確かにそれほどの精度の人工クリスタルであれば、俺以外には天然物かどうかは分からないだろうな」

 だからこそ、タクマ達が持つ高精度に作られた人工クリスタルは重要な意味を持つ。ダンカンは例外として彼らをクリスタルだけで異世界人として認識する事は難しいのだ。自分達から言わない限りばれる事はまず無いであろう。そのお蔭でタクマ達は助かっている。異世界人として注目を浴びる事も無ければ、穢れたものとして煙たがられることもないのだ。この世界で生きていく上ではとても重要な事だ。

「そのクリスタルをくれた方とやらは、どんな人物だ? それほどのクリスタルを作れる者であれば、名だたる人物の筈だ」

「申し訳ありません、その方についてお話しすることは出来ません。それに、その方は既に亡くなられています。もはや話をお伺いする事も出来ません」

 ダンカンがやや身を乗り出して恵子に問うた。その者の技術力の高さは衛兵隊隊長としても、クリスタルについて誰よりも詳しいと自負がある為個人的にもその者と会ってみたいからだ。

 しかし、悲しげに話す恵子から帰ってきた言葉は、ダンカンにとって非常に残念な物であった。既にこの世にいないならば、これ以上の情報を知ることは出来ないだろう。

「そうか、既にこの世におられないのか。名前はなんというのだ?」

「申し訳ありません。先ほども申し上げました通り、あの方についてお話するわけには参りません。それが、あの方に立てた私たちの誓いでもありますので」

 悲しげに話す恵子はそう言うと遠くを見つめた。その様は悲しげでありながら、儚くもあった。恵子の雰囲気も相まってその姿を見る者はその危うさを持つ繊細さに心を打たれるだろう。ここに居るルシェルにとってもそうだ。

「隊長! どこまで無神経なんですか! 恵子様、ご無理申し上げて失礼致しました」

「あ、あぁ! そうだな、すまない。この通りだ」

 ルシェルが上司を窘め恵子に謝罪する。ダンカンもそこで自分が無粋な事をしていた事に思い至り、慌てて頭を下げる。

 そんな二人を見て、恵子は思わず苦笑しながら二人に話しかけた。

「いぇいぇ、お気になさらずに。顔をお上げください」

「ありがとうございます」

「感謝する」

 二人が顔を上げるとその場はそれまでの緊張感が解れていた。ある意味、ダンカンの怪我の功名とも言える。

「それでは、お話の続きを ……。私達にかけられている禁術について」

 恵子がそう告げた途端、場は引き締まりダンカンとルシェルも真剣な顔つきになる。タクマはソルを撫でながらも無表情で掴めない雰囲気を出している。ソルは撫でられるのが気持ちいいのか、身体だけでなく顔も緩んでいるが。

 ルシェルがやや思案した後、言った。

「禁術、ですか ……。ヒューマノイドの中でも一際長命な私達 |小妖精( エルフ )ですら、お伽噺や伝説、神話でしか聞いたことがありません。隊長、本当に禁術が恵子様たちにかけられているのですか?」

 そう言って首を傾げたルシェルのサファイアのような深みのある鮮やかな蒼い髪が、さらりと流れて仄かに甘い香りが広がった。密かにこの香りがお気に入りのダンカンは誰にも悟られないように匂いを嗅いで、内心ほっと一息をついた。

「あ、あぁ。そうだ。タクマ殿しか |契約領域形成( コントラクト・フィールド )で調べてないが、タクマ殿に掛かっている禁術と同様のものが恵子殿からも感じられる」

「どうしてそれが禁術だと分かるのですか?」

「簡単だ、俺も使えるからな」

「「「え!?」」」

 ダンカンの言葉に普段は冷静な恵子でさえも思わず驚きの声を上げてしまっていた。一頭を除いた全員がダンカンをまじまじと驚愕の顔で見ている。それにダンカンは気にする風もなく話を続ける。

「というより、俺達レガリア一族の代々受け継がれる血統晶術だ。尤も、扱えるのは一部の者だけでしかも実際に行使するのは一族の掟で禁じられているがな」

「そ、そりゃそうでしょう! 禁術を使える事がそもそも異常ですし、そんなほいほい使われたら世界のバランスが崩壊します!」

 ダンカンが暴露した内容にルシェルが思わず声を荒げて詰め寄った。

「禁術はその力が誤って利用されれば世界そのものに多大な影響を与えるからこそ、五柱神様達が直接禁術指定されるものなんですよ! それなのに血統晶術が禁術に指定されているなんて、ダンカン隊長はつくづく規格外だと思っていましたが、ここまでとは思いませんでした!」

 ルシェルの勢いにやや引き気味になりながらも、ダンカンは何か諦めたような表情で答える。

「そ、そうは言ってもなぁ ……使えるもんは仕方がないだろう? まぁ俺達レガリア族が普通じゃないってのは認めるけどな」

「認めてしまうんですね ……はぁ、なんだか疲れました。で、隊長。隊長が禁術を使える事は分かりましたが、それがどうしてタクマさん達にかけられているのが禁術と分かる理由になるのですか?」

 もう何かを言う気力もなくし、ルシェルは話を本題に戻した。

「簡単だ。基本的に晶術はクリスタルで集めたレイを使って術を行使する。が、禁術は違う。触媒としてレイも使うが、術を行使するのに必要なのは生命力だ。魂を削る術と言っても良いな。さっきタクマ殿のクリスタルを見たとき、クリスタルに纏わりついていた物はクリスタルで集められたレイで作られているようだった。おそらく触媒だろう。そしてそれは、明らかにタクマ殿の生命力を源として何らかの作用をタクマ殿に与えているように見えた。ここまで分かれば、あれが禁術だと判断するのには十分だ」

「なるほど、わかりました。恵子様、今の隊長の話は合っていますか?」

 ダンカンの話を聞いてその説明に筋が通っていることを確認したルシェルは、恵子に確認をする。

「えぇ、ダンカン様が仰られる通りです。私たちに掛けられている術は私達自身の生命力で動いています。禁術である事に間違いないと思います」

「恵子様 ……」

 淡々と無表情に答える恵子を見て悲痛な表情を浮かべるルシェル。数ある伝承の中で出てくる禁術は、絶大な力を齎すものとされている事が共通している。中には呪いともいうべき作用を (もたら) すのもあった。恵子たちの雰囲気から、恐らく二人に掛けられている禁術の特性について予想したルシェルは、かける言葉が見付から無かった。

「恵子殿、お二人に掛けられた禁術について詳しく話を聞かせて貰えないだろうか?」

「 ――隊長!」

 ダンカンが強く意思を瞳に込めて恵子を見ながらそう発言すると、恵子達に感情移入してしまっているルシェルが思わず声を荒げた。

「ルシェル、いくら俺とて二人の様子を見て只事でないのは分かる。そもそも事が禁術なだけに簡単なはずはあるまいが。とにかく、俺達にはこの街の治安を守る者として、万が一禁術がこの街に影響を与えた場合の事を考えると、どうしても見過ごせることでは無いのだ」

「そ、それは ……そうですが。いぇ、そうですね。公私混同してしまいました。申し訳ありません」

「構わん。ルシェルが人の機微に聡い事は素晴らしい長所だ。現にいつもは俺がルシェルに助けられているしな」

「隊長 ……! ありがとうございます」

 ダンカンがルシェルを諭すと、ルシェルは自身が衛兵隊副隊長であり、この街に住む住民に対して負っている責務を改めて自覚し謝罪した。すかさず部下をフォローするダンカンもまた、優秀な上司であった。

「と、いうわけだ。恵子殿、どうだ? 話してくれないか?」

 ダンカンが改めて恵子に向いて聞いた。ダンカンとルシェルが会話している間、恵子とタクマはアイコンタクトでダンカン達に事情を話すことを決めていた。

 恵子が眉根に皺を寄せ厳しい顔をしながらもその口を開いた。

「仕方ありません。私達に掛けられている禁術は ――私のお腹に居る子を封印する為のものです」

 そう恵子が話した時、タクマはその禁術を掛けられた時の事を思い出し、力の限り歯を噛みしめた。

「胎児を封印だと? どういう事だ?」

 禁術にしては限定的な効果な事にダンカンは訝しげな表情をした。彼が行使できる禁術も、伝承などで聞く禁術も、いずれもその規模と力が絶大なモノであり、だからこそ禁術に指定されているものばかりだ。胎児を封印するだけで禁術指定される理由が思い浮かばない。ルシェルも横でまた首を傾げて辺りに甘い香りをわずかに振り撒いた。

 そんなダンカンの反応を予想していたのか、恵子は頷きながら続けた。

「お二人の疑問は尤もです。何故、私たちが禁術を掛けられたのか、どうしてお腹の子が封印されたのか、封印という限定的な効力なのにどうして禁術なのか。それは私たちがこの世界に来た時から話す必要があります。長くなりますが、ダンカン様達のお時間は大丈夫ですか?」

「あぁ ……構わない。司令部に残っている奴らには指示を出してある」

「はい、街に散っている他の隊員にも既に指示は通達済みです。問題ありません」

 二人は恵子達と向き合って話をしている間にも、時計型晶道具の通信端末を使って連絡を取り合っていたのだ。二人が頷くと恵子は続きを話し始める。

「それでは、まず私たちがこの世界に来た時 ――」

  ――長い夜が明け、衛兵隊宿舎に戻ってきた隊長と副隊長を見た隊員達は二人を酷く心配した。ダンカンは深く静かな怒りを湛えた憤怒の表情をしており、ルシェルはその可憐な瞳いっぱいに溜めた涙が零れ落ちないよう、唇の端から血が滴るほど歯を噛みしめ、やや上向きに歩いていた。そしてその一か月後、街を長く騒がせた黒犬が捕縛され、処刑された。



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