第04話
「それで、何か言う事はあるのかしら?」
そこは聖都プロメアの東門近くに位置する老舗の民宿、韋駄天。宿屋としてはこの街の中では一般的な大きさや並の調度だが、彼らがここに滞在する理由は店の名の由来にもなっているサービスの迅速さだ。料理を注文受けてから提供までの時間や、宿に戻ってからの湯張りの準備など、事細かな所まで行き届いたサービスが彼らの琴線に引っかかったのだ。
――それはともかく。今、この宿の二階角部屋の一室は静かな、それでいて気の弱いものなら卒倒しそうな程、濃いプレッシャーに満たされている。いつもなら一階にある食堂も夜更けまで喧騒に包まれているものだが、先ほどこの部屋の人物の発した怒声により、シーンと静まり返っている。まるで、嵐の脅威が自分たちの方へ向かないように。
「黙っていてもわからないわ。怒らないから、ちゃんと理由を話してね?」
既に怒っているじゃないか、と思いながらも部屋の中央で正座している男――深居 拓磨はこれ以上怒りを買わないよう、せめてちゃんと目は見ようと彼に先ほどからプレッシャーを与えている人物へと目を向ける。
肩まで掛かった艶のある淑やかな黒髪、切れのある涼しげな目、筋の通った鼻梁、ややぷっくらと柔らかさを感じさせる桃色の唇。肌は日本人にしてはやや白く、身長も百七十弱と高く、脚も綺麗な脚線美を持ちながらも肉感的でもあり、扇情的な色気を放っている。更にその身に纏うのが黒を基調とし、鮮やかな白と青の装飾を施された和装が、より一層彼女の上品な雰囲気を引き立てている。色気がありながらも品があり清楚に感じる彼女は、十人に聞けば十人が美人と評するであろう。タクマ自慢の妻、深居 恵子である。ちなみに、タクマよりも恵子の方が年齢は上の、いわゆる年上女房でもある。但し、傍目からはタクマより恵子が年上だとは分からないだろうが。
(下から見る恵子も、可愛いなぁ)
自分の置かれている状況を認識していながらも、場違いな事を考えるタクマ。彼は今でも妻が自分に振り向いてくれた事が何かの間違いではないかと感じる事がある。誰もが美人と認める妻とは違い、彼自身は至って凡庸なのだ。顔も平凡でどちらかと言えば不器量。身長も百七十と少しと、妻がヒールを履けばほとんど同じ高さになる程度しか無いのだ。外見で妻が自分を気に入る事は無いと思っている。実際、付き合う前はタイプじゃないと直接言われた事もあるのだ。なのになぜ、こうして今も夫婦で居られるのか。それはタクマ自身が、妻である恵子を幸せにできるのは自分しかいないと、出会った時から強く想い続ける事ができたからだ。少なくとも、彼自身はそう思っている。現実に妻が自分と結婚することを受け入れてくれ、今でもこうして一緒に居るのだから、あながち外れてはいないだろうと思っているのだ。
しかし今は過去を振り返っている場合ではない。そろそろ現実を直視して、この窮地を乗り切らなければならない。逃げ道がないにしても、味方は増やさねばならない。決して恵子にばれないよう、タクマは慎重に心話を繋げる。
『ソル、とにかく正直に話すから、お前からも不可抗力だって援護してくれ!』
その相手はこの世界に来てから心話で話す事の出来るようになった愛犬、ボーダーコリーのソルだ。中央に正座しているタクマの背後に、尻尾を丸めたままビシッとお座りしている。不動で。
タクマから心話が来た事に内心驚いたものの、表には出さないよう注意しながらソルは返事を返す。
『ご主人、ボクはありのままを話すのです! きっとそれが皆の為になるのです!』
援護要請に対し、どちらともとれる返答をするソル。愛犬の確かな忠誠心を確認し、孤立無援で戦う覚悟を決める。
『お前はそう言う奴だったな……。仕方ないな。そう、例えこの後俺のお小遣いが減って、買い食いでソルに分ける分を買えなくなっても、仕方ないよな』
『ご、ご主人! それは困るのです! 奥様を頑張って説得するのです! お互いの為なのです!』
『そう思うなら援護しろ! 出来ないなら、せめて祈れ!』
『が、頑張ってみるのです! とりあえず祈るのです!』
ソルは尻尾をピンと立て真っ直ぐ前を見つめる。その姿が視界に入っている恵子は、自分が知らぬ間に行われたであろうやり取りを、恐ろしいほど正確に読み取っていた。
「話さないと思ったら、二人で内緒話をしていたのね。で、ソルは当てにならないとして、どう説明してくれるのかしら?」
「あぇ!? えーっと、ですね……」
心話でソルト話していたのがバレてしまっていたことに動揺をかくせず、タクマはどもってしまう。しかしこのまま居ても事態は好転しない為、意を決して死地へと一歩を踏み出す。
「ダンカンのおっさんが本気になって契約領域生成まで使ってきたんだよ。だから――」
必死の表情で弁明をするも、途中のセリフから恵子が被せて急所を突く。
「だから私たちの事が露見してしまうかもしれない次元転移をすぐに使ったの? 私まで心話飛ばす事も出来たのに?」
「そ、それは! あと少しでおっさんとショートレンジでぶつかる事になりそうだったから、時間も無くて……そ、それに! ちゃんとホームストーン使ったように見せかけもきちんとしたで!」
焦りながらもきちんと予防策は取っていることをアピールする。最後に訛ってしまったが、このプレッシャーの中で言うべき事は言えたのだから十分、及第点だろう。そんなタクマを見ながら恵子は思案する。黒犬と、自分たちをダンカンが繋げる事ができるのか、その余地を残してしまうのか、を。しかし今早急に対処しなければならない事がある。
「それを先に言いなさい! ホームストーン使ったとダンカンさんが推理すれば、契約領域生成まで使ったダンカンさんが民宿を改める事に踏み切ると考えたほうが良いわ! この宿には外部のワーカーも多く泊まっているから、必ず衛兵隊の手が入るわ」
この民宿韋駄天には、プロビデンス機構の五行教会の信者ではないエージェントである通称ワーカー、それもこの国以外から来た者達が多く泊まっている。東門のすぐ近くに位置するこの民宿は、このカエルム神国に入国するのに通常用いられる、空を飛ぶ魔道船から降りてきた乗客が必ず通る道沿いにあるのだ。陸路で来る者も西門か東門からこの街に入ることになる。必然、そこそこの広さを持ち評判も良くリーズナブルなこの宿は、身軽な者達にとっては御用達のお店なのだ。特に、プロビデンス機構に所属する者にとっては急な依頼等があった際に、速やかに食事等が手配できるのは非常にありがたいものなのだ。
そんな民宿をこの街を知り尽くした衛兵隊が把握していないわけがない。タクマ達が時空転移して戻ってきてから十分になろうとしている。すぐにも手入れの者がやって来るだろう。
「そ、そうだった! 服を替えないと!」
慌ててタクマはメニューを開きステータス画面から登録してある装備セットを選択し、有効化する。その瞬間、一瞬タクマの体が淡い光で包まれた。直後には、全身を黒で基調とした装束では無くなり、その装いを変えていた。上はワイシャツ、下はスラックス。さらに足はスニーカーと言う、休日のサラリーマンといった風情だ。ややお腹も出ているため、どちらかと言えば休日のお父さん、であろうか。しかし彼の名誉の為に補足すると、彼は二十八歳、まだぎりぎりおじさんでは無い、はずだ。
着替えを終えた後、タクマはアイテムボックスにしまっていたホームストーンを出して握りしめ、胸の近くへ近づけ起動する為に念じる。数秒後、タクマは部屋の中央から部屋のドアすぐ近くに転移していた。
その間に恵子はこんな時の為に用意していた幾つかの小道具をメニューのストレージから取り出して部屋の端にあるテーブルの上へ並べていく。並べ終えたらベッドに腰掛け、最近密かに嵌っている無名作家の恋愛小説「私と貴方と、過去と未来 第三巻」を片手に取り読み始める。
ちなみに、タクマの使ったアイテムボックスと恵子の使ったストレージの違いはその機能性に差がある。どちらも任意の非生物の物質を認識できる単位で異次元空間へと格納できる。但し、アイテムボックスはメニューを介さずに思念操作で取り出す事でき、かつ出現場所も自身の手が届く範囲内であれば指定もでき、瞬時に取り出せる。利便性が高いが、その許容量には個人差がある。タクマであれば東京ドーム一個分程の質量迄入れる事ができる。一般的な者は一軒家分と考えれば、数倍の容量を持つ。ソルも扱えるがその容量は精々コンテナ程だ。アイテムボックスはクリスタルを持つ者の中でも、二人に一人は先天的に操作する事ができる。プロビデンス機構の指導教員に教えを請えば、後天的に習得する事も可能だ。決して珍しいものではない。
対して恵子が使ったストレージはアイテムボックスとは違い、メニューから直接操作する必要があり、アイテム取り出しにも多少時間がかかる。その代り、格納できる容量には制限が存在しない。また、思念操作を直接行えない為、アイテムボックスのように剣を構えたまま武器だけ入れ替える、等細かく指定も出来ない。そのアイテムの占領するスペースを、自分を中心とした半径三メートル以内に指差して指定しなければならないのだ。使い勝手に癖はあるものの、商売に携わる者にとっては必須の能力であろう。この世界で商いを生活の糧とする者の、最低限の資格条件と言っても差し支えない。ストレージは先天的に持つ者は十人に一人と、アイテムボックスと比べ術者は少ない。同様にプロビデンス機構から学ぶことは出来るが、アイテムボックスの十数倍の費用が掛かる。その事からも、ストレージを使う事が出来る者が増えづらい理由が窺える。
また、タクマとソルはストレージは使えずアイテムボックスだけだが、恵子はどちらも使える。その為、殆どの物資や財産などは恵子が一元管理している。勿論、金銭もだ。
恵子はタクマが転移したことを横目で確認すると、次の準備をするよう促す。
「ほら、立ってないで椅子に座ったら? ソルもいつも通りにしてたらいいわよ」
「あ、あぁ。そうだね」
タクマは慌てないよう気を付けながら、テーブルの横にある椅子を引いて座る。
『はい、なのです。奥様!』
ソルはいつもの寝るときの定位置であるベッドの横手で尻尾を丸めて寝そべる。朝、日が昇ると真っ先に日が当たる特等席でソルのお気に入りの場所だ。
恵子はそれぞれが定位置についた事を見届け、小説をめくり始める。
「よし、いいわ。じゃあ二人とも、衛兵隊が来ても私が出るから、自然にしててね」
恵子の言葉にタクマとソルが返事をする前に、まるで狙ったかのようなタイミングで部屋のドアがドンドンと叩かれる。
「――失礼! 衛兵隊のダンカンだ。賊の改めの為、夜分申し訳ないがご助力頂きたい。緊急の事態の為、三分経っても応答がない場合は踏み込ませて頂く事になる。速やかに応答されたし!」
その声を聴いた瞬間、恵子は眉を一瞬顰めた。まさか衛兵隊を率いる隊長であり、今回最も注意をしなければならない当のダンカン本人が来るとは思わなかったのだ。しかし、ダンカンに返事する迄に変に間があれば、勘ぐられてしまう可能性がある。懸念しつつも恵子は自然体で声を返す。
「こんばんは、兵隊さん。こんな夜遅くまでお勤めご苦労様です。今開けますので、お待ち下さいね」
恵子は万が一突入されるような事態になっても対処できるよう、自然体を装いながらも油断せずドアを開けダンカンを迎え入れる。
「……これは、お美しいご婦人だ。ご婦人の寝室に不躾に訊ねて申し訳ないが、緊急の事態の為ご容赦頂きたい」
ダンカンはドア越しに聞こえた柔らかな声から、ある程度器量のある女性だとは予想していた。衛兵隊という職務上、貴婦人を含めた数多の見目麗しい女性と接してきたのだ。異性問わず外見に惑わされないよう人を見る目には人一倍の自信がある。その自分を以てしても、一目見た瞬間、心を鷲掴みされるかのように見惚れてしまったのだ。むしろ、一瞬で自分を取り戻したダンカンは褒められても良いだろう。何しろ、ダンカンと同行している恵子と同性である部下と思しき女性兵士ですら、恵子を惚けて見てしまっているのだ。この女性兵士自身、自らも周囲から美人と思われるであろう事はその人生経験から自覚している。腰まで流したストレートのきめ細かい金髪、小妖精の特徴である先端が尖った気品を感じさせる耳、小妖精には珍しい大きめの愛くるしい目、小ぶりな鼻と薄桃色の唇。衛兵隊一の美人と称される彼女――ルシェル・イルバードであったが、自分と並びうる、もしくは自分以上に雰囲気と外見が洗練されている女性に出会ったのは、自身が忠誠を尽くす主人を除いて初めてだ。もしかすると、彼女の主人にも比肩すると言われても納得してしまうぐらい、恵子の雰囲気に呑まれていた。しかし、ダンカンが声を発したところで彼女も気を取り直す。すぐさま切り替えられる彼女もまた、優秀なのであろう。
ダンカン達の一瞬見せた動揺には気付きながらも、表面上は何事もなく恵子は話を進める。
「いぇいぇ、噂に聞くダンカン様ともあろうお方が、直接現場に出向いて来られるほどの事態です。この街にお世話になっている者として、協力は惜しみません。どうぞお気になさらずに。それよりも、何があったのですか?」
「それは有難い。話が早くて助かる。近頃、この街で噂になっている黒犬と呼ばれている盗賊が居るのをご存知だろうか? その黒犬が先ほど、我々の追跡中にホームストーンを使って逃走を図ったのだ」
ダンカンは説明を始める。勿論、その間に恵子の横から覗ける範囲に、テーブル傍の椅子に腰かける男と、ベッド脇に寝そべっている犬を確認する。一件その変に居そうな男だが、何故かダンカンは椅子でくつろいでいる様子に何か引っ掛かるものを感じた。
(はて、あの男……)
だが、ダンカンが自分の直感の裏付けをする前に、恵子が話を進めてしまう。その為、彼は自身が気付きかけた事の重要性に気付かず、目の前の話に意識を集中してしまう事になる。
「はい、存じ上げております。なるほど、でしたら私たちのクリスタルの波動をお調べ頂ければ宜しいのでしょうか?」
その自分の言葉の先を引き継いだかのような恵子の言葉に、ダンカン感嘆の表情を浮かべる。
「……これは参りました。その通りです。我が衛兵隊がクリスタルの波動を調べられる事をご存知という事は、ご婦人方はこの国に来て長いのかな?」
「これはご挨拶が遅れまして申し訳ありません。私はケイコ・シンイ。プロビデンス機構所属のワーカーです」
まるで貴族の令嬢がするかのように優雅で気品のある挨拶をする恵子。和装であることも相まって、それはもはや神秘的にも見える。
「そしてあちらにいるのが、主人のタクマ・シンイです。同じくワーカーをしています。それと、愛犬のソルです。ソルは晶霊犬で主人がマスターです。心話であれば人語も話せます」
タクマは会釈し、ソルは身を起こしてワンッと一吠えしてそれぞれダンカン達へ挨拶をする。
「ほぉ、晶霊犬ですか。クリスタルに宿る晶霊が様々な姿を持って具現化すると聞きますが、犬を模した晶霊とは珍しいですね」
ルシェルはソルを見て感心の声を漏らす。
「ん、そうなのか? 晶霊種なんて結構見かけるじゃないか?」
ダンカンが部下の感想を聞いて首をかしげる。犬自体は太古から親しまれて愛されてきたのだ。畜産業を営んでいる者を除けば、最も見慣れる動物の一つであろう。その為晶霊が姿を具現化する際に、親しみやすい犬の姿を模してもおかしくないように感じる。
「ダンカン様、確かに晶霊種自体はその数は多く珍しくはありませんが、意外と犬を模した晶霊は少ないのです。晶霊は多くの場合、ある程度個体の能力が高い生物の姿を模します。それはクリスタルの力を存分に発揮する際には、その力に適した姿であることが最も効率的に行使できるからです。その為、犬や猫などのいわゆる愛玩動物と呼ばれる姿を模して晶霊が具現化する事は少ないのです。街中で多く見られる晶霊種としては、晶霊馬が一般的かもしれませんね。生身の馬とは違い、その活動にはレイを用いますから維持にコストも掛かりませんし、契約するマスターの力量によっては馬の何倍もの荷重にも耐えられます。また、ある程度戦闘もこなせますし、いざとなればクリスタルに戻ってアイテムボックスに収容する事も出来ますからね」
「お、おぅ……そうなのか。ありがとうな、ルシェル。為になった」
ダンカンに呆れの表情を見せながらも、説明を始めると嬉々とした表情で語るルシェルに若干引きながらも、ダンカンは礼を言う。
「ダンカン様、常日頃から鍛錬に励まれることも住民達と交流を深める事も良い事ですが、衛兵隊を率いるものとして知見を広める事も大事だと申し上げているではありませんか。落ち着いたら、ダンカン様には私自らが僭越ながらもお手伝い差し上げます。宜しいですね?」
「わ、わかった、わかった! わかったから! ひとまず今は、仕事を片付けよう!」
ダンカンはその愛くるしい瞳を細めて凄んでくる部下に動揺しながらも、自分たちの職務を全うすべく慌てて話を切り上げる。
その様子を横で見ていた恵子は、興味を引かれたのかルシェルを微笑みながら見つめていた。その視線に気づいたルシェルは慌てて恵子に向き直る。
「これは失礼致しました、ケイコ様。私、衛兵隊副隊長、ルシェル・イルバートと申します。恐れ入りますが、奥様のクリスタルの計測は私が担当させて頂きます。宜しくお願い致します」
仮にも自らの上司である隊長を外部の者がいる前で説教じみた苦言を呈してしまったのだ。若干バツが悪そうになりながらも、ルシェルは自己紹介をする。
「ご丁寧に有難うございます。私たちも為になるお話をお伺いできて良かったです。何しろ、ソル以外の晶霊犬に出会わない事が兼ねてからの疑問だったのですが、それがルシェル様のお蔭で腑に落ちましたので。有難うございます」
そう恵子がルシェルに感謝の意を示すと、ルシェルは慌てて返礼をする。
「そんな! お礼だなんて、恥ずかしいです。それはともかく! ほら、隊長も自己紹介を!」
自身が話を逸らした事は脇に置いておいて、ダンカンへ促すルシェル。副隊長に相応しい振る舞いをする一方で、こうした少女のような仕草を見せるルシェルに、恵子たちは温かい気持ちにさせられる。
「では、改めて。カエルム神国衛兵隊、隊長ダンカンだ。今更だが、我々カエルム神国の衛兵隊は独自のクリスタル、レイの調査技術を持っている。その一つに晶霊術や晶霊具を用いた際の術者固有のクリスタルの波動を計測・記録・照合する術がある。先ほど黒犬がホームストーンを使用した際に、奴は何らかの晶霊術でレイを操作していた事がわかった。そのレイを解析し、奴のクリスタルの固有波動も特定できている。そして、この国の住民は一人の例外もなく固有波動の登録はされているが、適合者は居なかった。その為、固有波動が国に登録されておらず、現在もこの国に滞在している者を対象に照合を行っている。照合を拒否する事も可能だが、私の許可が無い限りこの街から出る事は出来なくなる。勿論ご存知の通り、この街では空間転移は領域設定により行使できない。ま、そこらへんは察してくれ」
ダンカンは最後に肩を竦めながらそう言葉を締めた。そして恵子にどうするか視線で問う。
「勿論、先ほども申し上げたとおり、私たちにできる事であれば協力は惜しみません。どうぞ、お調べください」
「悪いな。時間は取らせない」
恵子が自然に笑みを浮かべながら返すと、ダンカンは照れながら手間を取らせる事に詫びた。そうと決まれば、無駄に時間をかけるわけにはいかない。
「よし、なら旦那の方は部屋の外に俺と一緒に来てくれ。ルシェルは奥さんの方を頼む」
「分かりました」
「はい。では恵子様、こちらへ」
「はい、宜しくお願いしますね」
ダンカンの言葉に従い、タクマは後を追って部屋の外の廊下へ。ルシェルは入れ違いに部屋の中へ入り、恵子を椅子へ座るよう促す。ソルはする事もないのでまた横になってまったりしている。
――ダンカンと共に部屋の外の廊下へ出たタクマは、先を行くダンカンを追って歩く。廊下の突き当たりにあるタクマ達の部屋とは反対側へ向かい、一階へ降りる階段の間にある踊り場まで来て、ダンカンは立ち止った。
(なんでわざわざ部屋から離れたんだ? 女性陣の前では言いづらい事でもあったのかな?)
そのダンカンの行動に首をかしげながらも、タクマは振り返ったダンカンと向きあう位置で立ち止まる。暫くしても声を発さないダンカンにタクマが焦れて声を掛けようとした。
「あの、ダンカンさん。何でここまで――」
それを遮ってダンカンが言い放つ。
「――お前、黒犬だな?」
「――え?」
ダンカンが不意に発した爆弾発言に、一気に頭が真っ白になり立ち尽くすタクマであった。