第01話
「……ゃん! タク……ん! タクちゃん!」
体を揺すりながら起こす声がする。
(ん……。もう、朝か~。昨日は遅くまで海外ドラマ見てたから、もう少し寝てたいんだけどなぁ。何時なんだろう……)
「ん~……おはよう。恵子ちゃん、起きてたん? いま何時~?」
「もう、そんなこと言ってる場合じゃないよ! ここ知ら無いとこだよ!」
「え~どういうこと? もう、今起きるから、ちょっと待って」
(知ら無いとこ?どういうこと?確かに昨日はドラマ見ながらリビングで寝たと思うんやけど。……あれ、リビングのカーペットってこんなにチクチクしたっけ?)
そこまで考えが及ぶにつれ、ようやく頭が覚醒していく。そして身を起こしながら目を開けていくと――そこは、水平線の先まで続く広大な草原だった。
「え!? なんで? どっきり?」
そう思わずには居られなかった。何しろ記憶の中ではちゃんとリビングで寝ていたハズだし、こんな広大な草原には見覚えすらない。今の地球にこんなところあるんだろうか?あるとしたら映画の撮影に良さそうだな、などと考えてしまう程、困惑してしまっていた。
「わかんないよ! タクちゃん、なんで私たちこんな所にいるの? どう考えてもおかしいよ!」
(よくわからんけど、まずは恵子ちゃんを落ち着かせないと。それから考えよう)
「まってまって、恵子ちゃん落ち着いて。ひとまず、落ち着こう。焦らず考えよ?」
声をかけながら、恵子を抱き寄せて背中をさすりながら声をかける。
「……うん、わかった。でも、なんだか怖いよ」
「大丈夫、そばに居るから。きっとなんとかなるから」
「うん」
ひとまず、恵子が落ち着くまでそのままでいた。そうしている内に、自分自身の気持ちも落ち着いていく。そして段々、恵子の息も落ち着いてきたようだ。
「――恵子ちゃん、落ち着いた?」
「うん、大丈夫。ありがとう」
「よかった。手、つなご」
「うん!」
ぎゅっと、恵子の手を握る。
(冷たい。よっぽど怖かったんだな、俺が起きるまで一人で……ごめんな。にしても、ほんとにここはどこなんだ?)
「恵子ちゃんはどれぐらい起きてたん?」
「たぶん、10分ぐらい。タクちゃん中々起きてくれなくて、怖かったんだから」
「ごめんごめん。……でも、本当にここはどこやろうね? こんな広い草原、初めて見た!」
「うん、私も。それに、なんだか視界に変な画面が浮いて見えるよ」
「え? 画面?」
広大な草原に意識が向いてしまっていて先ほどは気づかなかったが、確かに視界の端に画面…というより、パソコンのウィンドウみたいなものが浮いているように見える。
「ほんとだ、なんやろう。――あ、意識したらよく分かるようになるね」
(あれ?これって……メニュー?)
そう、それはよくゲームなどで見かけるメニュー画面のようなものが表示されている。
落ち着いて観察すると、メニュー画面の他にもマップ画面、ログ画面が表示されていた。
「なんかこれ、ゲーム画面みたいだな」
社会人になって暫くしたらあまりゲームはしなくなったが、これでもそれなりのゲーマーだったと自負している。特に嵌ったのは、洋ゲーと呼ばれる欧米発のMMORPGの中でも世界的に有名なビッグタイトルだった。尤も、最近ではスマホで出来るようなゲームしかしていなかったが。
「ゲーム?」
「うん、昔やってたゲームとかだと、色んな情報が見れるような表示がされてたんだ」
「じゃあたくちゃん、ここがどこかわかりそうなの!?」
繋いでる恵子の手に力が入る。それはそうだろう。なぜメニュー画面などが見えるのかなどよりも、今自分がどんな状況に置かれているのかわからないままというのは、精神的に非常に辛い。それが少しでも分かるかもしれないとなれば、期待してしまう。メニュー画面などの考察は現状を把握した後からでも構わない。
(ここは何処か……。マップ表示が現在値周辺を表示するミニマップになってるから……ワールドマップを表示すればいいか。よし、できた)
「マップを見る限りだと、ここはソレイユ草原っていうとこみたいやね。場所は……」
そこまで言って、言葉が続かなくなってしまう。
「どうしたの? やっぱり、ここが何処かはわからない?」
恵子が不安になって聞いてくる。
「あぁごめん、たぶん、ここがこの世界でどの辺りなのかは分かったんだけど…」
「なら良いじゃない! 何か問題あるの?」
「問題というか……確かにこの世界での場所は分かった。でも、『この世界は地球じゃない』みたいなんだ」
「……え?」
確かにマップ画面をワールドマップ、すなわち世界地図に表示変更したことで現在地がどのあたりか、確認はできたのだ。しかし、その世界地図には『地球の世界地図では無い』のだ。ワールドマップに表示されている世界名は『イリス』。勿論、そんな名前の世界には心当たりが無い。
そもそも、地球ではメニューやマップが視界になど存在していなかった。
(……ほんとに、どうなってるんだ。)
思わず、天を仰がずにはいられなかった。
(って、現実逃避してる場合じゃないな……。そういえば、他には人はいないのかな?)
「恵子ちゃん、他に人とかいなかった?」
「う~ん……あんまりよく見てなかったけど、いなかったと思うよ」
「そうかぁ。この辺には俺たち二人だけなんかな」
そう会話しながらも、周囲へと視線を向ける。水平線まで続く草原に生えているのは、膝丈暗いの草だ。周囲ぐるりと見渡しても草しか無い。遠くには山脈と思わしき影がうっすらと見えるが、遠すぎるためかはっきりとは見えない。
ワールドマップでソレイユ草原を見てみると、四方が山脈に囲まれた盆地になっているようだ。この草原から抜け出るにはいずれかの山脈を越えねばならないようだ
しかし、世界の縮尺がどれぐらいかはわからないが、かなり広大である。所々森や湖らしきものが点在しているが、草原の広さに比べれば微々たるものである。
(マップ便利やけど、難点は人のいそうな町も何も表示されていないことやね。……結局、この草原が広いって分かっただけか。道を知らない山を越えるのも死ににいくようなもんやね。となると、この草原で他の人に出会えたら良いけど)
結局のところ、現時点では何もわからないのだ。何をするにしても情報が無い。まずは何かしら状況を知っている人物を見つける他ない。
「ひとまず、北の方に行けば湖があるみたいやから、その近くになら誰か人がいるかもしれん。そっちに向かおうか。恵子ちゃん、歩けそう?」
「うん、そうだね。ここで考えても仕方ないもんね。……うん、大丈夫!」
「良かった。大丈夫、二人一緒ならなんとかなる!」
「またいつもの安請け合いして~! タクちゃんはいつでも変わらないね」
恵子も少し落ち着いてきたのか、いつも通りとはいかないまでも会話にも余裕が出てきたようだ。表情も程よく力が抜けて柔らかくなっている。
(良かった、まず何よりも恵子ちゃんが前向きになってくれるかが心配やったからなぁ。少しでも早く、誰か見つかりますように!)
しかし一瞬、(これってフラグでは?)と思ってしまったが口には出さなかった。そうして恵子の手を引いて歩こうとしたその時、その声は鳴り響いた。
『待って欲しいのだ、ご主人!』
「「え?」」
二人とも驚いて躓いてしまいそうになりながらも、支えあうことでなんとか転ぶのは避けられた。いくら草原といっても、小石や土、場所によっては泥もある。痛いわ汚いわは勘弁だ。
「なんだ、今の声」
そういいながらあたりを見渡しても誰も居ない。先ほども何度か見渡して誰もないことは確認していたのだ。なら、今の声はどこから聞こえてきたのか。恵子が警戒感も露わに問いかける。
「……誰、なの!?」
『心配ないのだ! 今からそちらに行くのだ!』
どう考えても心配になる。この状況で突然姿も見えないまま声が掛けられて、警戒するなという方がおかしい。相変わらず姿は見えないが、向かって右手の草薮がガサガサと揺れ始めた。
「!恵子ちゃん、後ろに!!」
咄嗟に、後ろ手に恵子を庇い何かが飛び出してきたとしても、最悪身を挺して恵子を守れるように気を張る。
しばらくガサガサが続き音源が近づいてきたかと、ぴたりと止んだ。暫しの静寂の後……ひょこっと、それは顔を出した。
『ご主人、奥様! ボクなのだ!』
「「え……」」
二人は驚くを通り越して呆然としてしまった。それは余りにも予想外な登場だったからだ。(二人の体感で)短くない時間、互いに動かなかった。しかし、このままでは何も現状は変わらない。意を決し、タクマは声を発した。
「――ソル、なのか?」
『はい! ご主人! お目覚めになられて良かったのです!』
なんと、ひょっこりと顔を出したのは二人にとっても家族のような存在のソルだった。出会えたのは嬉しい。こんな状況だ、家族ともいえるソルが共に無事でいてくれたことは何よりも嬉しい。只、一つ問題がある…。
「ソル、お前……喋れる、のか?」
そう、ソルは地球にいる際には二人と会話することは出来なかったのだ。何か二人に伝えたいことがあるときは、身振りなどで意思を伝える必要があったのだ。その筈なのに、なんとも流暢に話し掛けてきている。二人は開いた口が塞がらない。
『そうなのです! 気が付いたら意識がこれまでよりもはっきりしてて、なんと喋れるようになったのです!』
ソルは嬉しそうに言いながら、草薮から全身を出して尻尾を振りながら、二人の近くへ歩み寄ってきた。二人が最も驚く理由はこれだ。そう、尻尾があるのである。――信じられない思いでタクマは呟く。
「お前、犬……だよな?」
『はい、なのです!』
二人が家族同然に思っていて、タクマが恵子と付き合う前からずっと傍にいる存在。ソルは犬…犬種で言えば、ボーダーコリーなのである。愛らしさと男の子らしい精悍さのある顔は公園などに行けば、子供や女性には大人気である。そんなソルは、二人にとってペットではなく家族同然なのだ。
今、二人の前に姿を現したソルはその瞳を輝かせて尻尾をぶんぶん振りつつ、こう続けた。
『やっと、ご主人達と話せるようになったのです!』
(ほんとに、どうなってるんだ……これは)
もはやこの二人を取り巻く環境の変わりように、驚きや不安を通り越して、諦観とも思える気持ちになっていく二人だった。