最後の人類
暇過ぎて気が狂うって感覚は、一度味わってみたいような見たくないような。
透明な管の中では、無色透明なジェル状のものがボタボタと流れている。これを一日眺めているのが、男の日課である。機械文明は大したもので、このジェルがありとあらゆる食べ物に整形されるのだ(匂いも味もかなり良い)。今や、この工場も、室内の気候再現やこの食事のシステムも、かつての数倍は生きられるような健康管理システムも、全て男一人の為に動いている。明らかに過剰な質と量だが、別に男が金持ちだとか、そういう理由ではない。いや、ある意味で現在男は世界一の金持ちで、同時に世界一の貧乏人だと言えるのだが。この星には最早、男以外の人類は生存していない。
男の食事は、過去人類がしていたそれとは大きく違う。ただ接種するだけのジェル状の接種物とは違い、古今東西あらゆる食べ物の形や食感、匂いが再現されたものが皿を彩る。これを、テーブルの下から這い出したようなアームが、男に器用に食べさせる。機械の腕、と言っても男の食事ペースを完璧に把握しており、目や体の動きで様々な事を察知して、その場その場で最良のタイミングでものを提供、あるいは取り下げる。マナーも全て網羅しており、素手を使って食べるものから、一度の食事に食器を二〇は使うものまで、全て機械が完璧に守って食べさせる。今日もまた、機械は守る意味の無いマナーを守って男の口に食事を運ぶ。
透明な管の中では、相も変わらぬ光景が広がっている。まだ人類が複数居た頃、男の仕事は食糧の生産ラインを見守るものだった。と言ってもこの機械、そうそう壊れる事も無い。その上壊れたところで、一〇ある予備のうちの一つがすぐさま稼働するのだ。壊れた一つは修理機械によって完璧に修復され、一〇の予備のうちの一つとして加わる。この仕事、男は全く必要無いのだが、それでもかつての習慣で何となく続けていた。別に他に娯楽が無い訳ではない。むしろ音楽、仮想空間旅行、本のデータ等、男一人には過剰なくらいのものが揃っている。ただ、それらを共有する相手が居ない以上、男は馬鹿馬鹿しいと思い、手を出していない。しかしこの男、と言うより男の周りは孤独とも無縁である。少しでも心理的な影が見えるや否や、室温から食事、耳に入る音楽に至るまで、周り全てがその影を取り払おう動く。この世界は、男に自殺すら許さない。
透明な管の中では、録画されたものの再生のような寸分違わぬジェルの大移動。明らかに男一人分には過剰な量のそれは、余った分だけ外に廃棄される。外気に触れるだけで分解が始まり、一切環境に影響を及ぼす事も無く消えていく代物らしい。自分も消えてしまえたなら。そんな考えすら、男はさせてもらえない。
人類管理のシステムは完璧なもので、室内でありながら微妙な湿度や室温によって、四季や特定の地方の気候すら再現される。一歩も外に出ない男ではあるが、その肌は健康的に焼けている。毎日決まった時間に自然に起きるよう設定され、食事後はやや眠くなるよう促される。何をするにも完璧な環境が用意され、決まった時間に眠くなるように出来ている。まるで自身すら機械ではないか。そんな男の考えも、すぐに機械によるメンタルケアで上書きされる。
透明な管の中では、急かされるようにジェルが流れている。その機械の前に、今日も男は座る。
絶対に誰かの発想と被ってると言い切れるネタってのも珍しい気がします。