女暗殺者は人たらし領主に絆される。
子供の時分に両親を亡くしたベルカにとって、まともに育つことを許すほど、世界は優しくなかった。炊き出しや日雇いの仕事にありつければ幸運で、それ以外はスリやひったくり、同年代の子供たちと食料の奪い合いで飢えをしのいだ。
ある日、ベルカは見知らぬ大人に捕まってしまう。汚い大人に体を売らされる羽目になるかと思いきや、彼女に教えられたのは殺しの技術であった。身元が定かではない子供を仕込んで、様々な汚れ仕事を任せる。ベルカを捕まえたのも、そういう連中であった。
それでも貧民街での生活に比べれば、暮らしぶりはましになった。少なくとも、言うことを聞いていれば、食事に困ることはないのだから。そうして下積みをしながら、彼女は駒として消費される日が来るのを待っていた。
ある日、顔なじみの男がベルカの寝泊りする小屋にやってくる。彼がかび臭い小屋の中に踏み入れるとあちこち軋む音がなった。
「何か用?」
蓮っ葉な物言いに男は淀むことなく切り返す。
「用があるから来ている。仕事だ」
その言葉にベルカは反感を示すように鼻を鳴らすと、壁にもたれ掛かった。
「とある領主を消せ」
場の空気が凍るような声、予期していない大仕事にベルカの眉がピクリと跳ねる。彼女が感じたのは高揚感でもなく不安でもない。
(ああ、とうとう、この日が来てしまったか)
ベルカを包んだのは諦めにも似た虚無であった。
男が去った後で、小屋の片隅でベルカは堅く焼きしめられたパンをかじる。噛み切れずに口の中でもそもそと咀嚼しながら、後を考えた。この仕事を終えた後の事を。
(やり遂げて、それでどうなる? どうせ次の汚れ仕事がやってくる……)
男たちの手が届かない遠くへ逃げることを思い立つが、
(殺しの道具でしかない私が逃げて…………)
その先をベルカに思い浮かべることはできなかった。
いつしか眠りについていたベルカは仕事のために小屋を後にする。
男は、彼女が領主の元に潜り込むために、屋敷で働く女中の身分を用意していた。
最低限の身なりを整えたベルカは屋敷へと向かう。門のみならず、道中で何度も誰何され、
「この度、奉公に参りました」
感情をおくびにも出さず、村娘として兵士らをやり過ごす。警戒を解いて立ち去っていく彼らを見て、ベルカはぽつりともらす。
「ずいぶん警戒している……もしかしたら私の前で死んだのかも」
そう巡らせたのも一瞬のこと、ベルカは屋敷の方へ足を向ける。到着した彼女は、落ち着く暇もなく仕事を叩き込まれた。
一女中の出入りに領主が関わることはなく、古株の女中たちに言われたことを素直に飲み込んでいく。束の間の日常に、ベルカは研ぎ澄ませた刃が鈍くなるのを覚えた。
(優しくされるのは苦手……早く領主を、標的を探そう……)
領主の顔も知らない中で、ベルカは仕事を装いながら、標的に接近する機会を探っていく。
ある時、執務室につながる廊下を歩いていると、突然、側面のドアが開いた。部屋からふらふらとした足取りで人が出てくる。
(誰かに頼めばいいのに……)
身を硬くしたのも忘れて、思わず素で突っ込んでしまう。目の前の人物は大量に本や資料のようなものを抱え、それがおっかなびっくり歩いているのだ。
そうして目の前でバランスを崩しかけ、
(ああ、もう!)
ベルカは慌てて何冊か引き取り、危ういところで本の落下を防いだ。
「ああっ! ありがとう」
男は本を抱えなおしながら、人の好さそうな声で破顔する。隙だらけで、ベルカをみじんも警戒していない素振りに、思わず彼女は仕込んだ暗器へ手を伸ばす。
「すまないが、部屋に運ぶのを手伝ってくれるかい?」
しかし、次に続く声がそれ以上を押し留める。我に返ったベルカは本を抱えてついて行くと、向かう先が執務室であることに気づく。
(まさか、この男が……? いや、それにしては……でも……)
ベルカにとって、領主とはもっと権威的で気迫に満ちた存在だった。けれど、前を歩く男は温和な雰囲気で、そういうのに似つかわしくない。
迷ううちに部屋の中へと誘われ、男は抱えていた本を机の中央にどさりと置く。
「いやあ、仕事の邪魔をして悪かったね。それで君は?」
同じく本を置いたベルカに男が素性を尋ねる。彼女は女中らしく伏し目がちに答えた。
「ベルカと申します。先週よりこちらで働かせて頂いております」
「そうか、僕はハイランドだ。一応、ここの領主を、やってる…………」
そう言いかけたハイランドは、ベルカの顔を見つめたまま息を呑んだ。
(やはり、この男が領主だったのね。それにしては若々しいけれど……)
間の抜けた返答を聞いて、ベルカはすかさず、部屋の左右に目を走らせる。部屋の中には護衛はおらず、彼女とハイランドの二人だけ。殺すには絶好の機会であった。
ベルカは人を殺せるだけの意思を研ぎ澄ませる。やることは単純だ。素早く近づいて腰の刃物で首を一突きする。そうすれば誰でも物言わぬ肉塊になる。そう考えたベルカであったが、
「その……ベルカだったね。君には良い人はいるのかい?」
顔を赤らめて照れくさそうに尋ねるハイランド。
瞬間、ベルカの殺意は霧散していた。あっけらかんと好意を示され、下そうとしていた手が止まっていたのだ。
(どうして私を好意的に見ているの……?)
怯えでも恐怖でもないハイランドの澄んだ目にベルカがひるむ。それは今にも殺されようとしている者が浮かべる顔ではなかった。
唐突にドアがノックされて、ベルカはすぐに自分の役目を思い出す。「失礼します」と兵士が部屋に入ってくるのと同時に壁際に寄り添った。
「どうした?」
「はっ、これが廊下に落ちておりましたので、様子のご確認に」
兵士の差し出したものを見て、ベルカが内心で舌打ちする。ハイランドを助けた時に、廊下で放ったはたきであった。
「それは私のものでございます。先ほど廊下で……」
口を挟んだベルカを兵士が疑問を浮かべて睨み付ける。
「いや、彼女は大丈夫だ。さっき助けてもらってね」
ハイランドの助け舟にベルカは神妙な顔で頷く。
「そうでしたか……。お前は早く持ち場に戻れ」
鋭く言いつけられて、ベルカは殊勝に頭を下げて部屋を出た。廊下に出た彼女は手を硬く握りしめる。それは得体の知れない感情に、手を止めた不甲斐ない自分への怒りであった。
ハイランドとの出会いは千載一遇の好機であったと、ベルカは思い知る。彼女はあれから一向に機会に恵まれなかったからだ。
その分だけ屋敷内で働くことになり、屋敷の内情や人間関係を耳にした。
(古株の女中たちは皆、寡婦や孤児だったりで、いわば私と同じ……)
そう思いかけてベルカはゆっくりと首を振る。
(私の手はもう汚れている。彼女たちと同じだなんておこがましい……)
さらに、屋敷内の警戒が厚い理由も理解する。
領内の地権や水の管理など、一部の利権が有力者の手に渡っており、ハイランドと争っていること。
証拠はないものの、反対勢力が彼に刺客を送っている。――そんな噂話まで耳にしたのだ。
(私が二人目なんだ……)
状況を理解してベルカは愕然とする。ハイランドを殺せば、女中たちは路頭に迷うかもしれない。しかし、拒めば与えられた使命に反する。
殺さないといけない、殺してはいけない、ベルカは使命と葛藤の板ばさみとなっていた。
後日、悩みを抱える中で、ベルカはよく呼び出されるようになる。お茶を淹れたり、書類を運んだりと、彼女でなくともよい仕事だったが、若き領主の想いを察した女中たちが背中を押したのだ。
ある意味で、両者には絶好の機会になるかと思われた。だが、あの時と違って今は護衛が控えている。
「なあ、ベルカ。少し世間話をしていかないかい?」
「世間話ですか……?」
ハイランドが傍らの兵士をちらりと見る。
「ほら、毎日、武骨な者に守られているだろう? たまには女の子と話をしたいんだ」
「はぁ……」
困惑しながらも、ベルカは機会をうかがう為に誘いに乗った。
「ここの出身かな?」
「いえ、少し遠くにある村です」
ベルカは設定されている村名を答える。
「ああ、あそこか。お茶が有名でね。僕が飲んでるのがそうさ。今度、君たちにも飲んでもらおうかな」
本当はそこの出身ではないベルカは、ハイランドの笑みに、何故か心がズキリと痛んだ。
「家族は? 親はいるのかい?」
「いません……」
「そうか、すまないことを聞いたね」
ハイランドが悪いことをしたかのように頭をかく。
上等だが、収まり悪い椅子に座らされた気持ちになりつつあったベルカが逆に問いかける。
「あの、ハイランド様のご家族は……?」
ベルカがそう問いかけると護衛の兵士がぎょっとした顔を浮かべた。その意味を理解させることなく、ハイランドが答える。
「僕にも家族がいないんだ。つまり、君と同じだね」
短い茶会は「また付き合ってくれると嬉しいな」の一言で締めくくられた。似た境遇のハイランドに、親近感を覚えそうになり、ベルカは自らを戒める。まるで自分に言い聞かせるかのように。
それからしばらく、ベルカは女中としての日常のさなか、何度も何度も自問を繰り返す。しかし、彼女は答えを出すことができなかった。
その果てに、逃げることも抗うこともできず、ただただ日常に身を委ねる。それがただの逃避でしかないことも解っていて。
ある日、ベルカは補充の人員について耳に挟んだ。訪れた新人に皆が朗らかに挨拶する中、彼女がベルカと向き合う。
「よろしくお願いしますね、ベルカさん」
さりげなくベルカにだけ浮かべたニタつく笑み。去り際にささやかれた「臆病者は邪魔しないでくださいね」
彼女が三人目であることは、ベルカにはすぐにわかった。そして、自分が見限られたということをあえて伝えているとも。
三人目の狙いは明白だった。しかし、彼女は見張るベルカをあざ笑うかのように動かない。屋敷の中で二人だけが知る膠着が続いた。
心を削られながら、ベルカは彼女なりの勝機を見出す。それは期限と順番だ。三人目はベルカを先に狙えない。相打ちとなればハイランドは殺せず、任務が失敗に終わるから。
(私が死ねば、警備はより厳重になる……それはあいつにも不都合のはずだ)
そして、ベルカが先送りにした期間も含めれば、三人目に残された猶予はわずかだろうということ。もっとも、こちらはベルカの当て推量に過ぎない。
(私がハイランド様に抱いた感情は恋なのかわからない。でも、こんな私を好きになってくれた人に報いよう)
屋敷中が静まり返る夜半。この刻限には屋敷内の警戒も薄く、見回りをやり過ごし、彼女らが忍んで歩けば、誰にも気づかれない。
少しずつ、少しずつ、彼女は標的が眠る部屋へと近づいていく。
わずかな軋みともにドアを開け、ベッドで眠るハイランドを視認する。ニタりと小さな笑みを浮かべ、ナイフを振りかざすことは叶わない。
「か、はっっ!!」
前もって中に潜んでいたベルカが、後ろから三人目の首元にナイフを突き立てる。見咎められれば言い訳もできない手段に彼女は命を捧げた。
もがきながら三人目の体が崩れ落ち、ベルカの顔や手をどす黒く汚していく。三人目の目には憎悪が満ちており、一人だけ泥沼から抜けようとするベルカを責めていた。
(この女は……何か違えば、未来の自分だったのかもしれない……)
血溜まりに沈んだ背中を見て、そんな考えがベルカの脳裏によぎる。
二人の立てた物音で目覚めたものがいるのだろう。今頃になってようやく屋敷内が騒がしくなり始めた。さらに部屋の主であるハイランドもその例外ではなかった。
ベッドから身を起こしたハイランドは暗闇に浮かぶ血に塗れた顔を見て、恐る恐る問いかける。
「…………ベルカ?」
ベルカはハイランドの声に何も応えない。視線を逸らしてたたずんでいる。
次の瞬間、屋敷の警備がなだれ込んできた。彼らはすぐさまベルカを床板に組み伏せる。
「乱暴はよせ!」
ハイランドが彼らに一喝すると、ベルカに圧し掛かる重みが弱まる。抵抗を見せなかったベルカは両手足を縛り上げられ、屋敷外の離れへと軟禁された。
暗い小屋の中で、時折、尋問と食事が彼女の元へとやってくる。その中でベルカは自分を、自分の知るなにもかもをぶちまけていた。
(ここに……入れられてから、どれぐらいだろう……?)
ベルカはすでに時間の感覚を失い、もはや最期を待つだけだった。ふと、彼女が人の出入りに気づいて首を上げる。
「ベルカ、君は本当に僕を殺そうとしていたのかい?」
ハイランドだった。以前の優しい顔とは違い、今は何ともいえない表情でベルカを見下ろしていた。
「……そうです、知っていることは全部話しました、だから、早く殺して……」
ベルカの懇願に取り合わず、ハイランドはしゃがみこみ、彼女と目線を合わせる。
「死ぬのはいつでもできる。今は……話をしないか?」
問われた意味が分からず、ベルカは首をかしげる。
「君は僕を殺せたのに殺さなかった。そして、あの時も僕を助けた。なぜだ?」
(なぜだろう……?)
実のところ、ベルカ自身にも、その感情はよく分かっていない。いや、理屈付けはできる。殺せば自分と同じ立場の者がさらに虐げられることを忌避したなど、だ。だが、それは完全ではなかった。
「……君はただの駒じゃない。命じられたから動いただけの者なら、あの夜、僕を守ったりはしていない」
正解かそうでないかも分からず、ベルカは口を閉ざしている。そんな彼女を見て、ハイランドは話の方向を変えた。
「僕らは君の情報を元に、領内の悪しきを断ち切るつもりだ。そこに君は含まれていない」
そう言って、ハイランドはベルカの縄を緩めて、手を差し伸べる。
「だから、僕と一緒に同じ夢を見ないか?」
ベルカは意味が分からず、呆けた表情を浮かべていたが、やがて、嗚咽を噛み殺しながら手を掴み取った。
「私……優しくされるの、苦手なんですよ……」
その後、ハイランドは本格的に領地の改革へと乗り出す。すでに、幾度も暗殺に失敗した反対派に妨げる力はなく、彼らはハイランドの宣言通りに駆逐されていった。
一方で、ベルカにはハイランドから離れる自由も与えられたが、彼の側にいることを選んだ。
害するための刃を、守るための刃に置き換える。それが彼女が得た新しい生き方である。
今日もベルカはハイランドの横に立つ。血の匂いはまだ抜けてはいない。けれど、誰かを傷つけることもない。
いつしかそれが無くなった時、初めてベルカは刃を置くことができるのかもしれない。
その日まで、二人は並んで歩き続ける。




