第六話 思ってたのと違う…あれ?
「ただいま。」
すでに時間は12時を過ぎている。
お開きになった後、犬人が見送りを申し出てくれたが小学生を帰り道一人にするわけにもいかず辞退した。本来なら最年長の相模がその役割を担うべきなのだが、ワインボトルを二本も空けてしまえばそんなことができるわけもなく俺が帰ったことさえ知らないだろう。
だって椅子どころか床で潰れていたんだし。
誰も。といっても俺と犬人しかいなかったけど、気にする風もなくそのまま帰ってきた。
「奏。おかえり。遅かったねぇ。人生初じゃない?」
母さんの部屋のドアが開いてメガネ姿の顔を覗かせる。
「ただいま。ごめん。仕事中だった?」
メガネの着用が仕事中のサインだ。こんなに遅くなったのに小言一つ言わないし、この時間の帰宅が初めてなのを祝う気まである。こういう母の性格がありがたい。かと言って、心配してないわけじゃない。小説の原稿はこの間あがったばかりのはずで、こんな遅くまで仕事をする時期まではまだ日にちがある。寝ないで待っていてくれた母さんなりの優しさだ。
「ちょっとだらだら書いてただけだから。それより、どうだった?おもしろかったでしょ?」
ドアから出てきながらにこにこしている。
「そんな簡単に。一体なんだったんだろう体験ばっかりだったよ。」
「それはよかったじゃないの。好きでしょ?あっちの世界。」
「好きだけど。作られたものを見るだけだったのに、いきなり…。」
思い出すと言葉にしにくい。
「なになに?すごかった?」
興味津々で食い気味に寄ってくる。
「ほんとにあるんだなって感じだった。」
「そっか。」
まだにこにこしている。
「なんだよ。ほんとくたくたになったんだから。」
「でも、あんた笑ってんじゃん。」
「え?」
自分の口元に手を当ててみる。口角が上がっている。
信じられない…。こともないか…笑。
現実にありえないことばかりだったけれど、昔から憧れを持って見ていた世界に足を踏み入れることができた。しかも、素質があるとか…ないとか…。
楽しいに決まってる。
「よかったわね。長続きしそうで。」
母さんは優しい目をして笑っていた。
俺の全てを知っている人。きっとこの話が出た時、俺にぴったりだと直感で分かっていたはず。
「うん。」
「じゃ。母は寝ますー。」
奏の返事に満足したのか部屋へ戻っている。
「おやすみ。」
手だけでひらひらと返事をしてドアはしまった。
静かになった廊下で今日を、いや昨日を噛み締める。
確実に変わる明日からの生活を想像するだけで心が震える。基本的にバイトは毎日あるらしく、明日もよろしくと酔い潰れる前に相模に言われた。時給がいくらだとか、契約書的なものはまだ書いていないがそんなことは二の次でよかった。ありがたいことにお金に困っているわけではなかったので、体験だけが価値があるように思った。
ほんとに俺は恵まれているんだよな。
とにかく、明日からどんなことが起こるのか考えると眠れない夜をしっかりと眠って明かした。
学校の授業がこんなにも長く感じたことが今まであったか?クラスメイトの誘いをまた断って昨日と同じ道を急足で歩く。まだ一度しか見ていないのにすでに親近感を寄せている鳥居をくぐり目的地へ向かう。玄関で一瞬立ち止まる。昨日のことを思い出して少し緊張する。
その一瞬でがらりと引き戸がスライドする。
「わぁ!あ、奏。」
犬人が飛び出してくる。
「犬人。お疲れ。」
一歩引いて奏が尋ねる。
「どこか行くの?」
もしかしてと思って聞いてみる。
「そ!今日は鈴葉に先越されないようにさ。」
やっぱり。
「俺も行っていい?」
「え?奏も。んー。」
犬人は考える様子を見せる。
「お願い。」
奏は両手を合わせる。
「いいけど。ぼく自信ないよ?」
「自信?なんの?」
犬人は平気な顔で言う。
「奏が死なないようにすること。」
「はっ!?」
変な声が出るほど面食らう。
「死ぬ?なんてことあるの?」
犬人はまたしても当たり前のような顔で
「もちろん。相手は霊だもん。何してくかなんてわからないしね。」
体が固まる。
「それでも来るなら、別にいいけど。」
丸い瞳で奏を見つめて犬人は言う。
「どうする?」
どうしよう…。
さすがに躊躇ってしまう。犬人は足踏みをして奏の答えを待っているのに。
その時、家の中から声がした。
「やぁ。奏くん。いらっしゃい。早く中においでよ。仕事が山ほどあるんだ。」
相模だ。
「あ。相模さん。じゃあ奏は行けないね。じゃあぼく急ぐから!」
そう言うが早いか、ものすのごいスピードでかけて行った。まるで犬のように。
「いつも元気だねぇ犬人は。さぁ、奏くんこっちだ。」
犬人はすでに視界から消えてしまったが後ろ髪を引かれる思いで相模と中へ入る。
「今日から本格的によろしく頼むよ。」
「はい。こちらこそよろしくお願いします。」
家の中は相変わらず静かだ。ここには。
「ここにはどれくらいの人が住んでいるんですか?」
相模に聞いてみる。
「そうだねぇ。子供たちだけで20日人だ。」
そんなに?この大きさの家で?確かに三階建てだから普通の一軒家よりも大きいのはわかるが、そんな人数がここに住めるのか?まさか、小さな部屋に子供たちがぎゅうぎゅうに…。
「どうやってこの家でそんな人数がって?」
変な妄想をしていると相模が頭の中をのぞいてくる。
「なんでわかったんだ?」
「君は感情表現が豊かなんだね。顔が頭の中を全部教えてくれるのさ。」
顔が真っ赤になっていくのがわかる。
「ははは。いいね。実にいい。お母さんが君を溺愛しているのもわかる気がするな。」
おいうちをさらにかけてくる。母さんとこの人はどんな話をしてるんだよ。
「でも、その素直さが命取りになる場面もこの仕事ではあるんだ。それは心していてくれよ。」
今日2回目の命の危険を匂わせる発言じゃないか。
「あの、さっき犬人も言ってたんですけど。」
「ん?」
「命の補償ができないって。そんなに危険なんですか?この仕事って。」
相模は相変わらずの飄々とした感じで答える。
「もちろんそうさ。君だって散々、漫画やアニメで見てきただろ?現実の世界でもさほど大差のない感じだ。さらに言うとこっちのほうが始末が悪い。」
「なんで?」
「一度死んだら生き返ることもなければ、転生することもない。」
「…。」
絶句としかいいようがない。
「まぁ冗談はさておき。霊の中には人間にただ恨みを持っているヤツが少なくない。誰でもいいんだよ。誰かを傷つけたいという執念だけでこの世の中に留まっている。だから、たとえば霊の怒りを鎮めるとか、説得させて成仏させてあげるだとかが通用しないヤツがいるんだ。いわゆる悪霊と呼ばれる霊だ。肝試しなんかで人間に悪影響を与えるのがその部類。だから、そういう場面で成仏させるための除霊は意味がない。それを知らない霊能者が実はとても多いんだ。この霊にはこの方法、こっちにはこれというように霊によって対処法を変えなければいけない。相性なんかも実はある。そこな少しでもズレれば命がない。そういう紙一重の世界なんだ。」
真剣な目で奏に語りかける相模はこれまでで一番誠実に見えた。その分話の内容が怖く感じた。
「犬人が言いたかったのはそういうことだ。」
「…。」
「さぁ。そんなことはいいからこっちだ。」
そんなことってなんだよ。めちゃくちゃ大事なことだろう。
「今日は何をするんですか?」
すでに雰囲気なが元に戻っている相模を追いかけながら聞いてみる。鈴葉についていけと言われると少し尻込みしてしまいそうだが、まだ好奇心のほうが勝っているから始末が悪い。
しかし、相模から帰ってきた返答は奏を別の意味で恐怖に突き落とす。
「書類整理と報告書の書き方だ。」
「は?」
「はい。どうぞ。」
そこは昨日初めて通された事務所だ。
「いやー。この世界にもあるんだよ。霊退治したら報告書が。」
書類やら巻物やらがごちゃごちゃに積み上げられている机から、少量の埃を纏った紙の束を取り出す。
「苦手でねぇ。報告書を書くってことが。一体なんでこんなもの、書かなくちゃいけないのか。」
やれやれといった様子で両手を顔の横まで持ち上げる。
「奏くんにはうちの業務内容に慣れてもらうがてらにこいつをお願いしようと思ってね。」
紙束をよいしょとこちらに差し出す。
「これを俺が?」
ずしりと両手にかかる重さにさらに驚く。
「文章書くのは得意かい?」
そんなことはお構いなしに相模はにこにこしながら話しかけてくる。
「え。あぁ、まぁ。」
「じゃあ英語は?」
「英語…ですか?まぁ好きですけど。俺、大学も文系なんで。」
「やはり!我らの仲間なら文系でなくちゃ!」
両手をぱちんと合わせ、喜びの声をあげる。
なんだそれ?そんなの聞いたことない。
「霊能者は文系なんですか?」
「霊能者?」
相模ははてと首を傾げる。
「霊能者とは?うちにはそんなのはいない。」
急に突き放すような言葉が返ってくる。
「え!でも、昨日説明でそう…。」
「あぁ。あれはあれだ。」
どういうことっ⁈
「初めての君に分かりやすく例をとったまで。」
くるりと背中を向け、両手を腰あたりで組んで話始める。
「霊能者。という響きに君はなにを思い浮かべる?」
「え。」
突然の問いかけにしばし思考する。
「そうですね。霊能者。少しまゆつばっぽく聞こえます。」
「どうして?」
「これまで、テレビ番組なんかで取り上げてきたその手の人たちに本物を見たことがないからかと。」
「漫画やアニメならありなのに?」
「…。」
確かにそうだ。漫画やアニメでその名前を聞いたとしても、特に怪しい感じはせずにすんなりと受け入れられる。
「漫画やアニメは作られたものだからじゃないかい?」
「作られたもの。」
奏は相模の言葉を繰り返す。
「そう。作られているから先がわかっている。その先の霊能者たちの活躍が補償されているから。お話の世界で霊能者たちは確実に本物の力を持っていて、悪霊に立ち向かい勝利する。それは物語の大前提としてあるから胡散臭さを感じないどころかその肩書きが光ってさえ見える。」
なるほどな。
納得している自分がいる。確かにそうだ。同じ霊能者という言葉でもその先がどうなるかでそんなにも受け入れ方が変わるなんて。
「この世界では霊能者という肩書きは信じる価値に達しない。」
相模自身がその言葉を疎んじているような口ぶりだ。きっとこれまでそうやって周りから判断されたことがあるんだろう。
「すいません。なんか。」
相模はきょとんとしていた。
「どうして君が謝るの?面白いね。」
奏の気持ちを知ってから知らずか、それ以上はなにも追求してこなかった。
「あの、じゃあ鈴葉たちはなんて呼ばれているんですか?」
気になるし、今後どう読んでいいのか聞いておく必要がある。
すると、相模は自信満々に言った。
「ゴーストハンターだ!」
「なにやってるんだろ俺。」
ドヤ顔で霊能者と変わらない胡散臭さのネーミングを吐き出して相模は去って行った。報告書の簡単な、本当に簡単なやり方を伝えて。
ため息なのか何なのかわからない息が漏れる。まさか仕事の内容がこんなものだったなんて。
「報告書ってそれをした人間が書かないと意味ないんじゃないのか。俺なんにも知らないのに…。」
除霊を行なった場所、日時。霊を見つけた経緯など細かいことの詳細を書く必要がある。本来なら。しかし、相模のいうところのゴーストハンターたちは一度もこれを書いたことがないらしい。存在すら知らない可能性があると。
「こういうこともちゃんとやって一人前だろうが。」
昔から順序を守らないやつは嫌いだった。自分だけが得をしようと考える人間はいつかどこかで罰をうける。やるべきことには理由があって、それをしないと誰かが困ることになる。その誰かに自分がなったことが何度もあった。だから嫌いだ。
なんか今回もモヤモヤするから、俺が担当になったなら変えてやる!
「あれ?相模さんは?」
奏が人知れず闘志を燃やしていると、突然知らない声がした。慌てて振り返る。
そこには水色の髪をした女の子がたっていた。
ショートカットの髪を水色に染めているのだろうか。背丈は低め、犬人よりもくりくりの大きな目とつんとした小さな鼻、ぷっくりとした唇がいかにも男性受けしそうな美少女だ。
ここは顔のいいゴーストハンターしかいないのか?ちなみに鈴葉はそれの最たる人だと思う。
昨日初めて顔を見た時、こんな女優みたいな顔の子がいるんだと超凡人的な表現しか浮かばないほど全てのパーツが整っている。その顔は小さくて、手足はすらりと長い。指も細長く、ほとんど完璧に近い人物だ。
「ねぇ。君。」
妄想世界へ飛んでいるとすぐ近くで声がした。
「え!」
驚いて顔を上げるとすぐ近くに彼女の顔があって、さらに驚く。
「うわっ!」
女の子とこんな距離。正直ぜんぜん慣れてない。
「誰かな?君は。」
水色の髪の少女は奏の目をしっかりと覗き込んで聞いてくる。
「ちょっと近いです。」
奏は正直にそう言う。
「あ。ごめんごめん。」
彼女も素直に謝って少し距離をとってくれた。
「私は水上はなび。まず名乗るなら私からよね。」
にこりと涼しげな笑顔を向ける。
「相模さん探しに来たんだけど、君がいたから気になっちゃって。」
目で君は誰?と促される。
「俺は昨日からここで働き出した大神奏です。」
彼女もゴーストハンターだろうか。
「はなびって変わった名前ですね。」
口に出さずにはいられない性格が考えもなしに口走る。
「はっきり言うね。嫌いじゃないけどそういうの。」
はなびがいたずらっぽく笑う。
「本名だよ。ちゃんと。ひらがなではなび。」
「そうなんですか。いい名前だと思います。変わってるけど。」
昨日のことがあるし、これ以上驚くこともない。実際いい響きの名前だと本気で思った。
水色の髪といい、夏を連想させる存在だ。
「ありがと。」
すこし照れた様子ではなびは言う。
「てかさ、何してるの?」
話を変えてきた。照れてるじゃん。
「あぁ。相模さんに言われて報告書の作成を。」
奏の手元を覗きながらはなびが言う。
「報告書?そんなの聞いたことない。」
そうですか。
「ゴーストハンターの方たちの活動を報告する書類だそうです。」
「へぇ。まじで書いたことない。」
ということはやはり、はなびもゴーストハンターだ。
「相模さんこの部屋出て行ってしばらく経ってますよ。」
報告書と格闘している間、一度もここへは戻ってきていない。
「そっか。」
そう言ったきり近くの椅子に腰掛けてしまう。
ここにいるつもりなの?
「あの、はなびさんもゴーストハンターなんですか?」
同じ空間にいるのに黙っているのは肩が凝る。
「そうだよ。ゴーストハンター兼、ドーナツ屋さん。」
「は?」
なにと兼ねてるって?




