第十二話 見慣れないオーラと共に
鈴葉と桜の木との距離は3メートル程。その後ろにいる奏の体はこの前みたいには、まだ反応しない。それが距離のせいなのか、先生が言うように生きた人間だからなのかは分からない。ただ、ここから見える木の横にいる人は普通の精神状態ではないことはわかる。背中を手前に丸めているせいで両手がだらりと垂れているように見える。それだけでもはっきり言って薄気味悪い。これまで見た異住人も同じように背中を丸めていたせいであの人もそれっぽく見えるし。
うっすら透けているとか、足がきえているとか昔ながらの霊の特徴があれば別だが、異住人は普通の人間と一見したら変わらない。一番の違いがなんなのか言えといわれてもはっきりと説明できない。もっと異住人と接触する回数が増えればこの感覚は変わるのかもしれないが。
ただ、オーラみたいなものが異住人からはいつも感じられる。それも黒とか紫とか禍々しいオーラ。あの人からはそれは感じない。
「……。」
なにかささやいてる?口元がもごもごと動いているように見えた。鈴葉がさらに近づくと向こうはやっとこちらに気がついたようだ。
鈴葉の方を数秒見つめていたがさらりと視線を外してこちらに向けた。とても、疲れ果てているような顔。目は虚でどこをみているのか分からない。どこも見ていないのかもしれない。口は半開きのまま意識がはっきりしているのかも分からない。なにを感じて、なにがあの人を起き上がらせているのだろうか。それくらい全身から生気が抜け落ちている感じだ。
それが、おれの斜め後ろにいた先生を見た途端に変化した。
「先生!柿内先生っ!」
甲高い声が響く。
後ろの先生が全身を硬直させるのを空気で感じる。そして、先生も悲鳴に近い声をあげる。
「違いますっ!私は柿内先生じゃありません!」
違うの!?
今更になって、この先生の名前を聞いていないことに気がついた。
「私は違います!」
ここに来て恐怖のタガが外れてしまったのだろう。奏の肩を掴んで叫び出す。その手の力の強さから恐怖の度合いも伝わる。
「落ち着いてください。」
その手を無意識に包み、目を見て諭す。
「大丈夫です。おれたちがいます。」
恐怖で視点が合わなかったが、奏の声で我を少し取り戻した。
「今更ですいません。お名前は。」
人の心を落ち着かせるには名前を読んで自我を取り戻すのが最善だ。
柿内と呼ばれ悲鳴をあげていた先生には悪いが優先すべきと判断した。
「名前…。」
瞳が揺れたのでまずいと思ったが、なんとか更なるパニックは防げたようだ。
「私は新村です。新村あすかです。」
「新村さん。これから鈴、あの前にいる彼女が問題を必ず解決してくれます。だから落ち着いてください。」
新村の手を取り、噛み砕くようにゆっくりと話をしていく。
「教えてください。あの人は誰なんですか?面識が?」
視線を奏から一瞬、前方に向けてすぐ戻す。
「あの人は平井佳苗という生徒の母親です。」
「平井佳苗って?」
「この学校の生徒でしたが、2年前に亡くなったと聞いています。自殺だったと。」
また、自殺なのか。
「その自殺した生徒の母親がいまだに毎日ここへ?」
「はい。始まったのは一年位前からだそうで。それと、当時の平井さんの担任だった柿内先生がどうやら私に似ているらしくて。」
それでか。
「ただ、あの母親はいつも学校の終わってからやってくるんです。だから、授業中に感じる視線とはまた違うんだと…。」
なるほど。
「授業中に感じる視線の元を見たことありますか?」
青ざめながら新村は応える。
「あります。一度だけ。子供でした。うちのクラスの生徒たちくらい。多分あれは…。」
「平井佳苗。」
奏が言うと、新村は頷いた。
「あの母親は平井佳苗がここに現れるのを知っているんだろうか。」
先ほどから新村を柿内と呼んでいても、そこから近寄っては来ない。自分たちがいるからなのか、他にも意味があるのかは分からなかった。
会話がまともにできるようには思えない。
「そうだと思います。」
奏の答えに同意する。
「平井佳苗はどうして自殺したのか知っていますか?」
新村は申し訳なさそうに言う。
「それが。分からないんです。」
「どこで?」
「あの木のところです。あの木で首を吊っているのが見つかったそうです。」
だからあの場所に平井佳苗の霊がでるのか。
もしかしたら、あの母親はあの場所で娘が死んだからあそこに立ち続けているのか。母親は霊でこそないがあの場所に囚われているのだろう。
「私、平井さんはもちろん柿内先生にもあったことがないんです。平井さんが亡くなったのとほぼ同じに退職してしまったらしくて。だから、ほとんど噂程度にしかわからないんです。それなのに…。」
へんな視線に怯えて、さらにその母親にも勘違いで付き纏われているということか。
「大変でしたね…。ほかの先生に相談しなかったんですか?」
「もちろんしました。でも誰もまともに取り合ってくれなくて。終わったことをいまさらみたいな空気すら出てて。」
学校としたらそうだろうな。生徒が自殺したなんて、それだけでかなりの痛手を被ったはず。言い方は悪いが、早くその事実を消したいと考えていたはず。それなのに、今更蒸し返そうとする新村の発言は疎ましいものだろう。
「なるほど。」
言葉がでない。たかが高校生くらいの人生経験じゃこの人の心を癒せない。
「おい!お前!」
突然、鈴葉の怒鳴り声が響いた。
奏と新村は驚いて鈴葉を見る。
「そこで何してる。お前の娘はもう死んだ。」
知ってるのか?あいつは。
「お前がいると娘は出て来ない。さっさとそこから離れろ。」
ずっと新村だけを見ていた平井佳苗の母親が鈴葉を睨め付ける。
「邪魔だ。早く離れろ。」
鈴葉の言葉が再度ひびいた時、平井の母親が動いた。鈴葉に向かって両手を向けて怒りの形相で猛ダッシュしてくる。
武器を持っている様子はなかったが、
「おい!」
体は勝手に動くもの。
「やめろ!」
襲いかかる平井の母親と鈴葉の間に間一髪潜り込む。母親の腹元にタックルする形で共に地面に倒れ込む。すばやくそうは立ち上がるが、平井の母親はお腹を抱えながら立ちあがろうとしない。
まずったか?
母さんが言ってた。
(あんたがなんのスポーツもやってない日陰学生だとしても、青年男子の力は私くらいの人にとったら怪力なのよ。)と。
あれはよそ見をしていて廊下で母さんに激突した時だったか。徹夜明けだったから余計にひ弱になっていたはずだが。あの時よりも遥かに強い力でぶち当たった。
「あの、大丈夫ですか?」
様子がおかしくても人間だ。顔を覗き込もうとして前へまわる。お腹を抱えていたはずの両手は顔へと移動し、その体は小刻みに揺れていた。
泣いている。
「返してよ…あの子を返してよ…。」
すすり泣きながら、繰り返し呟いている。
どんな気持ちなんだろう。最愛の娘がこんなにも早く死んでしまう親の気持ち。まだ全部は感じ取れないが母さんに置き換えたら、その痛みが少しは伝わってくる気がした。
そんな感傷に浸っている奏の頭上からいつもの冷たい声が降ってきた。
「なにが返してだ。全部自分のせいだろう。」
平井の母親はぴくりと反応する。
「は?どう言う…。」
わけのわからない奏が聞き返そうとしたその時、
!!
奏の指先にあの感覚が押し寄せた。慣れたくはないが、もう慣れてきてしまっている感覚。
反射的にあの木を見る。
揺れる影。
オーラが緑色。これまでのとは少し違うが明らかに生きているもののそれではない。
来た。
鈴葉の興味はすでに母親にはなく、木の下の異住人に向いていた。
新村の息を呑む音が乾いた風に乗って届く。
平井佳苗は思いもよらぬタイミングでそこに現れた。




