第1話「夜明け前のメロディ」
夜勤を終えた透夜は、施設を出ると深く冷たい早朝の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。制服に染み込んだわずかな消毒液の匂いと、まだ眠っている街の静けさが、身体の疲れを逆に鮮明に感じさせる。
バスの座席に身を沈め、窓に映る街灯の光をぼんやりと眺める。道路の継ぎ目を越えるたびに、車体が小さく震え、その振動が指先まで伝わってくる。夜勤中に聞いた利用者の言葉が耳の奥に残っていた——「ありがとうな、また会おうな」。その声が胸の奥で小さく反響し、いつの間にかメロディになっていく。
降車ボタンを押す直前、透夜は心の中で呟いた。「この気持ち、歌にしよう」。
帰宅すると、まだ暖まっていない部屋の中でギターを取り出す。指先が冷たくて弦を押さえるたびに少し痛む。それでも彼は、さっき浮かんだ旋律をなぞるようにコードを弾き、低く静かな声で歌い出した。
歌詞はまだ未完成。それでも、今のこの感情を閉じ込めておかなければ、二度と同じ歌は生まれない気がした。外では夜明けの気配が少しずつ色を変え、窓から差し込む淡い光が透夜の頬を照らす。
——歌は、今日も静かに始まった。
ここまで読んでくださりありがとうございます。この物語は、透夜という一人の介護士でありシンガーが、日々の出来事や心の揺れを歌へと変えていく物語です。彼が感じる喜びや哀しみ、そして介護現場でのリアルな空気感を、音楽と共にお届けできればと思っています。次回もどうぞお楽しみに。