第1話 阿瀬さんはバカを見る
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阿瀬玲奈は朝からバカを見ていた。
教室の窓辺に腰掛けながら、登校中の生徒たちを見おろすように、溜息をひとつ。
「またかよ⋯⋯」
声は小さく、しかし鋭さを帯びていた。視線の先では、寝癖のままの髪に、パンをくわえた男子が全力疾走していた。
制服のネクタイは曲がり、鞄は半開き。
春の朝の風を切って走るその姿には、羞恥も計算もなかった。
その名は──蘇芳瑠偉。
誰よりも浮かれて、誰よりも遅刻ギリギリに登校してくる常習犯。
まるで漫画から飛び出してきたような人間くささを、阿瀬は毎朝、窓から観察していた。
その姿に、阿瀬はまた深く溜息をついた。
(なんでこうも毎朝、学園ドラマみたいな登校劇を繰り広げられるのよ⋯⋯)
ここ私立鳳桜学園は、県内有数の名門校。勉学と礼節を重んじ、数多の著名人を輩出してきた。
そんな名門校の外部入試を「首席」で合格したものがいた。そう彼女の名前は──阿瀬玲奈。
成績は勿論、容姿端麗、運動神経も抜群。多芸で多才。誰もが羨む完璧超人──それが阿瀬。
しかし、最近の彼女は、人間観察にばかり時間を割いている。
子どもの頃から、興味・関心を抱いた相手には行動を観察するという癖があった。
特に世間一般的に『バカ』と呼ばれている存在は、阿瀬にとって格好の観察対象であった。
阿瀬は窓の外を見ながら、小さく笑った。
「じゃあ、皆さんにはこれから自己紹介してもらおうと思います」
自己紹介の日。入学して数日が経ち、クラスの空気がようやくほぐれ始めた頃。
「じゃあ、次は──出席番号3番。阿瀬さん」
彼女はすっと立ち上がり、姿勢を正す。
動作の一つ一つが、丁寧で美しく、舞台女優のように洗練されていた。
「京神中学校から来ました。阿瀬玲奈です。誕生日は11月12日です。趣味は天体/星空観測です。よろしくお願いします」
簡潔に落ち着いて。だが、その一言でクラスがざわついた。
「やっぱりあの人が噂の阿瀬さんだよ」
「確か入試、首席って。てか、めちゃくちゃ可愛くね?」
「全国模試も上位常連って聞いたぞ」
「ほんと、可愛くて勉強もできる完璧超人。素敵だわ」
完璧超人。皆口を揃えて阿瀬をそう呼ぶ。だが、その呼び方に、阿瀬の心は少しだけ沈んだ。
完璧に見えることほど、不自由なものはない。欠点を見せれば「らしくない」と言われ、弱音を吐けば「贅沢」と返される。
(⋯⋯私は、みんなが思うほど完璧でもないし、大層な人間じゃない)
「阿瀬さん、彼氏いないらしいぜ。お前告ってみろよ」
「あの人と付き合えたら人生勝ち組だろ。告れって、無理に決まってんだろ」
「でもさ。阿瀬さんってなんか。⋯⋯近寄りがたいよね」
クラスメイトたちの褒め言葉が飛び交う。
だが、その中に微かな距離が混じっていた。褒め言葉に見せかけて、一歩引いた評価。完璧であるがゆえに、誰も本当には近づこうとしない。阿瀬は小さく溜息をつく。
(⋯⋯ねえ、なんで私って人間じゃない扱いされるわけ?)
誰も答えてくれない。いや、そもそも彼女に気安く答えられる人間が、このクラスにはいない。
──あぁ、またか。
教室の窓際で、溜息をひとつこぼした、そのときだった。
「出席番号9番。鳳桜中等部出身。蘇芳瑠偉です!」
ざわついていた教室は途端に静寂に包まれ、その大きな声の主に注目が集まった。
「誕生日は8月31日で、最近は映画見るのにハマってます。あと、ゲームも! 彼女居ないんで募集中です! 三年間よろしく!」
静寂に包まれていた教室が、ドッと笑いとざわつきが広がる。
「さすが蘇芳君。イケメンだわ⋯⋯」
「背高いし、雰囲気もカッコいい⋯⋯」
女子たちが、色めき立つ中──阿瀬だけは、冷ややかな目で見ていた。
(何この人。大声出したかと思ったら、彼女募集中って。バカなの? いやバカじゃなきゃこんなこと言えないわ。自己紹介で恋愛営業してる人、初めて見たわ)
そう思いながらも、彼の笑顔が妙に印象に残る。
無防備で、飾り気がなくて。
まるで、彼だけ時間の流れが違うみたいに。
(バカね。でも、少しだけ──自由に見えた)
自己紹介が続き、阿瀬はこんな事を考えながら、窓から風に吹かれて散っていく桜を見ていた。
その後は、担任から重要な書類の説明や今後の行事予定を聞かされ、その日の授業は終わった。
「じゃあ今日はこれで終わるので、気おつけて帰ってくださいね。明日も元気に会いましょう」
放課後を迎えた教室には、談笑する生徒やすぐに帰る人、親の迎えを待つ人など賑やかな雰囲気に包まれていた。
帰り支度を整えた阿瀬が階段を下りていると、不意に甘い声に呼び止められた。
「あなたが阿瀬ちゃんね。噂通り、すごく綺麗な顔してる。それにスタイルも⋯⋯砂時計ボディってやつかしら。⋯⋯まぁ、お胸はちょっと足りないようね」
(⋯⋯え? 初対面で胸の話題? この学校、大丈夫?)
「あの、どちら様ですか?」
阿瀬は怒りを呑み込み、こわばった表情でそう尋ねた。
「失礼。名乗ってなかったわね。私は、泰聖瑠羽徠。同じクラスよ。仲良くしましょう」
瑠羽徠は、整った顔立ちに長い黒髪をゆらす、どこか舞台映えするような美しさを持っており、立ち姿だけで人を惹きつける。そんなタイプだ。
「あぁ、うん。これからよろしくね」
男ウケしそうな甘い声に、阿瀬は拍子抜けした。
阿瀬は、ここまで親しげに話しかけられたのは久しぶりだった。
「阿瀬ちゃんと話してみたかったのよ、私。だからお友達になりましょう」
不思議な響きを持つ声だった。
軽いのに、どこか深く残る。
「⋯⋯悪い人じゃなさそうね」
「でしょ? 私とあなた、きっといい友達になれるわ」
瑠羽徠の笑みには、何か裏があるような、でも悪意ではない不思議な柔らかさがあった。
阿瀬は一瞬、何も言えなくなった。
昇降口を出て、校門に向かう道。
散りゆく桜が髪に触れ、制服の肩を白く染める。
「阿瀬ちゃん、これからどこか寄ってく?」
「ううん、今日はいい。疲れたから、まっすぐ帰る」
「真面目ね。でも、たまには息抜きも必要よ?」
「心配されなくても、分かってるわよ」
散りゆく八重桜を見上げながら二人が歩いていると──。
「瑠偉! 今から女子達と遊び行くんだけど、お前も来てくれ! 女子たちにお前も来るって言っちゃったんだよ」
「今から? ⋯⋯しゃあないな。ただ、今度から勝手に俺の名前を出すのはやめろよ」
「サンキュー! 助かる!」
笑い声を残して、ひらひらと手を振り、仲間に連れられていく蘇芳。
「あいつって確か蘇芳⋯⋯? よね。⋯⋯やっぱりあいつ、バカね」
「阿瀬ちゃん、あいつなんて言っちゃダメよ。蘇芳くんって呼びなさい。ね?」
「⋯⋯瑠羽徠って、ほんと変わってる」
「よく言われるわ。でも、あなたほどじゃないと思う」
瑠羽徠の言葉が、春風に乗って耳をくすぐる。
阿瀬は、ふと足を止めて空を仰いだ。
舞い散る桜の向こうに、白く光る月がうっすらと浮かんでいる。
(私は、阿瀬玲奈。特別なんて望まない。ただ、対等に笑い合える誰かを探したい。それだけ)
だが、阿瀬はまだ知らない。
その誰かが──あのバカのように笑う男だということを。
花びらが頬に触れ、春の匂いがした。新しい学園生活の幕開けを告げるように。
──春が、動き出した。
完璧超人と残念王子の青春ラブコメ、ここに開幕!
◆情報──《私立鳳桜学園①》
県内某所にある中高大一貫校。
広大な敷地を誇り、桜並木や庭園が名物。
偏差値は全国上位レベルであり、創立120年の長い歴史をもつ。
外部からの編入も可能であり、特に中学、高校段階では全国から、優秀な生徒が集まる。
在校生の過半数以上は名家・富豪・著名人の子女。
政治家や大企業経営者の子供。
芸能人や文化人の二世三世。
老舗財閥や伝統工芸の名家の跡取り。
そのため、校内は一種の社交場でもあり、将来を見据えた交流や人脈づくりの場として機能している。
一方で、外部から純粋に学力で入学してきた「庶民派エリート」も少数おり、彼らが学園に新しい風を吹き込んでいる。
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