ボードゲーム
もうそういうノリで読んでください。
その男の語るところによれば、万物は本来"滅ぶ運命"にあるわけではないのだという。
たとえば、昼と夜が交互に訪れるように、季節が同じ順序で巡るように。
この世のあらゆるものは完璧な調和の元に循環し流れているらしい。
だが生命は異なる。生命だけは違う。
生命は「不完全」なままで誕生し、やがて訪れる死に向かって進化を繰り返す。
そして生命は、進化を繰り返す過程で必要なエネルギーを補わなければならない。
たとえば、植物は光合成を行わなければ維持できないように、動物が食事を取らなければならないように。
さらに生命は、死による種の根絶を避けるために、膨大なエネルギーを消費して繁殖を行わなければならない。
その繁殖した生命もまた、同じようにエネルギーを補う必要があるのだ。
それだけの労力をかけておきながら、進化の果ては個としての終焉、すなわち死である。
死に向かって進化し続けるという、存在としての根本的な欠陥を抱えて誕生するものの総称、それが生命なのだ。
もちろん、真逆の意見も存在する。
生命は「不完全」ゆえ、「完全」なのだと。
例を挙げるとするならば、「死」とは、進化の過程で獲得された世代交代のシステムであり、環境に適応するための重要な要素だとする説もある。
スピリチュアルな視点でいえば、現世での「死」は霊の世界、すなわちあの世での新生だとする説もある。これはいわゆる輪廻転生に当てはまる理屈だ。
だが、これらは全て「生命」にのみフォーカスした理屈である。
あるいは、「死」に納得のいく理由を与えるために考えられた、ある種の設定だ。
そこに、人間の尊厳や感情は一切考慮されていない。
誰が死を望むだろうか。別れを望むだろうか。
そもそも、死んだ後の世界など生者の誰にもわからないというのに。
もう二度と親しい人と会えない、夢を追えない。そんな現実と、先ほどの理由とを秤にかけた時。
どちらを選択するかなど、答える必要もないだろう。
もしも、生命の進化を否定できたなら。
もしも、生命の在り方を根底から覆せるのなら。
すなわちそれは、新生命に至るという事ではないのか。
人々はこの新生命を「不死」と呼んだ。
数々の神話や童話、伝説に登場する、ある種のロマンの極致。
かの始皇帝も目指し、原初の叙事詩にすら登場する概念。
その不死は果たして薬であるのか、または秘術の類であるのか、どんな形かもわからない。
そんな"ありもしない"理想、歴代の魔術師がロマンを求め、ついぞ叶える事の出来なかった夢。
...その夢の魔術式を導いてしまった男と、私が出会ったのはもう何十年も前になる。
「不朽のべネクス」と呼ばれた男がめざしたのは、自身の異名に冠する「不朽」の生命の実現。
若くして「不老不死」という領域にたどり着いた魔術師である彼は、最終的には地球内生命体から繁殖機能と寿命を奪い、生命という領域から脱却させることを目論んでいる。
というのも、彼は「生者」が不死を恐れるのは、様々な理由はあれど、結局は自分以外の全てが朽ち果てた先に残る途方もない「孤独」だと考えているらしく、このバランスを逆転させ生者をマイノリティにしてしまえば、今度は自分だけが朽ち果てる「孤独」を味わう羽目になる。
かといってこれを拒絶し、欠陥を抱えたままの生命では、結局のところ親しい人物との死別や、志半ば倒れるという場合も少なくはない。
拒絶してしまった為に、これらの現実を「受け入れる」必要があるのだ。
これらの問題を回避しうる手段が、「不朽の新生命」を作り出すしかない、というわけだ。
......果たしてどんな世界が広がっているのだろうか。
この新生命に繁殖の必要はない。
進化の必要もない。
環境に適応する必要もない。
魔術的な不死の作用によって、自己完結したエネルギー補完機能を携えてすらいる。
身体へのダメージも、この補完機能によって自己治癒を可能とする。
もちろん、最初期こそ争いも生まれるだろう。漠然とした恐怖に駆られる者だって現れるに違いない。
だが迷い、争ったところで命を奪えず、そもそも増えも減りもしない存在。
領土の奪い合いも資源の争奪戦も起こりえない、存在としての究極到達地点。
人間は短い一生を必死で生きる必要もない。
人間という素晴らしき可能性が終わることもない。
誰かと別れることも、夢を諦める必要もない。
技術の発展と共に、いずれ宇宙の果てすら到達しうるだろう。
このバランスの逆転に成功すれば、自ずと人々はそんな世界を望むようになる。
そのバランスの逆転が果たされるのも、あと数年と掛からない、計画が最終段階に入ろうとしている今。
男二人は広々とした空間の、祭壇の上に佇んでいた。
「しかし、本当に何もないのだな、ここには。」
静寂の中、空気の重さに耐えきれなくなった男が口を開く。
彼の名はアルケイディア。
べネクスの右腕として「死雲」の二つ名を冠する、魔術界の都市伝説。
曰く、「突如周囲が霧に包まれたなら、今世を諦めろ」と語り継がれた存在。
背後に現れては一撃で肉体を両断し、音もなく消えていく妖怪。
そんな魔術師の恐怖と共に語られた男も、簡単な静寂には耐えられなかったようだ。
別に誰かに話しかけたわけではないのだが、この空間には自分とべネクスの他に誰もいない。
答えるようにべネクスも口を開く。
「必要ですか?あと数日で離れる施設に、何かが。」
「...いや、そういうわけではないのだが...」
...まぁこれが全くと言っていいほど会話が弾まない。仲が悪いのではなく、もともとべネクスは口数の少ない男であった。
加えて、彼は独特な話し方をする。そのせいもあり、耳から取り入れた情報を脳が処理するのに少し時間がかかる。
...また静寂が訪れる。そう思ったとき、第三者が新たな空気を持ち込んできた。
それは先ほどまでの空気とは明らかに色が異なる、新しい風である。
「よーっす。...って、空気死んでない?」
「...ようやく来たか。我のほうから出向いてやろうかと思ったところだ。」
「天下のアルケイディア様から出向いてくれるなんて...斬られるじゃん?僕。」
「んもー...別に遅刻じゃないスよ~」
軽口を叩くわりに、棺桶ほどの大きなケースを軽々と持ち上げる男。
あまり派手でない漆黒のローブを纏ってはいるが、杖を持たない魔術師らしからぬ風貌。
この男もまた、パナケアの空の幹部であり、べネクスから不死を与えられた存在。
「ShANGRILA」と呼ばれる男がここに来たのには理由がある。
「べネクス様ぁ、こないだ伝えた通りなんスけど、やっぱ先に動いた方がいいスよ、これ。」
開口一番、お互いが話題を交わすこともなく、結論を述べた。
続けて、べネクスもまた応じる。
「...来るんですよね。大陸から、彼女らが。」
目を細めて、冷静に事態を分析する。同時に、脳内のあらゆる情報が次の言葉を選択する。
来る、というのは大陸の神秘こと、第七大陸の事である。
その目的は当然ながら、パナケアの空を地球上から消す、その方法を論じる為であろう。
だがすでに来日に関する情報を掴んでおり、彼らを迎え撃つ準備を整えていた。
いつ戦争が始まっても後れを取ることがないように。
可能な限り安全に開戦を迎えようと、まるでボードゲームのように出方を伺っていたのだ。
不朽の生命を実現させるという計画が最終段階に入った今、不用心に動いて計画がとん挫するなんてことは避けたい。
どのみち不死の生命である以上、彼らの攻勢によってすぐに滅ぶなんてことはない。
"待ち"の戦略を取り、柔軟に対応することが得策だと考えていたのだが...
その真逆の策を取るべきだと、シャングリラは提唱した。
「会議の場所は抑えてるんスよ、誰が出席するのかも、ね。」
「アルバス、朱ノ郷、我楽家の次男...まるで大物のバーゲンセールっス。」
ニヤリと笑ったシャングリラは、手を大きく振りかざしてべネクス、アルケイディアの二名に叫ぶ。
「連中の戦力調査、不死者を用いた実戦データ採取、この二つを満たせる機会こそ今なんスよ!」
「もちろん僕とアルケイディア様も出るンで!ぜひやっちゃいましょうっス!」
当たり前のように自身も巻き込んでくるシャングリラの図々しさに、もはや呆れて声も出ないアルケイディアであったが、一方でべネクスはそれ自体は認めつつ、この提案に返答した。
「会議場を襲うという意見は、その二つを満たすだけなら妙案です。ですが...」
「その大物魔術師に加えて、第七大陸総帥、レジナステラまでいるとなれば...」
べネクスは最悪の事態を想定して、真剣な表情で答えた。
「最悪の場合、アルケイディアを失いかねません。」
アルケイディアを失うことは、切り札を失うことと同義。
無論、不死者であるアルケイディアを失うこと自体がまず考えられないが、相手はレジナステラである。
大陸唯一の神秘とまで謳われる存在が相手だというのであれば、不死を破る方法も見つけられるかもしれない。
そうなった場合が最悪だ。計画がとん挫するどころか、不死を破る手段を相手に与えてしまいかねない。
シャングリラの提案は、理想そのものを手放す危険性を孕んでいた。
しかし、べネクスは少し考えて、再びシャングリラに告げる。
「...反対はしません。ですが...」
反対はしない、と前置きしたうえでべネクスは条件を出した。
「使うべきです、傘下組織を。ここであなた方の特性を相手方に明かすことに意味を感じません。」
「特にアルケイディア。切り札ですから、あなたは。」
シャングリラの提案に孕む、こちらの戦力を開示するリスク。
逆に言えば、このリスクを回避できる方法があるなら、シャングリラの提案はむしろ取るべき戦略になる。
これらの意見、思惑を踏まえて、べネクスはシャングリラに命じた。
「仕掛けましょうか、実験も兼ねて。傘下組織の人間を、限定的ではありますが不死者に変えます。」
「我々の不死とは異なるメカニズムですから、本命の魔術式が見破られるリスクもありません。」
「傘下組織の戦力から鑑みるに、相手方の戦力開示には繋がらないでしょうが、実戦データ採取には問題ないはずです。」
要は不死者の実戦データ採取のみを行うつもりである。
メカニズムが異なっていようと、同じ不死であれば耐久力に違いはない。
遅かれ早かれ日本を足掛かりに世界の生命を不朽に創り替える以上、彼らとの衝突を避けることは出来ない。つまりここで勝負を急ぐ必要もないのだ。
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...べネクスの判断に概ね満足したシャングリラは、大型ケースを担いで施設を後にした。
大きなため息をついたアルケイディアもまた、ほどなくしてべネクスのそばを離れた。
誰もいなくなった祭壇の上で、べネクスは一人、思考の海を揺蕩っていた。
それは、これから起こるであろう事の顛末に対する不安。
「...どのみち動かす必要があるでしょうね。アルケイディアを。」
「馬鹿じゃありませんから。彼らとて、彼女らが来日する前に関連組織くらいは一掃するでしょう。」
少し考えた後、不意に涙をこぼしながらべネクスは目を閉じた。
そうして今度は、未来を憂いながら、思考の中で自身に語りかける。
(会議場を二人に襲撃させる、傘下組織の崩壊を口実に...)
(また多くの血が流れてしまうのですね...彼らにも、大切な人たちはいるのに...)
(あぁ...もしも彼らが不死者なら...このような事態を避けられるのに...)
考えれば考える程、目的への覚悟が強まる。
そうだ、全ての人間が不死であれば、流れる血も存在しないのだ。
争う必要もない、夢だけを追える、調和した真実の世界。
あともう少しで、そんな世界が創れる。
(全てが成就する......足りていないパーツは二つ...それを手に入れさえすれば...)
そうして再び、静かに目を開いた。
相変わらず、自分以外の誰もいない、不死を裏付けるかのような静寂に満ちた空間。
これからあと半年も経たない未来。
果たして、どのような世界が待ち受けているのだろうか
魔術式...魔術を発動するための手順とかだと思ってください。
不死の魔術...べネクスは最初に導いた不死の魔術に倣って、複数の異なるメカニズムによる不死を実現させてます。当然、その魔術式を看破されると不死を打ち消す方法もバレます。