プロローグ
魔術師団に所属する魔術医師の一人、今井舞。
彼は幼き日の問い、その答えを探し続けていた。
戦場を渡り歩き、数多くの人間を癒し続けて、気が付けば青春も終わる頃。
彼は自分の理想とは真逆の、それでいて回答の一端を担うであろう男を知る。
その魔術師の名は...
「生命とは何ですか」
あの日の事は、よく覚えている。
少年時代の、夏休みのとある日。
朝、目を覚ましてから、まるで導かれるように、無性に図書館に行きたくなったのだ。
朝食を口に詰め込み、図書館までの坂を駆けのぼり。
息を切らして、たどり着いた本のジャングル。
私はそこで、ある科学者に出会った。
あるいは、魔術師だったのかもしれない。
どちらにしても、運命的な出会いだった。
その彼、または彼女は、おおよそ180cmほどの身長であったために、当時の私は見上げていたように思う。
一切の曇りない、ガラスで出来ているのだと勘違いするほどの、透き通った瞳。
私はそれに何故か、「生命」を感じ取ったのだ。
気が付けば、もう尋ねた後だった。
「生命とは、何ですか。」
生命、だなんて当時の私は知らない単語。「命」の意味であることは理解していた。
ただ、自然と口からこぼれ出たものだった。
言葉があふれていたことに気が付いて、大慌てで口を押えたのが、今でも少し恥ずかしい。
すると、その人物は私と同じ目線になるようにしゃがんで、私の目を見て、はにかんで見せた。
その表情を見てしまったせいで、私は絵画や彫刻の類を、「良い」と感じられなくなったくらいには、脳裏に焼き付いた「美」。
続けて、その人物は口を開いてこう言った。
「生ききってみればわかる。」
生ききる。
あと何年、何十年と先にある死、その瞬間。
その瞬間になればわかると、私に教えたのだ。
ボーッと、脳が情報を処理し終えたと同時に、もう一度その意図を聞こうとしたときには、もう目の前から消えていた。
ただ、美しい花の海を彷彿とさせる香りだけがその場に残されていた。
そして、今はまだ答えを知ることができないという、妙な期待感だけが、心のうちに残った。
それが、私の始まり。
私の志の始まり。
魔術師を目指すことになったきっかけだった。
─
───
─────
「フーッ......」
某日、昼下がり。
凝り固まった肩をさすりながら天井を見上げ、大きなため息をついた。
先ほどまで仮眠を取っていた私は、懐かしい思い出を夢見て、妙な浮遊感を覚えていた。
重たい瞼をこすりながら、山のように積まれた仕事を処理しようと机に向かうと、マグカップを二つ持った同僚がやってきた。
「お疲れ様。はい、目覚めの一杯。」
そう言っていつも、コーヒーを入れてくれるのは同僚・穂村小春だ。
ある事情から私の家に居候している女の子で、同じ組織に所属するカウンセラー。
そんな彼女が淹れたコーヒーを口に含みながら、資料に目を通す。
その資料は、魔術師団の活動報告と、戦況報告を兼ねたものだった。
私たちは「魔術師団」という組織に所属している。
「ヒトという種とその文明」の守護を掲げる、世界規模の組織。
科学と魔術の共生を目指す世界情勢において、必須となる治安維持組織である。
ここはその日本支部。
すなわち、日本での魔術的抗争に当たる軍事組織としての側面も併せ持つ。
資料に記載されている戦況報告も、まさしくそのことについて触れていた。
現在魔術師団が対抗している宗教組織「パナケアの空」。
「生命の否定と新生」を掲げるかの組織は、いわば文明の守護者たる我々とは正反対の理念を持つ。
よって、必然的に互いの存在を認められず、日夜抗争を繰り広げていたのだ。
すると、私「自身」の理念を知る彼女は、ほっ...と一息置いてから訪ねた。
「パナケアの空ってさ、君自身の理想とも真逆の組織だよね。」
「あぁ...」
実際のところ、パナケアの空は宗教勢力というよりも、ある一人の魔術師を教祖としたカルト的武装集団といった方が正しい。
彼らは「生命の否定と新生」という理念について、新たな生命に至ることで理想郷を築くつもりなのだ。
その新生命に明確な寿命がないことは、以前の抗争で掴んでいた情報の一つ。
生命の否定、すなわち私の「生命とは何か」という問いとは正反対の理想であるのだ。
...全く、ふざけていると思う。
寿命の無い「生命」を、「新生命」と呼ぶなど、これ以上の生命への侮辱を私は思いつかない。
目線を資料の下の方にやってみれば、その魔術師の名前に目が留まる。
名を「VeNEX INSANITY」
若くして不老不死に至った魔術師だというが、真相は定かではない。
少なくとも私とは相容れない人物なのだろう。
だが。
同時に、問うてみたいとも思った。
不老不死、いわば不死身の生命が本当に存在するのなら、果たして何のために生きているのだろうか。
それこそ、生命とは何なのだろうか。
如何にしてその思想に至り、如何にして不死の魔術を会得したのか。
憎むべき相手であると同時に、我が問いの回答の一端を担うであろう相手の名を、私は確かに記憶した。
そうして、改めて目標を自覚した私は、コーヒーを飲み干し、残った作業に着手した。
先ほどまでのだらけ切った脳みそはもう存在せず、自分の至上命題を見つける為だけに生きる。
「パナケアの空...VeNEX...この問いは必ず。」
その言葉に迷いはなく。
資料を見つめる眼に、力が加わる。
今、自分がすべきことはただ一つ。
自身の理想のために、ひたすらに進むだけだった。
「それじゃ、午後も頑張ってね。」
そう言って、小春もまた、仕事に戻っていった。
デスクの上には、山のように積まれた資料と、空のマグカップだけが残されていた。
用語...?
・魔術師団......主人公の所属する勢力。パナケアの空と抗争中。
・パナケアの空......VeNEXを教祖とするカルト組織。魔術側の勢力。
・魔術医師......この世界の魔術は若干特殊で、魔術によるダメージは魔術でしか癒せないので、医師ではなく専門職の魔術医師がいます。知識とかも普通の医師とは全く異なる。
・魔術......科学と対をなす文明の礎。扱う概念や規模が大きくなればなるほど難易度は上がる。不老不死の魔術なんて仮に存在したらすごいかも。