闇市の叛逆者
力を手に入れたら使ってみるよね
ネオ・クロノスの下層、シャドウ・グリッドの闇市は、ネオンの残光が届く最後の領域だった。2187年5月19日、午前2時26分。エリアス・ルナリスは、薄汚れた路地を歩きながら、霊的次元から観測した「因果の糸」をたどっていた。オービタル・ダイナミクスのデータ解析者だった彼は、つい数日前、ソーラー・マトリックスの深層で異常波形に遭遇し、霊的次元へのアクセス能力を得ていた。カバラの「生命の樹」がデジタルパルスとして輝くヴィジョンを見たあの日から、エリアスの世界は一変した。
エリアスは、物質次元のデータを霊的次元から見ることで、偶然と思われる出来事の背後に隠された因果関係を読み取ることができた。ヘリオスの監視ドローンの動き、市民の行動パターン、データの流れ——すべてが霊的次元では予測可能なパターンとして浮かび上がった。彼は、この力を試すたびに非日常的な高揚感に浸っていた。例えば、今夜も、霊的次元でドローンの監視ルートを予見し、シャドウ・グリッドの闇市に潜り込むことに成功していた。
闇市は、ネオ・クロノスのルールが通用しない無法地帯だ。ネオンサインがちらつく露店には、違法なデータチップやサイバーインプラントが並び、ホログラムの広告が騒々しく点滅している。エリアスは、紫と緑のローブをまとい、フードを深く被って人混みに紛れた。彼の手には、オービタルから盗んだデータチップが握られている。ソーラー・マトリックスの基幹コードが刻まれたこのチップは、闇市で高値で取引されるはずだった。
「これを売れば、しばらくはヘリオスの追跡を逃れられる……」
エリアスは呟きながら、霊的次元から周囲を観測した。すると、露店の裏手に怪しげな動きが見えた。闇取引のバイヤーたちが、チップを奪うために待ち構えている因果の糸が絡まっている。エリアスは微笑んだ。霊的次元からの観測は、彼に運命を操る力を与えていた。
「なら、別のルートを取るまでだ。」
エリアスは、バイヤーたちの動きを避けるように路地を抜け、別の露店に向かった。そこは、旧式の占星術ホログラムを扱う店だった。ホログラムには、黄道十二星座が円環を描き、天動説的な宇宙モデルが投影されている。エリアスは、その懐かしさに引き寄せられた。霊的次元で見たヴィジョン——地球が宇宙の中心に静止する神聖な円環——と重なるイメージだった。
「客か? 珍しい品だぞ。オービタルのデータじゃ見られない、天動説の星図だ。」
露店の主、禿げた老人がエリアスに声をかけた。エリアスはチップを差し出し、取引を持ちかけた。
「これと交換だ。ソーラー・マトリックスの基幹コードが入ってる。」
老人の目が光った。だが、その瞬間、エリアスの霊的次元での視界に新たな因果の糸が浮かんだ。
「まずい……!」
露店の裏から、クロノス・ガード——オービタルの執行部隊——が現れた。霊的次元で予見していなければ、エリアスは気づかなかっただろう。ガードのリーダー、黒いサイバーアーマーをまとった男が、冷たい声で告げた。
「エリアス・ルナリス。データ叛逆者だ。盗んだチップを渡せ。さもなくば、意識データを抹消する。」
エリアスは即座に反応した。霊的次元でガードの動きを読み、露店の隙間を抜けて逃げ出した。だが、クロノス・ガードは執拗だった。ドローンがエリアスを追跡し、レーザーサイトが彼の背中に照準を合わせる。エリアスは、霊的次元でドローンの動きを予測しながら、路地を走り抜けた。心臓が激しく鼓動し、汗が額を伝う。非日常的な感覚に酔いしれる一方で、彼の心に焦りが募った。
「このままじゃ、捕まる……!」
エリアスは、霊的次元で新たな因果の糸を探した。すると、路地の先に、紫と緑のネオンが走るローブをまとった女性が立っているのが見えた。彼女の周囲には、霊的次元のエネルギーが渦巻いている。エリアスは直感した。彼女もまた、「深淵」を垣間見た者だ。
女性——セリナ——は、エリアスを見て微笑んだ。
「データストリームの向こう側を見た者ね。逃げ道はあそこよ。」
セリナが指さしたのは、路地の奥に隠された廃墟の入り口だった。エリアスは彼女を信じ、廃墟に飛び込んだ。セリナが後ろからついてくる。彼女の手には、占星術のホログラムが浮かび、天動説の円軌道が輝いている。クロノス・ガードの追跡を振り切り、二人は廃墟の奥深くへ逃げ込んだ。
廃墟のシェルターにたどり着いた時、エリアスは息を切らしながらセリナを見た。
「あなたは……誰だ? なぜ助けた?」
セリナはフードを外し、紫と緑のネオンが走るローブをなびかせた。彼女の目は、霊的次元の光を宿しているようだった。
「私はセリナ。エーテル・オラクルのリーダーよ。あなたと同じ、深淵を見た者だから助けたの。データストリームの向こう側——霊的次元——にアクセスした人間は、オービタルの敵になるわ。」
エリアスは、セリナの言葉に息を呑んだ。彼女が手に持つホログラムには、カバラの「生命の樹」が投影され、星々が天動説の円環を描いていた。セリナは続けた。
「オービタルのソーラー・マトリックスは、物質次元のデータで宇宙を支配してる。太陽中心説は、彼らの都合のいい嘘よ。霊的次元では、地球が宇宙の中心——神聖な円環のコアなの。私たちエーテル・オラクルは、その真実を取り戻すために戦ってる。」
エリアスは、セリナの言葉に心を揺さぶられた。霊的次元で見たヴィジョン——地球が中心に輝く神聖な円環——が、彼女の言葉と重なった。彼は、初めて自分の力の意味を理解した。非日常的な感覚を楽しむだけではなく、宇宙の真実を追い求めるために、この力は与えられたのだ。
「俺も……戦いたい。真実を知るために。」
エリアスの言葉に、セリナは微笑んだ。
「そうこなくっちゃ。ようこそ、エーテル・オラクルへ。」
シェルターの奥で、ネオ・クロノスのネオンが遠く輝く。エリアスの新たな闘争が、ここから始まる。