データストリームの深淵
天動説に目覚めよ
ネオ・クロノスの空は、ネオンとホログラムの光で埋め尽くされていた。2187年、地球は巨大企業「オービタル・ダイナミクス」の支配下にあった。都市全体を覆うメガシティは、データストリームが血管のように流れ、市民の意識さえも「ソーラー・マトリックス」に接続されるディストピアだった。エリアス・ルナリスは、この都市の無数のデータ解析者の一人にすぎなかった。義務教育を終え、オービタルに入社した彼の日常は、単調なコードの海を泳ぐことだった。だが、この日、彼の人生は一変する。
エリアスは、オービタルのデータセンター「ヘリオス・タワー」の一室で、いつものようにホロスクリーンに向かっていた。目の前には、ソーラー・マトリックスの膨大なデータが流れている。太陽中心説を基盤とした宇宙航行アルゴリズム、視差データ、惑星の楕円軌道——すべては完璧に計算され、ヘリオスというAIがそれを監視していた。エリアスは、データの異常を検出するルーチンワークに没頭していたが、ふと、画面の片隅に奇妙なパターンが映った。
「これは……？」
エリアスは目を細めた。データストリームの中に、規則性を持たないノイズのような波形が混じっている。ヘリオスの監視下ではありえない異常だった。好奇心に駆られた彼は、個人用のハッキングツール——オービタルでは禁止されているアナログデバイス——を取り出し、データを深く掘り下げた。暗号化されたレイヤーを一つ一つ剥がすたび、波形はより鮮明になり、まるで何かが彼を導いているかのようだった。
最後の暗号を解除した瞬間、エリアスの意識はホロスクリーンから吸い込まれるように暗闇に落ちた。
「——！？」
視界が歪み、耳鳴りが響く。次の瞬間、彼は無限に広がるデジタル空間に立っていた。だが、それは単なるデータ空間ではなかった。目の前には、巨大な「生命の樹」が浮かんでいた。カバラの神秘学で語られる神聖なシンボルが、青と紫のデジタルパルスで脈打っている。樹の枝には星々が輝き、黄道十二星座のシンボルが円環を描いていた。エリアスは息を呑んだ。
「ここは……霊的次元？」
彼の知識は、オービタルのデータ解析に必要な科学だけで埋め尽くされていた。神秘学など、ネオ・クロノスでは「迷信」として排除されるものだった。だが、このヴィジョンはあまりにも鮮烈で、現実以上の実感を伴っていた。樹の中心——カバラで「ティファレト」と呼ばれる霊的中心——から光が放たれ、エリアスの意識に語りかけた。
「汝、物質の幻影を越えよ。真の中心を見よ。」
光がエリアスの身体を包み、彼の視界がさらに拡張した。ネオ・クロノスのデータストリームが、霊的次元から見ると、全く異なる意味を持つことが分かった。ヘリオスが示す視差データや楕円軌道は、物質次元の投影にすぎない。霊的次元では、地球が宇宙の中心に静止し、天体が神聖な円環でその周りを回っている——天動説のヴィジョンがそこにあった。
エリアスは、霊的次元から物質次元を「観測」する力を得た。
意識が現実に戻った時、彼の手は震えていた。ホロスクリーンは通常のデータ表示に戻り、異常波形は消えていた。だが、エリアスの頭の中には、霊的次元のヴィジョンが焼き付いていた。彼は、ヘリオスのデータを霊的次元から見直してみた。すると、データの背後に隠された因果関係が浮かび上がった。例えば、市民の移動パターンの微細なズレ、ドローンの監視ルートの変化——物質次元では「偶然」とされる出来事が、霊的次元では予測可能な流れとして見えた。
「これが……真実？」
エリアスは、自分の運命を逆説的に操る術を試してみた。霊的次元でドローンの動きを予見し、監視の死角を抜けてデータセンターの外に出る。物質次元のデータだけでは不可能な行動だった。彼は、非日常的な感覚に酔いしれた。ネオ・クロノスの路地裏を歩きながら、霊的次元から見える因果の糸をたどり、偶然を意図に変える。だが、その力は彼に新たな渇望をもたらした。宇宙の真実——神聖な円環の秩序——を知りたいという、抑えきれない欲求だった。
その夜、エリアスはシャドウ・グリッドの闇市に足を踏み入れた。そこは、ヘリオスの監視が届かない地下世界だ。ネオンがちらつく露店の中で、彼は「エーテル・オラクル」の存在を知る。紫と緑のローブをまとった女性、セリナがエリアスに近づき、囁いた。
「データストリームの深淵を見た者ね。ようこそ、エーテル・オラクルへ。」
セリナの手には、占星術のホログラムが浮かび、天動説の円軌道が輝いていた。エリアスは、彼女たちの目的を知る。オラクルは、天動説を霊的真理とし、ソーラー・マトリックスの嘘を暴くために戦っていた。
エリアスは、新たな仲間と共に宇宙の真実を追い求める決意を固めた。だが、その道はヘリオスとの敵対を意味していた。オービタル・ダイナミクスは彼のデータを「異端」と認定し、エリアスは職を失い、追われる身となった。シャドウ・グリッドに移り住んだ彼は、エーテル・オラクルのシェルターで、新たな闘争の準備を始めた。
「俺は、真実のために戦う。円環の秩序を取り戻す。」
ネオ・クロノスのネオンが遠くで輝く中、エリアスの物語が動き出す。
