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6.杏と団子と市女笠。

「綾瀬!!」


 頭をよぎる、馬鹿げた考え。けれどどうしても否定する気になれないそれに、僕はモヤモヤとした何かを抱えていた。白黒はっきりさせるには根拠が足りない。情報が不足している。僕は杏に会おうと思い、翌日、再び街に繰り出していた。


 団子屋へと向かっていた時、後ろから声をかけられる。昨日聞いたばかりの声に、僕は振り返った。そこには遠くから手を振り、小股で走ってくる市女笠があった。僕はそれに手を振り返した。


 会えれば良いと思った。もっと話が出来れば良いと。でも、こうも都合よくことが運ぶとは思わなかった。


 僕に追いついた杏は昨日とは違い、今度は若葉色の着物を身にまとっていた。けれどそれは相変わらず上等なもの。息を切らしながら杏は口を開いた。


「奇遇ね、こんなにすぐ会うなんて思ってもみなかったわ」


 汗を拭うように市女笠の中で手を動かす彼女に僕は口を開く。


「相変わらず市女笠なんだ」


 僕の言葉に彼女は手を止め、それから小さく笑った。


「そんなに私の顔が気になる?」


 また感情を読んだのだろう。僕はそれに肩を竦めて笑った。


「そりゃあもちろん。団子を奢ってくれる僕の恩人の顔だからね」


 顔が分からなければ後で恩返しができないじゃないか、と少しおどけて言ってみせる。彼女はしばらくの間、何も言わずにじっとこちらを見ていた。けれどやがて小さく笑って「なによそれ」と言う。


「本当に、面白いものじゃないわよ」


 彼女がぽつりと小さくこぼした声は、独り言のようだった。明らかに聞かれないようにと小さな声で紡がれたそれに、僕は気が付かないふりをする。切なげな声。ひょっとしたら顔に傷があるというのは本当の話なのかもしれない。


「さぁ、今日も団子を食べるのかしら?」


 浮かんだ考えを心の奥底に沈めて、僕は笑う。


「奢ってくれるのなら是非」


 ○○○


「なんだい、あんたたちまた来たのかい」


 団子屋の暖簾をくぐると、女将が僕らを見て目を丸くした。それに杏は「えへへ〜」というよく分からない笑い声を上げた。それから元気に「今日も団子2つ!!」と指を立てて女将に突きつける。女将はしばらく呆然としていたが、呆れたような、どこか嬉しそうな顔をして「はいよ」と返した。


「ねぇ、綾瀬。綾瀬はどこに住んでるの?」


 椅子に腰かけるとすぐ、彼女はこちらを向いてそう尋ねた。僕はそれに「西の方」と適当な答えを並べる。


「杏はどこに住んでるの?立派なお屋敷?」


 聞き返すと杏はぴくり、と肩を揺らしてそれから曖昧な声を出した。


「うーーん…そうね、まぁ、大きな屋敷だってことを否定するつもりは無いわ。どうせバレてるでしょうし」


 少し恨めしげに言った彼女に僕は両手を上げて「参った」というポーズをする。


「そりゃあ、君がどこかの令嬢だろうなってことくらいは分かるよ。着ている着物が上等だ」


 僕がそう言うと彼女は不貞腐れたように頬を膨らませた。唇に乗る紅が目に映る。


「それからお金持ちでもなければ知らない男に団子を頻繁に奢ることは無い」


 追い討ちをかけるようにそういうと彼女はしばらく考えて、それから「確かに」と呟いた。


「でも酷いわ。私、何も言ってないのに」


「じゃあ君はもっと酷い。僕が隠してる感情を平気で見抜くんだから」


 からかうように言うと彼女は笑った。その通りだわ、と言う。ちょうどその時、女将が団子を持ってやってきた。連日来たサービスなのか、今日は熱いお茶もついている。彼女は「ありがとう」と言って、昨日と同じように慣れた手つきでお金を払った。


 琥珀の蜜、みたらし。僕は思わず唾を飲む。昨日の口の中に広がったあまじょっぱい風味を思い出して、まだ食べてもいないのに頬が落ちそうだった。


 くすくす、と控えめな笑い声が聞こえた。目をやると、杏だった。


「ねぇ、綾瀬ったら本当にみたらし団子が好きなのね。私じゃなくてもそれはわかるわよ」


 笑いがこらえきれないのか、市女笠が細かく揺れた。僕は少し恥ずかしくなって顔を背ける。けれど直ぐに彼女は僕の肩を叩いて、団子を1本差し出した。


「はい、私の奢りね」


 僕は一瞬、それを見つめて、杏を見た。杏が首を傾げる。


「ありがとう」


 僕の言葉に彼女が今度は呆気にとられた。その隙に僕は団子を手に取り、食べる。ややあって、彼女が「こちらこそ」と返した。


「あなたが私の話し相手になってくれて良かったわ」


 そう口にした彼女に、僕はそっと目を向ける。彼女は団子を手に取り、一つ頬張っていた。声に染みていた切なさや悲しみというような感情は、まるで読み取れそうになかった。


 僕は自分の齧った団子を見た。それから、横目に彼女を見る。忙しなく動き出しそうな心臓は、どうしてか妙に凪いでいた。


「…紅」


 僕はわざと、彼女にしっかりと聞こえるようにそう呟いた。さぁ、どう反応する?もし彼女が本当に二条家の令嬢、紅姫であるならばその名前に多少なりとも反応を示すはずだ。僕は横目に彼女を伺い、その様子を見た。自分でも、妙に冷めた感情を抱いていたように思う。けれど彼女の反応は僕が期待したものでは無かった。


 彼女は僕の方を見て、首を傾げた。市女笠の中の表情はうかがえない。


「紅がどうかした?」


 そう言って、彼女は自分の唇に触れる。


 ー口紅


 僕はそれをじっとみて、それから何も無かったように明るい笑顔をうかべた。


「いや、凄くよく似合ってると思って」


 僕の言葉に彼女は口を少し開いたまま、何かを迷うように動かした。けれど何も口にすることはなく、小さく弧を描くだけにとどまる。


「あなたは私の顔見えてないくせに。口説いているの?」


 それが切なく響いて耳に届く。照れたような、嬉しそうな言葉を並べながら、その声はどこか悲しみに浸っている。


 纏う上等な衣や佇まいは公家のそれでありながら、令嬢とは思えない不用心さと自由さ。相手をからかうような調子で紡がれる言葉の数々と心底楽しそうな声。一方で、時折見せる悲しげな様子。


 まるですべてがちぐはぐだった。


 ずっと、違和感があった。彼女の見せる、あまりにも正反対な振る舞い。まるで、彼女の中に2人いるようなー…


 そこまで考えて、不意に思考が中断された。僕の着物の端を、彼女がきゅっと掴む。彼女を見た。杏は、僕とは目を合わさず、顔を俯けたまま小さく言葉を漏らした。


「綾瀬、また明日も団子を食べようよ」


 僕はそれにしばらく迷い、それから「良いの?」と尋ねた。


「僕はお金を持っていないよ」


「良いの、私が払うわ」


「…家族は心配しないかい?毎日出かけて知らない男と団子を食べて」


 僕が言った「家族」という言葉。彼女は僕の着物の端を掴んだ彼女の手が僅かに震えた。


「…大丈夫、誰も私を気にかけていないから」


 諦めたような声だった。僕はそれに目を細める。彼女は家族と何かがあったのだろう。仮に彼女が二条家の令嬢だったとして、果たして家族に何か悩みを抱えるだろうか。大切な娘を気にかけないなんてことが。


 そもそも僕は、なぜ彼女が二条家の令嬢だと思ったのだろう。


 端から根拠などなかったが、確信めいたものを感じていた。それは僕なりに何かに気がついたからだろう。でも、それが何かは分からなかった。


 予想は、外れたのだろうか。


「…杏が良いのなら、僕はいくらでも付き合うよ」


 僕の言葉に、彼女は顔を上げる。市女笠の下、垂れ布の中で彼女の唇は嬉しそうに笑った。

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