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しのぶれど。  作者: 朝月夜
◆『杏』編
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27.杏(壱)

「ねぇ、団子食べたいの?」


 いつもの日課を終えた帰り道だった。団子屋の方を見つめながら、どこか遠く寂しい目をした男の子が道の真ん中に立っていて、私はそう尋ねた。賑わう街の真ん中、1人で取り残されたような顔をしたその子は私の方を見て、気まずそうに目をそらす。


「…いや、別にそういうわけじゃないよ」


 その答えに私は小さく首を傾げた。市女笠越しに、彼の表情をじっと見つめて私は確信する。


 ー嘘だ


「あら、でもさっきまであんなに物欲しそうな顔をしてたじゃない。いいなぁって顔に書いてありましたから」


 目の前のこの人が、どんな悩みを抱えていて、どんなことに苦しんで、何に喜ぶのか。それを詮索するつもりもなかったが、どうしてか、放っては置けなかった。放っておいたら、いつか、彼が消えてしまう気がして。そして同時に、その顔に()()()()の面影を重ねていたのだろう。


 だからあの時、おどけた口調でそう言ってしまったのだ。


 図星をつかれたように目を見開き、戸惑う彼に私は小さく笑みを浮かべた。


「私、感情の機微を読み取るのが得意なのよ」


 得意げに。爛漫に。奔放に。


 私の得意なこと。振り回してしまえば良い。振り回して、ずかずかとプライベートに踏み入って、それでも、本当に繊細なところには触れないで。そうしていればきっと、彼の表情が少しでも晴れると思ったのだ。


 私には、それができる。だって、感情の機微を読み取るのが、得意なのだから。


 〇〇〇


 私はずっと、貧しい暮らしをしていた。


 母とふたりの暮らしだった。父は母のお腹に私がいることを知るとすぐに出稼ぎに行ったらしい。「今に良い暮らしをさせてやる」と言い残したらしいが、結局帰らなかったと母は言う。なにか事故や事件に巻き込まれたのか、それとも、都の暮らしを知って貧民街が嫌になったのか。真相こそ分からなかったが、母は父が死んだものとして静かに受け入れていた。


 小さな畑を耕して、大して実ることもない作物で食いつないで。寒さに震えては体を寄せ合い、「寒いね」と微笑みあって。月を眺めて。


 贅沢なはずもない。楽なはずもない。明るい、都とは似ても似つかない。それでも、私にとってあの暮らしは、確かに暖かく、優しいものだった。


 何も望まなかった。お金も、豪華な家も、豊富な食べ物も。ただ、母がいれば。


 けれど、それは長く続かなかった。今から十年前、私が七歳の頃。貧民街に疫病が流行し、それが原因で母は亡くなった。熱に喘いでも薬はなく、痩せていく体にあげる食料もなく。この時初めて、自分にお金が無いことを悔やんだ。お金がいらないはずがなかった。お金がなければ、大切な人を守ることも、救うことも出来ない。現状を変えることも。


 冷たくなった母の亡骸を埋葬し、小さなボロ屋の中で1人、膝を抱えて暮らした。朝も夜もそうして、ずっと、ボロ屋の中、どこか遠い一点を見つめていた。


 たまに母の声が聞こえる気がして、その度に周りを見て、落胆して。見開いたままの目からぽたりと涙が落ちる。悲しくても、声を上げて泣くことも出来ず、誰かに打ち明けることも出来ず。膝を抱えて、必死に震える手で自分を抱いて。そうして、耐えているうちに疫病の流行は収束した。母の命を奪ったそれは、他の大勢の命も奪って、何事も無かったかのように消えてしまった。


 ボロ屋には、何も無かった。壁の木材の隙間から朝日が差し込んで、屋内を舞う砂埃を照らし出す。それを見て、やがて私は機械的に立ち上がった。フラフラした足取りのまま、家を出て、そばにある小さな畑を見る。


「そういえば、手入れ、してなかったなぁ…」


 口をほんの少し開いてそこからこぼれた言葉。母の死から一度も世話をすることのなかった畑はすっかり乾いていて、当然、そこにあった僅かな食料もすべて力なく萎れている。


 お腹がすいた。食べるものがない。


 その事実をぼんやりと理解して、そのまま私は蹲る。自分の腹の虫が奏でる音楽を聴きながら、憎らしいくらいの青空を見上げた。


 もう随分体を拭いてもいなかった。土にまみれ、涙が伝った頬は引き攣るような感じがした。ぎしぎしに軋む髪の毛も、風になびくことは無い。


 ー貧しいのは、誰のせいなのだろう


 ふと、そう思った。私のせい?母のせい?それとも、家を出たきり帰らなかった父のせい?


 お金を稼ぐというのが難しいことなのは知っていた。この世界は、差別に満ち溢れていることも。私たち貧民街の人間が、あの煌びやかな都で商売をするのは無理があることだった。


 きっと、父だってー…


「ーねぇ、大丈夫?」


 不意にかけられた声に、私は心臓が飛び跳ねるのを感じた。声の主の方へ目をやるとその人は肩を震わせた私に目を丸くして、それから笑った。


「急に声をかけてごめんなさい。ただ、蹲っていたから心配になって」


 ボロボロの服を身にまとった女性。けれどその表情は柔らかく、まるで貧民街の人間には見えなかった。ゆっくりと差し伸べられた手に、私は虚ろな目を向ける。


「ねぇ、うちでご飯でもどう?」


「…」


「すぐそこだから」


 貧民街という場所は、その文字通り、貧しい人間が集まった場所だ。他の人間を気にかけることなんて当たり前にないし、ましてや食料を赤の他人に分けるなんてことは天地がひっくりかえったって有り得なかった。明日の自分の生死がかかっているからだ。それをなんて事ないように言ってのけた彼女に、私は疑いの眼差しを向けて、そうしているうちに彼女の後ろにしがみついている何かを見つけた。その視線に気がついた女性は困ったように笑って、それを前に連れてくる。小さな、3歳くらいの女の子を。


「この子はうちの娘よ。ほら、挨拶なさい」


 人見知りするように私の様子を伺い、そうして女性を見上げた小さな女の子。女の子は、女性に軽く背を叩かれて、前に2、3歩踏み出した。蹲る私と視線が真っ直ぐにぶつかる。


 ーあぁ、綺麗な顔


 まだ何も…穢れも、苦労も知らないようなその子は私を見て明るい笑みを浮かべ、手を差し出した。


()()、3歳です!よろしくお願いします!」


 女性とよく似た、柔らかく美しい少女は春香と名乗った。

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