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しのぶれど。  作者: 朝月夜
◆『四条家』編
24/34

21.社交会

 社交会に潜入する。伯父の目論見を阻止するために。僕が僕の大切なものを守るために。そのためには誰よりも早く紅姫に接触しなくてはならない。そして、紅姫に近づこうとする兄弟を遠ざけなくては。


 —僕は、白音が用意してくれた着物に腕を通す。


 肌触りの良いそれは、おそらく潜入のために屋敷に元から用意されていたものだろう。四条家から屋敷に戻ると直ぐに白音はそれを取りだし、僕にきせた。黙々と作業をこなし、順調に着付けが終わる。


 白音はそのまま直ぐに僕に鬘を被せた。鏡に映る長い黒髪を添えた僕の顔は見慣れないものだったが、それでもどこかバランスが整っているように見えた。似合うと自分でも思ってしまったことに苦虫を噛み潰したような顔をする。


 畳の上に座った僕の髪を梳く白音。そのまま高く結い上げ、簪を差す。


「ー随分手馴れているね」


 僕の言葉に今度は白音が顔を歪める番だった。


「女性物の着物も、髪型も、化粧だって。ー誰かさんがいつだって突飛な発想をするから使う時があるかもしれないと思って覚えたんですよ」


「あはは…」


 恨めしそうな目を向けてきた白音に、僕は笑って誤魔化した。彼だってまさか僕を女にするとは思っていなかっただろう。きっとあの時の言葉も冗談だったはずだ。


「でも、なかなか似合うだろう?」


 白音を振り返り、僕はそう笑う。それに白音はどこか気まずそうに目を逸らし、ため息をついた。


「まだまだですかね、声が低い」


「あら、じゃあこれならどうかしら?」


「…」


「…やっぱり今のは無しで」


 なぜだか妙に白音を揶揄いたくて調子に乗っていたが、自分の喉から出た声が耳に届いた瞬間、そして同時に白音の顔が恐ろしいほど歪んだその時、僕は人生でも指折りの後悔を覚えた。


 すっかり呆れ返った白音は僕の背中を乱暴に叩いて「さあ、早く行ってください」と言う。


「こんなことしているうちにもご兄弟は動いていますよ」


「—あぁ、わかっているさ」


 鏡の中、妖艶に微笑む令嬢がこちらを見つめていた。


 ◯◯◯


「…っと」


 変装を済ませて僕と白音はすぐにまた四条家に戻った。表の門番の目を掻い潜り、死角となる横の塀を乗り越え中に入る。着物が重くて動きづらいがなんとか門の内側に着地した。


「綾目さま、大丈夫ですか」


 塀の上から聞こえる囁き声に、僕は上を見る。濃紺に浮かぶ二日月を背景にして白音がこちらを見下ろしていた。僕はそれに小さく微笑み、頷き返す。それを見た白音が安心したように


「ではご武運を」


 とだけ告げて塀の向こうに姿を消した。大人数で、しかも変装をしていない白音がそばにいては目立ってしまうのでここからは僕一人での行動になる。僕は白音の姿が見えなくなったのを確認して、それから少しはだけた着物の裾を直す。目的はひとつ、この社交会に参加しているはずの紅姫に接触すること。


 屋敷の方へ目を向ける。中からは楽しげな笑い声と楽器の音、そして暖かな灯りが漏れてくる。


 —何にも、知らないくせに。


 思わずそんなふうに心の中で悪態をついて、そしてそんな自分を自嘲した。心なしかぬかるんだ地面を踏みしめながら、暗い地面を見つめる。


 何を今更羨んでいるんだ。自分にはそんな権利もないのに。今だって、若い令嬢を殺そうとしているのに。


「…貴族なんて、嫌いだ。—大っ嫌いだ」


 譫言のように呟く。きっとお金を浪費している。意味もなく。誰かの努力を踏み躙りながら。己の穢れを無視して他人を穢れとして見下しながら。


 僕は目を閉じ息を吐く。そうしてそれから前を向いた。ぬかるむ地面を踏み出す。とりあえず人のいる場所に向かわないと。そう思いながら歩いていると、中庭に出た。建物に三面を囲まれ、ガラス越しに灯りが差し込む庭園。それはどこか浮世離れしていて、まるで物語の舞台かのようだった。


 それにほんの一瞬目を奪われいると、ふと、庭園の中に腰掛があり、そこに誰かいるのが目に入った。僕はそっと近寄り、声の高さを意識して話しかける。


「…こんにちは」


 僕の声に驚いたのか、令嬢はビクッと肩を揺らして、驚いたように振り返る。その顔を見て僕は目を見開いた。彼女の目に涙が浮かんでいたからだ。


 彼女はしばらく僕の顔を見て呆然とし、それから慌てたように着物の袖で顔を拭った。


「あ…えっとその、ごめんなさい。お見苦しいところを」


「いや全然…。むしろ私こそ驚かせてごめんなさい」


 涙を乱雑に拭ったように、目の縁を赤く染めた彼女はゆるく微笑んだ。柄が大きく描かれた豪華な青い着物は彼女に似合っていたが、どうしてもその表情には似合わない。どこか儚げな、色白の令嬢だった。


「あなた見ない顔ね。どこのお家の方かしら」


 令嬢の問いに僕は口ごもる。当然聞かれるだろう問い。けれど僕は答えを持ち合わせない問い。適当に家の名前をあげることはできるが、万が一にもそれが彼女の知り合いの家であったりこの社交会に招待されていない家であったりした時にはもう言い逃れができない。


 僕が困って黙っていると、彼女は申し訳なさそうに口を開いた。


「ごめんなさい。人に聞く前に私が答えるべきだったわよね。—私は三宮家の次女、凛です。もしもお家の名前を言うのが嫌なら名前だけでも教えてくれないかしら」


「…本当に家名は良いの?」


 それならばありがたい。ためらいがちに、家にトラウマがあるかのように振る舞うと凛は少し目を見開いて、それから笑った。


「構わないわ。誰にでも聞かれたくないことくらいあるもの。その代わり、私の泣いてた理由は聞かないでね」


 お茶目に唇に人差し指を寄せた彼女に、僕は頷いた。


「私の名前は…綾、綾よ」


 あああ!!!!僕の馬鹿!センスなし!


 綺麗に作った笑みを顔に貼り付けながらも、心の中では羞恥心に頭を抱えていた。綾瀬の次は綾。僕には本当にネーミングセンスというものに欠けている。白音にだけはバレたくない。絶対馬鹿にされる。


「綾ね。よろしく、綾さん」


 凛は腰掛の自分の横を軽く叩いて「座ったら?」と促す。


「…良いの?」


「良いも何も、私が誘ったんだから」


 変な子ね、と眉を寄せて笑う凛。その赤い目元にさっと目を伏せた。


「—きっと、一人になりたいんだと思ったから」


 話をしてくれるのならありがたい。もしかしたら紅姫に関する情報があるかもしれない。でも、賑やかな屋内ではなく、そこから逃れるようにここに来て、一人で泣いていた。その涙の理由は聞かないと言ったし知るつもりもないけれど、きっと彼女なりに何か辛かったからここに来たのだろう。その思いを無視してまで任務を遂行するつもりもなかった。まだ他に情報源はあるのだから。


「—綾さんは優しいのね」


 “優しい”。その言葉に胸がちくりと痛む。僕は何も返事はせずに、ただ無理やり口角を引き上げた。僕の胸中を知ってか、それとも全く気がついていないのか、凛はそれを見ても何も言わず、僕から目を逸らしてまっすぐ前を見た。その先には明るい屋敷。


 もしも。もしも今目の前にいるのが杏だったら、彼女は僕の胸中に気がついたのだろうか。


 きっと、言うまでもなく気がつくのだろう。そうして市女笠から覗いた口元が勝気な笑みを浮かべるのだ。『綾瀬、今こう思ってるでしょ』と。『人の感情を読み取るのは得意なんだから』と胸を張って、僕の隠したい思いも何もかも暴くのだ。そうして団子を口に突っ込んで忘れてしまえと言う。美味しいものを食べれば大丈夫だと。


 ー居もしない人に縋ってどうしたいんだ。


 駄目だ。鬼灯に会ったからだろうか。それとも昔のことを思い出してしまったからだろうか。どうにも今日は不安定な気がする。早く任務を終わらせて離脱しないと。でないといつか…


「あっ、そういえば綾さんはもうお茶を飲みました?」


「…お茶?」


 突然明るい声を出したかと思えば、その口からとび出たのは想像していなかった単語だった。僕は目をぱちくりさせ、凛を見る。彼女は腰掛けに座ったまま、上品に背筋を伸ばして僕を見上げた。


「えぇ、そう、お茶。今日の社交会に()()()()が持っていらしたお茶よ。それがまた珍しいお茶でとても美味しくて…」


「…()()()()?」


 僕は思わず目を見開いた。その反応をどう受けとったのか、凛はそのまま話を続けた。


「えぇそうよ。二条家のご令嬢、紅姫さま。普段はあまり社交会にいらっしゃらないのだけれど、今日はいらっしゃるの。あなたもご存知でしょう?」


 向けられ真直ぐな瞳に僕は慌てて仮面を張りつけて取り繕う。


『彼女、あまり社交界には現れないから私も1度しかお会いしたことないけれど、でもまれに現れるとすごく話題になるの。年頃の令嬢で彼女に憧れない人はいないもの』


 杏の言葉を思い出す。令嬢の憧れ。そんな彼女が参加していて、しかもお茶を手土産にしたのなら話題にならないはずがない。社交会に参加しているものならきっと、誰でも知っているだろう。


「…えぇもちろん。知っているわ。今日は紅姫さまが参加なさると聞いていたから勇気を出して来たのだけれど、どうにもこういった集まりは苦手で…。すぐに出てきてしまったので飲みそびれたんです」


 それらしい理由で誤魔化して、口元を袖で隠した。それから凛を見て、残念そうに眉を寄せる。


「でももうきっと無くなってしまいましたよね。残念です。飲みたかったのですが…」


 みんなの憧れ。美味しくて、珍しいお茶。社交会が始まってからはもう随分時間が経っている。そんなに大量に手土産で持ってきた訳でもないだろう。


 当然、お茶は無いはずだ。


 僕がこうして残念そうに振る舞えば凛はきっと…


「んー、そうねぇ…多分もう無くなっているでしょうけど…。あ、そうだわ。もし良ければ私と一緒に紅姫さまに尋ねてみませんか。もしかしたら手土産分以外でまだお持ちかもしれませんし、そうでなくともどこで買えるかは教えていただけるかもしれません!私ももう一度あのお茶は飲みたいですし…」


 きっと、()()()凛なら僕を紅姫に引き合わせてくれる。


 袖の下、僕は小さく笑みを浮かべた。


「えぇ、よろしくお願いしますわ」

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