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しのぶれど。  作者: 朝月夜
◆『懐古』編
21/34

18.懐古(拾)

『ー綾目、すまない。俺は、お前に羨まれるような人生を歩んじゃいない。でも、俺はお前が心底羨ましい』


 夏生さんが、今まで僕を見て何度も言った言葉。夏生さんの姿に憧れる僕に、彼は何度も羨まれるような人生を歩んでいないとまるで遠ざけるように口にした。そして、僕が羨ましいと。それは普段豪気な夏生さんの、どこか弱い部分のような気がして踏み込めなかった。


 僕と夏生さんの間に、僕も夏生さんも、それぞれ線を引いていた。親しい関係は、どこかよそよそしく、お互いにお互いの心に触れることは無いまま、表面上は穏やかな関係を演じている。ー霧の門と同じ、歪な関係。


 知っていた。ずっと、夏生さんが僕を羨ましそうな目で見ていたことを。そして、どこかで僕を嫌っていたことを。それは自分が嫌いな夏生さんを好いている僕への牽制だったのかもしれない。あるいは、僕が雛菊に抱いた思いと同じだったのかもしれない。それでも、()()は互いに目を背けた。歪んだ霧の門の中で、味方と呼べるのは僕らしかいなかった。僕らの、歪んだ関係しか無かったからだ。


 ー夏生さんが、好きだった。


 負け犬と呼ばれてもなお、自分を曲げることなく生を謳歌するその姿はかっこよかった。力があって、自信に満ち溢れていて、そして、快活。僕は彼のようになりたくて、ずっとそこへ手を伸ばした。


 ー夏生さんが、嫌いだった。


 僕には無いものを持っている夏生さんが嫌いで、憎くて。そして、そんなふうに思ってしまう僕自身も嫌いだった。


 夏生さんが味方では駄目なのか。雛菊との事で話をしている時、僕はそう尋ねた。夏生さんは笑って誤魔化したが、肯定することは無かった。夏生さんが父であれば、と言った時もだ。自分が将来、僕の傍に居ないことをまるで予言しているかのようだった。


 夏生さんは言った。全てが終わったあと、何をどう感じて、どう判断してもそれが全て正しいと。価値判断の基準を他者に委ねるな、と。それはきっと、今この状況を指しているのだろう。夏生さんに縋ってきた僕の手が、夏生さんから離れた今を。


 夏生さんはきっと、僕の下す判断がどんな物か、分かっている。だからあの時、自分が傍にいないような言葉を紡いだのだ。僕はきっと、手を汚した夏生さんを許せない。信じられない。それが例え、僕のためであったとしても。なぜならそれは僕の憧れだったので夏生さんを奪い、僕の希望を砕く行為だからだ。


 雛菊が去った後の部屋、僕は変わらず布団の中で拳を握っていた。


 明日行われる長決定戦。()()()()()()()()()()し、その行く末を見守らねばならない。自分がこれから従う人間を、見極めるために。


 夏生さん、春香、雛菊。大切なものも選べないまま、覚悟もないまま手からこぼれ落ちた幼い妹の命。でもきっと、夏生さんは選んだんだ。僕が春香の家の前で蹲り、雛菊と春香の命を天秤にかけ、結果選べなかった時に。夏生さんはきっと、僕の命と春香の命を天秤にかけて、僕を選んだ。選べて、しまったんだ。


 固く握った拳を、暗闇の中見つめる。もう、涙も出ない。妙に冷静になった頭のまま、僕はおもむろに布団からはい出て起き上がる。夕方だろうか、薄明かりの中、握った拳だけが目に映る。固く握った拳を開く。僕はこの拳で、何を選びとるのか。


 僕は、前を向いた。


 ○○○


「ー綾目さまっ!」


 翌朝、部屋を訪ねてきた雛菊は、布団を畳み着替えを済ませた僕を見て目を見開いた。僕は雛菊を見て、無表情のまま口を開く。


「長決定戦はどこでやる?」


 無感情な僕の目は、きっと冷たかったろう。声もいつもより数段低く、自分でも恐ろしいほど感情が失われているように感じた。雛菊は息を呑み、立ちすくんだ。そうしてしばらくして、震える口を開く。


「…継承の間、だそうです」


「そう、分かった」


 障子を開けたまま立ちすくむ雛菊に目を合わせることなく、僕はその横を通り過ぎた。数日ぶりの部屋の外は残酷なほど眩しく、目が眩む。一瞬遠のいた景色に、僕は目をつぶった。


「ー綾目さま」


 不意に、雛菊は僕の着物の裾を掴んだ。菖蒲柄の着物が揺れる。目が慣れて浮かび上がってきた景色の中、雛菊は僕の目の前に立ち、真っ直ぐにこちらを見つめていた。


 その瞳に、無表情な僕が映り込む。


「…何か用?」


 冷たく硬い、無機質な声。雛菊はまた一瞬、口を噤む。目を伏せ、けれど直ぐにこちらをまた真っ直ぐに見る。決意の籠った目。ー夏生さんのような、目。


 一瞬よみがえった頬に飛び散る生ぬるい血の感触に僕は眉をひそめた。


「僕は、綾目さまを信じてます。一生を掛けられなくても、僕はあなたを信じます」


「…」


「僕は、()()()()()()()()()()


 ー雛菊を諦めるな


 あぁ、どうしてこうも、雛菊は夏生さんを思い起こさせるのだろう。明るく強く、頼りがいのある、僕の唯一の拠り所であった夏生さんを。


 僕は唇を噛んだ。雛菊の瞳に映る僕が、泣きそうな顔をする。


 お願いだから、忘れさせてくれと願う。僕の中にはもう、残酷にも幼い少女の命を奪った夏生さんしかいない。それなのに、いつかの僕が憧れた夏生さんの姿が雛菊にちらつく。選びたいものを選べない僕は、また迷う。


 僕は、夏生さんを諦めたくない。


 裏切られたと思うのに。自分の希望が砕かれたように思うのに。目の前に、冷酷な夏生さんがいたのに。そんなことを思ってしまう。


「ー雛菊」


 本当の夏生さんは一体どれだろうか。夏生さんはどうして選べてしまったのだろうか。…まだ、間に合うだろうか。


 知りたいことを知るために、僕は選ばなくてはならない。昨夜、握った拳の中に僕が持っていたもの。


「…君は、僕の味方でいてくれるかい」


 縋るように尋ねた僕に、雛菊は柔らかく笑って見せた。その顔が、朝日に照らされて浮かび上がる。


「ーもちろん、僕はあなたの右腕ですから」


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