表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
しのぶれど。  作者: 朝月夜
◆出会いと強襲
10/34

7.強襲

「…杏は社交界とか参加したことあるのかい?」


 翌日、再び団子を食べていた僕は杏に尋ねた。杏は口に入っていた団子を飲み込み、それから口を開く。


「えぇ、まぁそりゃあるにはあるけど…どうかした?」


「二条家のお嬢様ってどんなお人なのかと思って」


 僕はストレートに尋ねる。すると案の定、彼女は首を傾げた。


「突然ね、どうして二条家の令嬢が気になるの?」


 当然、そう聞くだろう。僕は言葉を選び、顔色に細心の注意をはらいながら用意していた文章を並べた。


「最近街で話題なんだよ、令嬢が先の疫病で親を亡くした子供を支援してるって。だからどんな人なのか気になって」


 嘘ではない。事実、令嬢が行っている慈善事業のことは街の人が噂している。経済的な支援というが、本人が直接赴いてなくても身分の高い人が街へやってくれば話題にならない方がおかしいのだ。


 杏は少し考え、それから口を開いた。


「二条家の令嬢というと、紅姫ね。二条家の一人娘だと聞くわ。彼女、あまり社交界には現れないから私も1度しかお会いしたことないけれど、でもまれに現れるとすごく話題になるの。年頃の令嬢で彼女に憧れない人はいないもの」


 思い出すように人差し指を顎にあてながら語る彼女。僕はそれをじっと見た。


「あぁ、でも今度の社交界には来るんだったかしら」


 彼女がこぼした言葉に僕は目を見開く。令嬢が、あの堅牢な二条家の外に出る。それは僕にとって絶好の機会だった。彼女に接触し、話を聞いた後に暗殺する。二条家に潜入することなく出来るのならばリスクも低い。僕は汗ばんだ手を握った。


「…それはいつ?」


 尋ねる僕を、彼女が見た。また、見透かされるような気がする。


 ー質問を間違えたか?


 ふと、脳みそが妙に冷静になった。ただ興味を持っただけの町人が、尊い身分の人間に会おうだなんて普通は考えない。だから社交界の予定なんて聞く必要は無い。この質問は、不自然だ。


 垂れ布の向こう、見えない彼女の目が僕を責めるような気がした。僕は懸命に表情筋を動かさないように注意する。


 忍びたるもの、常に冷静に。冷酷に。感情が揺り動かされることはあってはならない。


 ずっと教えられてきたのにどうして忘れていたのだろうか。みたらし団子の琥珀の蜜があまりにも美味しかったからだろうか。それとも、彼女の無邪気さに当てられたのだろうか。


 どちらにせよ、それは僕の落ち度だった。


 忍びが腹に抱えた計画を他者に悟られる、なんてことがあってはならない。それはすなわち隠密の失敗。忍びとしての意味を失うことになる。忍びになる為だけに育てあげられた僕らにとってそれが意味するのは()だった。


 手汗が酷い。握った拳が滑りそうになる。頬を汗がつたいそうで、恐ろしい。僕は彼女から目をそらさない。感情の機微に聡い彼女。彼女はこんなにも恐ろしい人間であっただろうか。


「ー明日の夜、場所は四条家よ」


 ため息を落とし、そう告げた彼女に僕は思わず「え?」と声を上げる。彼女は僕から顔を逸らし、団子をほおばった。


「正直、綾瀬がそんなに馬鹿だとは思わなかったわ。行ったって会えるわけないのに。…まぁ、四条家とはいえ公家は公家。万が一にも警備をすり抜けて紅姫に会えたら面白いわね」


 淡々と告げる彼女に僕は口を開いて間抜けな顔をしていた。疑っていないのか、それとも、平静を装っているのか。


「ねぇ杏。もしかして僕のことミーハーだと思ってる?」


「別に」


 そう言った杏の頬は膨れていた。不満気な様子に、僕は首を傾げる。


「ただ、私がいるのにほかの女の話をした綾瀬が恨めしかっただけよ」


 口をすぼめてそう言った彼女に、僕は一瞬呆気にとられて、それから吹き出した。


 ○○○


 翌日、夜。僕は白音と共に二条家から四条家へと向かう途中にある茂みの中に身を隠していた。二条家はもちろん、四条家も同じく公家。警備は厳しく、忍び込むのは容易ではない。だからそこへ向かう移動中、牛車にいる令嬢を狙うことにしたのだ。


「白音、殺しては駄目だよ」


 僕が声を潜めて言うと、後ろにいた白音は小さく笑った。


「わかってますって。傷つけずに生け捕り、その後事情を聞いて裏を取った上で殺害、でしたよね」


 僕はそれに頷き、纏った忍び装束の覆面を身に着けた。二日月の弱い光は地上を全て照らしはしなかった。茂みの闇に溶け込むようにして、その時をじっと待つ。


 もしもこの作戦が成功したなら、これで全てが終わる。終わらせられるはずだ。任務が簡単すぎるとか、残忍さが足りないとか、裏があるはずだとか。思う所は多くあれど、それは後で考えれば良い。


「忍びたるもの、なにも考えずただ忠実に任務をこなすのみー…」


 気がつけば、無意識に僕の口は小さな声で言葉を零していた。僕の言葉に白音は小さく肩を揺らし、僕を見て眉を寄せた。


「綾目さま」


 白音が僕の名前を呼ぶ。僕はそれに、無意識に目を向けた。白音の目が真っ直ぐに僕を見る。僕はそれを、無感動に見つめる。


「綾目さま、違います」


 強い意志を持った目が、僕の心を射抜く。しばらくそれを見つめて、やがて僕は目を見開いた。


 ー違う、落ち着け。


 息を吸い、吐き出す。長い深呼吸をする。


 僕の悪い癖だ。任務になると、どこか投げやりになる。幼い頃からの教育の賜物なのか、妙に冷徹になる。あの、祖父のしわがれた声が呪いのように脳の中に反響して、気がつけば僕は思考を失う。


 違う。考えることを辞めるな。考えることは、理解することだ。他人事を自分事に置き換えることだ。忍びとは暗殺も担うし、その相手がいつも悪人であるとは限らない。考えないことは自分の心を守ることだ。でも、僕は()()()、考えることを辞めないと誓ったじゃないか。


「綾目さま、僕との約束、覚えていますか?」


 約束。雛菊が僕にかつて誓ったことであり、僕がそれに応えることを望んだこと。泣き腫らした顔の雛菊が差し出した小さな小指を僕は覚えている。


「…もちろん、覚えてるよ」


 忍びが嫌いだ。歪んだ世界が嫌いだ。そして、血に汚れた自分自身が嫌いだ。だから僕はずっと、自分自身を消してしまいたかった。でも、命を絶つ覚悟もない。ただ、他人の命を犠牲にしては生き延びる日々。


 それでも、僕は雛菊に、白音に正しさを教えると約束した。僕らでは世界を変えるなんて大層なことは出来ないけれど、それでも、正しさが何なのかを教えると。そのために、考えることをやめてはならない。思考を、呪いのような祖父の声に奪われてはならない。


「…白音、全部、間違ってるよ」


「…はい」


「この任務も、間違ってる。たとえ令嬢に何か企むものがあったとしても、彼女の善行がなかったことになる訳じゃない。それに、悪人でも死ねば良いなんてことは無いんだ」


 白音は強く頷く。僕はそれに力なく笑った。


「でも、僕には力がないから全部を守ることは出来ない。だから僕は僕が守りたいものから守るよ」


 白音。幼い頃から支え続けてきてくれた彼を、僕は見捨てられない。僕の考えを聞き、僕の考えを受け止めてくれる唯一の人間を、僕は切り捨てられない。僕が最終試練に失敗して処分されれば、僕の補佐である白音まで処分される。それは、あってはならない。


 ふと、遠くからガラガラという音が聞こえてきて、目を向ける。ぼんやりと灯る灯り、それから牛が見えた。


 ー牛車が、来た。


 牛車の御簾には二条家の家紋が描かれている。あれに、紅姫が乗っているはずだ。僕は白音と視線を合わせ、お互いに頷いた。


 茂みから飛びだし、牛車目掛けて駆けるーはず、だった。


 僕の首に、クナイが当てられるまでは。


「綾目さまっ!」


 僕は目を見開き、白音はすぐに臨戦態勢をとった。そして僕の背後に佇む人影を睨む。首に触れる、鉄の冷たさ。僕はそれにすっと目を細め、クナイを握る人物を盗み見た。


 目に映る、半ば予想していた人物のにやけた笑みに僕は口を開く。


「…なぜ、貴方がここにいるんです?鬼灯」


 そこにいたのは僕の従兄弟、鬼灯。現・長である僕の伯父の長男だった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ