三
小さい町だが過疎ってはおらず、夜になると住民たちでそれなりににぎわう。数軒あるうち最も大きいレストランにあまねが飛び込むと、続いてミツ子が弾丸のように突入、その勢いの凄まじさは、もし入口のガラス戸があいていなくとも、難なく突き破ったのでは、と誰もが思うほどだった。
ミツ子は店内を右へ左へ飛び回って逃げるあまねに向かって、手近な皿やコップを手当たり次第に放り、あげくは椅子まで投げつけて大暴れした。客たちは全員逃げ、残った店員たちは蒼くなって110番した。
彼らのうちの若い男が後ろから押さえようとしたが、すかさず鉄拳でぶん殴られて無残にあごを砕かれ、そのドヤクザっぷりは、近くにいた年配の店員が、あまりの恐怖に腰が抜けたほどだった。
彼らが自分へ一様に向ける、イカれモンスターを見る視線にイラついたミツ子は、壁のあまねを指さして怒鳴った。
「なんだいお前ら、あの悪霊が見えねえのか!」
だが言われても、店員たちの目には、ただの白い壁しか見えなかったため、彼らは「これは本当にイッちゃってるガチのイカレだ、殺される」と、ますますおびえるだけだった。一方あまねは、そんなミツ子をあざ笑うように、攻撃をよけて縦横に店内を飛び回る。もっとも、たとえ投げられた凶器が当たったとしても、霊体だからすり抜けるだけで、なんのダメージもないわけだが。
しかし、そこがステーキハウスだったことが、さらなる惨事を招いた。鉄板に乗った椅子に、まだ残っていた火種から火がついてわっと燃え上がり、窓際のカーテンに引火した。店内は、たちまち恐ろしいオレンジの炎に包まれた。
茂みで目を覚まし、あわてて母の小屋へ走った和美は、あまりにも知りたくない事実を知り、愕然とした。女武士の霊が言ったことは本当だった。スコップや刃物などの凶器、そして裏庭に掘られた穴は厳然として実在し、なにより、丸木のテーブルの下に、彼を殺す手順を詳細に書いた計画表が落ちていたことが、決定的だった。母は本当に自分を殺すつもりだったのだ。
だが、そうなると、彼女は今、どこに?
そして、あまねは?
あまねが自分にとり憑いたことは分かっていたが、理由は分からなかった。もういてもたってもいられず、彼は町の方へ走った。途中にあった寺で何やら騒ぎ声がしていたが、どうでもいいので素通りした。町へ着くと、そこも輪をかけた大騒ぎで、町で唯一のステーキハウスが火事になり、店の前は人だかりになっていた。といっても田舎なので人数はたかが知れていて、人垣の隙間から中を覗くことができた。
またも彼は仰天した。燃え盛る店内に彼の母親がいて、その先には、女装した彼が宙に浮いているのだ。いや、そんなバカなことはありえない。
が、すぐに気づいた。あれは、あまねの君だ。
自分に憑依したとき、自分の姿になり変わり、いま、お袋を挑発しているのだ。幽霊なら、人の姿のトレースくらいはできそうだ。
しかし、いったいどうして。
「これでも食らえ、悪霊!」
叫んだミツ子は、なにか白いものを何枚も放り投げた。それはあまねの顔と胸に当り、彼女はもがき苦しんで「ぎゃあああ」と断末魔をあげ、一瞬で散り散りになり、煙のように消滅した。勝ち誇った笑いをあげる母。
「ぎゃっはっはっは! ざまあみろ!」
そして次の言葉に、彼は背筋が凍り付いた。
「和美はあたしのモンだ! 誰にも渡しゃしないよ!」
半ばのけぞり、振り上げた両の指をにぎにぎさせて叫ぶ鬼女。
「和美に近づく女は、誰だろうが、このあたしがぶっ殺してやる! 和美! あたしがお前を守ってやるよ! 愛してるよ、かわいい、かわいい和美ちゃん! かずみいい! かずみいい!」
しまいにはへらへらと笑いながら、その場で炎に照らされて赤く染まりながら踊りだしさえする女を、数人の消防官が羽交い絞めにして店から引きずりだした。彼女は警官たちにパトカーに押し込められるまで、「なにすんだい! お前も和美を取る気だろう! ぶっ殺すぞ糞野郎!」などと半狂乱で叫び続けた。
和美は見つかったらえらいことなので、あわてて近くのビルへ逃げ、その陰からうかがった。母を見つめるその泣き濡れた目には、恐怖と悲しみが渦巻き、無音の嗚咽をあげ続けていた。
(あまねさんは、俺を助けるために犠牲になったのか……)
和美がそう思ったのは、火が消し止められて騒ぎが一段落してからだった。逮捕された母は、器物破損と放火、そして、その尋常でない言動により、ただでは済まないだろう。あとは、もう彼が母の前で二度と女装しなければ、今後死人が出るようなことは起きまい。
そう分かっても、やはり母親が正気でなくなったことはショックだった。しかも、仕方のないこととはいえ、自分に相当の原因がある。
脳裏にふとあまねの顔が浮かび、たちまち心細くなった。何百年も昔の亡霊とはいえ、身をていして自分を救ってくれたのは彼女だった。本来なら子供を守るべき母親が、妄想のせいとはいえ、息子である自分を殺そうとしたというのに、だ。
和美は、ずっと隠れていたビル陰に座り込み、膝を抱えた。心はたちまち幼い少年に戻ってしまい、母を失ったような喪失感に、再び涙腺がゆるんだ。
すると、背後でいきなり声がした。
「そのようなお顔、よい男が台無しですぞ」
驚いて振り向けば、そこには黒い甲冑姿のあまねの君がいて、彼にうっすらとほほ笑みかけていた。