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あまねの君  作者: 白夜
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「あまねく」

 その意味は、「広く、全てにわたり及んでいること」

 それは、小さな取るに足らぬことまで、漏らすことなく救い上げる神の所業である。

 大学一年生である平川和美は、母親に会いに行くべく山道を歩いていた。母は最近、暇さえあればこの東京は多摩西部の山陰にある別荘でくつろいでいた。大学には、ここからそう遠くない町のアパートから通学しているので、入学当時は母にはそう会わなかったが、それはここひと月のあいだに起きたことにより、それは様変わりしてしまった。それにより、何度も母が部屋に押し掛けてくることになったのだ。

 そして今日、和美はある重大な用事で呼ばれたのである。それはこれからの人生を左右するほどの意味を持っていた。


「行ってはなりません」

 呼び止められて和美が驚いたのも無理はない。いきなり木陰からわっと飛び出し、行く手をふさいで叫んだのは、具足と呼ばれる戦国武士の着ける黒い甲冑に身を包んだ、小柄な美少年……ではなく、若い女性のようだった。頭は短い髪を後ろになでつけてオールバックのようになっていて、つるんとしたおでこが目立つ。表情は険しいものの、丸顔で目鼻立ちはきりりとして美しく、声が高くなければ女と分からなかったろう。その軽装備からして、武将ではなく足軽クラスのようだ。

 和美は最初、ドラマの撮影中の役者かなんかかと思ったが、すぐにそんなレベルの事態ではないと知った。その女武士の両足は地面から三十センチは浮いており、和美を見下ろす位置にいた。つまり、こいつは人間ではないのだ。実話怪談でよくある「山道をうろつく武士の幽霊」という奴である。


「これより先に行くことは、なりません」

 武士が古風な物言いで再度言うので、和美はビビりながらも、相手に威圧されすぎて、反射的に声が出た。

「な、なんで……」

「そなたは、母上に会いに行かれるのでしょう?」

「ど、どうしてそれを」

 驚く和美。なぜ母のことを、こいつが知っているのか。

「行ってはなりません。もし行かれると、そなたは……」

 幽霊はさらに仰々しくなり、指さしてガツンと言った。

「母上に、殺されます!」

「はあ?!」



 あまりのことに目が点になり、同時にむかついてきた。行動を妨げられたあげく、母親への侮辱である。和美は不快丸出しに言った。

「な、なにをバカな。だいたい、あなたは誰なんです?!」

「私は、あまねの君」

 尊大に言う幽霊。

「戦国の世に武人として、この地で散りし者」

 やはり幽霊か、と分かったが、だからといって恐怖心はわかなかった。このあまねの君、幽霊なら発してそうな暗さ、まがまがしさがまるで感じられず、宙に浮いていなければ、雰囲気はただの生きた人間にしか思えない。

 それで和美は、ますますムカつきがアップした。

「だとしたって、私の母のことなんか、あなたには関係ないでしょう!」

「ではお聞きしますが」

 また尊大になり、指さすあまね。

「そなたは男の身で、なにゆえ、そのような身なりをしておられるのか?」

「うっ」

 和美は言葉に詰まった。


 自分の姿を見下ろして、しばし固まる。男としては小柄なのでたいていの相手にはパスするのだが、こいつはさすが幽霊だけあって、女装を見破れるようだ。赤の長袖ワンピースに足元は黒のシューズという大人っぽい格好で、元は短髪の頭には、肩までのさらさらしたストレートウィッグ、顔は薄化粧でケバくならないように。もともと小柄であごも小さいから、これで十回以上は外出しているが、たぶんバレたことは一度もない。声も元から高いので、修練してなんとか女声を出せるようになったから、会話してもなんとかなる。

 今もそのつもりでいて、興奮でつい地声になりかけてもなんとか抑えたのだが、それでも相手にはお見通しだったようである。


 和美は観念して自分の事情を話そうとしたが、あまねの方が先に言い出した。

「和美どの、そなたは幼少から母上にだいぶ厳しくしつけられてきましたね」

「あ、ああ、そうだよ」と、ふてくされるように言う。もう偽る意味はないので地声だが、それでも男としては高い。「この趣味がなかったら、今頃おかしくなってると思う」

「……私は、このあたりに小屋を建てて、たびたび訪れる女人……今はご婦人と言うほうがよいか……その方が、このごろそこに長居なさるので、失礼ながら、なにをしておられるのか、外からうかがわせていただきました。

 ある日、ご婦人は町まで出かけ、とある宿場……いえ今はアパート、でよろしいか……そこを訪ね、ご長男であるそなた、和美どのに、おそらく抜き打ちでお会いになった。ところがあいた戸から出てきたそなたは、今のような女性の姿。ご婦人は目が飛び出るようなお顔をなさったが、すぐに落ち着くと、そなたに、ある質問をなさいましたね?」

「あ、ああ……」

 言いたくなくて和美はお茶を濁した。

「なんとおっしゃいましたか」

「そ、そのう……。

『あなた、誰ですか?』って……」


 あまねが気の毒そうな目をしたので、和美は弁解のように言った。

「いや、母は悪気で言ったんじゃない。昔からそういうことをする人なんだ。俺を試したのさ。要は『女装なんてみっともないことは、やめなさい』ってつもりで、わざと他人みたいな厳しい扱いをしたんだ」

「それで、そのあとも『うちの子と、どういう関係なの』とか、『あなたのような下品な女は、あの子には合いません。別れてちょうだい』などと、あえてそなたを見知らぬ女扱いしたのですね?」

「そう、そうなんだよ! 俺も調子を合わせて『いいえ、彼とは愛し合っています、絶対に別れません』とか言ってさ。

 つまりお袋の言う『別れろ』ってのは、俺に『女装をやめろ』って意味なんだ。俺としては当然、素直にはいとは言えない。もともとお袋が原因みたいなもんだし」

「みたい、ではなく、完全に母上のせいではありませんか」と、あまねは急に嫌悪の表情で言った。「泣くことはおろか、少しの不平にも叩かれてきたのでしょう? それから逃れるための、そのお姿。そなたに罪はありませぬ」


 同情されて気がゆるみそうになり、和美はあわてて言った。

「そ、そうなんだが、俺は決してお袋を憎んじゃいない。あれでも優しいところはあるんだ。ただ、この件に関しては、どうしても譲れない。だから『やめろ』と言われれば、俺は『いいや、この趣味は捨てない』ってつもりで、『いいえ、別れません』と言い続けた。

 それからお袋は何度も家に来て同じことを言ったが、そのたびに俺も同じように拒んだ。これは根競べみたいなもんだった。うん、と言ったら負けなんだ。苦し紛れに始めたことでも、今じゃ女装は俺の命なんだ。お袋といえども、それを止めることはできない。

 ところがさ」

 和美の顔が、いきなりぱっと明るくなった。

「この前、言われたんだよ、『あなたには負けたわ。いいです、お付き合いなさい』って! あの強情なお袋が、ついに俺を認めてくれたんだ!」

 得意げな和美を見て、あまねは暗い顔で言った。

「はい、それで今夜、そなたを小屋に招かれると……」

「そうなんだ。今から歓迎会をしてくれるって。だからこうして、別荘に向かってたところへ、いきなりあんたがさあ」


 迷惑そうに指さされて、あまねは言いにくそうに切り出した。

「幸せに浸っておいでのところを、まことに申し訳ありませぬが……母上が最初にそなたの女装を見たときの話に戻りまする。

 そのとき母上は、そなたに向かって『あなたは、誰ですか』と聞かれましたな?」

「ああ」

「私も聞いたので、それは確かです。

 では、なぜそのような物言いをしたのか?」

「だからそれは、俺に女装をやめさせようと、わざと……」

「いいえ」

 悲し気に首を振るあまね。

「母上さまは、本気で、そうおっしゃったのです」

「へ?」


 きょとんとする和美に、あまねはハンマーを打ち下ろすごとく言った。

「母上さまは、そなたを本当に知らぬ女と思い、そう尋ねたのです!

 和美どの、母上はそなたを自分の息子とは認識しておりませぬ。母上にとって今のそなたは、大事な息子である平川和美をたぶらかす、どこぞの性悪女でしかござらん!」

 これには和美も絶句した。

「な、なんだと? じゃあお袋は、今までずっと本気で俺を見知らぬ女と思い込んでいたっていうのか?! この俺を、自分の息子とわからずに? たかが女装してるだけで?! おいおい、お袋は確かにちょっと変わってるが、そこまでバカじゃないぞ!」


「私は生きた者に憑依すると、その心がわかるのですが……」

 相手が激昂しても、あまねはあくまで深刻に言った。

「あまりに邪気の強い者には近寄れませぬ。しかし、母上さまについては捨て置けないと思い、死んだ気で……いえ死んでおりますが、消える気で、そなたとお話し中のところを、その背に近づき、手を伸ばし、袖に触れたのです。たちまち流れ込む真っ黒な想念に、この身が四散しそうになりましたが……。その本心は、確実に知れました。


 和美どの、そなたの母上は、完全に正気を失っておられる。初めて女装のそなたを見たその瞬間、その事実をあまりに受け入れがたく、そなたを息子ではなく、『自分に隠れて息子と付き合っている、どこぞの見知らぬ女』だと信じ込んだのです。

 それほどまでに、母上はそなたの姿に耐えられなかったのです。そなたが絶対に男らしく、頼りになる格好のよい男でなければ、もう生きてはゆけぬ。そこまで頼りにしてきたそなたが、こともあろうに陰で女装などをしている、という恐ろしい事実を認めれば、たちまちのうちに精神が崩壊なさったでしょう。

 そこで母上のお心は、自らを守るため、そなたの存在自体を、目の前から消し去ったのでございます」


「そ、そんな……!」

 思わず膝をつく和美。

「そ、そりゃ、お袋はガキの頃から異常に厳しくて、ことあるごとに『和美、お前は私の期待の星だ』とか『お前は私の命だ』とか言って、そのたびに重荷で苦しかった」と涙を浮かべる。「でもしょうがないんだ。あの人は子供のころに父親が死んで、ずっと母親を助けて苦労してきた。だから俺に自分の父親役を期待をするのもわかるから、俺もずっと耐えてきた。

 で、でもまさか、それから俺がちょっと逃げようとしただけで、そこまで頭がいかれるなんて」

「……むごい話ですが」

 目を閉じ、腕組みするあまね。

「母上さまは、そなたが何度言っても別れようとしないため、ついに決意なされたのです。『かわいい和美を不埒な女の害から守るためには、この女を殺すしかない』と。今、母上様にお会いすれば、そなたは『息子をたぶらかす邪魔な女』として殺され、埋められまする」


「殺す?!」と立ち上がる和美。「そんなわけあるか。お袋は俺……いや、女装を認めるって言ったんだぞ。だから、これから歓迎会をするって」

「とんでもござらん」と首をふる。「小屋で確かに見ました。母上はそなたの食事に毒を仕込み、そなたのむくろを埋めるために、小屋の裏に深い穴まで掘っておられますぞ」

「嘘だ! デタラメだ!」と目をむいて叫ぶ。「お袋はそんなことする人間じゃない! そ、そうだ、俺をただ女と勘違いしてるだけなんだ! 俺の女装は完璧だからな! 目の前でかつらを取ってメイクを落とせば、すぐに俺とわかるさ!」

 必死に言ったが、あまねは冷徹に続けるだけだ。

「母上のお心は、そなたが女装している、という事実を完全に否定しておられるのです。たとえそなたが目の前で男に戻ろうが、その姿はあの方の目には映りませぬ。ただ憎い女としか見えず、そなたを手にかけて殺しまする。毒がダメなときのための刃物と大型シャベルも用意しているゆえ、もはや逃れようはない」

「う、嘘だ。なにかの勘違いだ……。毒なんかあんたが確認したわけもないし、穴くらい誰だって掘るだろ!」


 しがみつく和美に、あまねは決定的なことを言った。

「残念ですが、勘違いではござらん。そなたを殺し、証拠を隠ぺいする旨を詳しく記した計画表を、母上は用意しております」

 言うほどに可能性が消え、彼はテンパった。

「じゃ、じゃあ、どうしろって言うんだ!」

「今日のところはお帰りになり、後日、母上さまを心の病院へ入れる手はずを整えるのです。それ以外に、そなたが助かるすべはございませぬ」


 超自然の存在が言うことなので、和美は本当のような気がしてきた。が、それでも受け入れる気には到底なれない。今日は母が自分を認めてくれる、またとない機会なのだ。これを逃せば、もう二度と母の愛を得られまい、とさえ思った。

 彼は意地になった。

「嫌だ。なんといわれようが、俺は行く。だって母親だぞ? いくらイカれたって、最愛の息子を殺すとか、ありえねえ」

「この場合、最愛だからこそ殺すのですぞ」

「もういい、俺はお袋を信じる! そこをどけ!」

「あくまでも、行くと言われるのか」


 あまねは凛とした顔になり、いきなり和美の中へ入った。あまねは、意識がなくなった和美の体で藪に入り、誰にも見つかりそうにない場所に身を横たえると、彼の体から出た。女装した和美と全く同じ外見になっている。

「しばし、そなたのお姿をお借りいたす。ごめん!」

 あまねは、横たわる和美に言い、山道を飛んでいった。

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