不倶戴天の不協和音 その19
ぎゅむっ。
ディラン君の腹あたりに、俺の手が当たる。
鍛え抜かれた鋼鉄のようなその筋肉は柔らかな音とともに俺の腕を享受してくれる。
いやまあ、ディラン君が痛くなかったわけではないと思う。
何しろ今の俺は「速」の5歩目の速度を維持しているからだ。
まあいい。
ひとまずはこの場から一刻も離れることだけを考えよう。
俺の右手にいるディラン君をこちらへ抱き寄せ、力を込めてホールドする、
このまま俺だけが進んでディランだけが取り残されるなんて事態になることなんて考えたくない。
俺は一瞬だけ遅めていた膝の動きを再び加速させ、再びもう一歩を踏み出すために両足に力を込める。
「べ、ベロキ!何をするのだ!!」
「もう何もかも遅かったんだ!責めるなら俺を責めてくれ!
....................というか喋るな!舌噛むよ!!」
俺は駆ける。
一目散に駆けてゆく。
ただひたすら前に進むことだけを考える。
背後から、まるで大きな建物が倒壊するような音が聞こえたような気がしたが、決して後ろは振り向かない。
「呼魔」も、もう解除させる。
あんなやつ相手に一体どうやって呼魔を使えばいいというのだ。
あの殺気の圧に押しつぶされてしまうくらいなら、はなから見ない選択をするほうが何倍もマシだ。
でも、音でわかってしまう。
なにかとてつもなく巨大な鞭のようなものが、俺の後ろ数十メートルで蠢いている。
1本だけじゃない。
何本あるのだろうか。
「あれは....................。」
ディランがそう呟いたとともに、酔いによって吐き気をもよおした俺が立ち止まる。
ディラン君を俺の手から降ろして立たせ、俺自身はその場にふさぎ込む。
首の下あたりから気持ち悪く舞い上がってくる苦い液体をなんとか飲み込み、吐き気をおさえる。
これでは当分、すくなくとも数分は「速」を使える気がしない。
次の加速では、本当に走っている最中に戻してしまいそうだ。
そして、四つん這いになった俺の視界に、嫌というほど映り込んでくるソレ。
ディラン君が殴り飛ばして、ちょうど着地した位置に根っこを持つ、巨大な薔薇。
やはり桃色に月光を反射するその花びらは、俺の目に不気味に映る。
幹の途中で6本の茎が生えていて、それが先程から無造作に蠢いている。
その茎たちはとくに何をしているわけでもないのだが、そこにあるだけで異様で不快な存在感を放っている。
「ねえディラン君....................あれ、どうしよう。」
「....................。」
俺のせいだ。
俺はさっき、あの意味深な言葉に意識を取られてしまって、刃をやつに向けて振り下ろすのがワンテンポ遅れてしまった。
わかっていたんだ。
ここで躊躇したら、なにかマズイ状況が生まれてしまうって。
だからなるだけ最速で、迷いなくやったつもりだったんだ。
"嗚呼母よ。嗚呼神よ。"
"私に産まれてきた意味を与えてくれたことを今ここで存分に感謝する。"
一体どういう心境だったのだろう。
目の前に自分の命を奪おうとしている俺が立っていたというのに、やつは明らかな抵抗の意思を見せなかった。
結果的には、狡猾に俺たちを殺す準備を既に終えていたということになるのだが。
イマイチ、腑に落ちない。
「ベロキ!離れろ!」
その声に反応して花の方を見ると、花びらのあたりにあった桃色の光が強まっているのがよく見える。
こうして見ると、洗練された彫刻品のような、工夫された建築物のような、そんな美しさにうっとりしてしまう。
現に、月光に照らされていたその光はさらに強まり、それが下に降りてゆき、茎の1本に入り込み....................。
そして茎の先端が俺たちの方を向いて、4つにぱっくりと分離する。
まるで生物の口みたいに。
そうそう、そうやって口の内部がピンク色に発光するんだ。
そして口の中から....................。
俺はこういう光景を数分前に目にしている..............................。
「まずい!!!!」
俺は駆け出そうとするが、「速」と「排撃」によるかつてないほどの反動で体が言うことを聞いてくれない。
膝がガクッと地面に落ち、前に進めない。
ディラン君はそんな俺の手をガシッと握り、背中におぶってくれた。
「なぜ気を抜いた!」
ごめんなさい。
ぐうの音も出ない正論でございます。
とはいえ弁明くらいはさせて欲しいものなので、言い訳がましくならないように主張はしておく。
「あの花が美しくて....................それで見とれてた。」
「美しい?あの禍々しい破壊者がか?」
たしかに言われてみれば異常なことだ。
どんな怪獣も、外見だけを見れば「カッコイイ」と思えるときがある。
つい昨日の氷蛇も、たとえばフィギュアや映像作品のような場面で姿形だけを見たら、きっとカッコイイと思えるだろう。
けれど、戦っているときにそんなことはただの一瞬も考えていなかった。
とにかく考えていたのは、目下の問題である、目の前の巨大生物をどうすれば倒せるかのただ一点のみだ。
ついさっきまで高度な命のキャッチボールを繰り広げ、死ぬ思いをしてなんとか「排撃」までこぎつけ、実際今はこうして戦闘不能にまで追い込まれたヤツ相手に抱いた感情が。
"美しい"
背後で爆発が起こる。
バラバラに砕かれたコンクリートやアスファルトの類が石の雨のように降り注ぐ中、ディランは俺を担いでとにかく逃げる。
幸いなことにそのレーザーによって周りがはちゃめちゃに破壊されたため、隠れることに適した場所がいくつも作られている。
ディラン君はそのうちのひとつに身を隠し、そこで俺を降ろした。
酷かった酔いも幾分かマシに(それでももう一度戦闘するなど以ての外だが)なり、会話ができる程度には回復してきた。
まだ若干の気持ち悪さが残っているが、今の場面では、この酷い酔いを治すことと命を天秤にかけなければならない。
当然、命一択だ。
「逃げよう。」
図々しくも、救助された俺の第一声はこうであった。
「....................なぜだ。」
すごく低く、そして怖い声で、ディラン君がこう返してきた。
威圧感すら感じる声色だ。
「どうせ、勝てない。だから助けを呼ぶ。」
「駄目だ。俺は行く。」
そう言って物陰から出て行こうとするディラン君の腕を、俺は掴む。
こっちに、俺の方に引き戻すために。
ここから出さないために。
「行っちゃダメだ。犬死にする。」
ディラン君は絶対に向こうへ歩む気だ。
怪我をしているこの体でも、決意に満ち溢れたこの声と力でわかる。
行かせたくない。
ようやく仲良くなれてきたのに、みすみす死なせたくない。
でも、これは俺のエゴだ。
「なぜだ。たとえ俺が死んだとしても、俺の犠牲ひとつで誰かの指1本でも助かるかもしれない。それで死ぬなら本望だろう。」
ああそうか、と俺は思った。
この人の覚悟は俺とは比べものにならない。
いいやむしろ、比べてしまうのが失礼なくらいだ。
自分が死んでも、誰かを守れるならばそれで良い。何なら、それで死ぬことこそ名誉だと思っている。
そんなバカなことはない。
覚悟は認める。その大志も素晴らしい。
けれど、死んでしまっては意味がないじゃないか。
俺だって目の前の薔薇をどうにかできるならどうにかしたいんだ。アイツを殺したいんだ!今日までそれを夢に生きてきたんだ!
....................けど、それは子供の考え。
なにも俺がこれ以上手を下す必要はないだろう。
こうやって逃げて、俺たちよりも強いひとを連れてきて、その人に何とかしてもらう。
俺の夢は間接的に叶う。
俺はそれで構わない。
苦虫を噛み潰したような思いをしても、構わない。
ディラン君という優秀な人材をここで失ってはいけないと、俺はそう確信した。
だから、行かせたくない。
行かせるわけにはいかない!!!
死なせたくない!!!
「ここに一般の人はいないじゃないか!」
「いいや、寮棟ひとつ挟んだむこうには大量の受験者がいるだろう!俺なぞよりも才能と未来に満ち溢れた彼ら彼女らが!」
「だからダメだ!受験者たちは自分で自分の身を守れるだろう!」
「お前、冷静じゃないぞ。さっきの光線を見ただろう!」
「それでもダメだ!」
俺は片手だけでなく、両手でディラン君の歩みを妨害する。
お互い消耗の激しいこの体。
まだ、俺の方が身体的ダメージは少ない。
「そもそもどうやって戦うってんだ。六段目?七段目?俺は何段目なのか知らないけれど、その全身むち打ちしたみたいな状態でどうやって戦うの?!」
「まだ動ける。」
「ああそうか。でもまだ動いて、その後は?一撃で仕留められるの?次同じことをしたら骨折で済むの?それは治るの?!」
「いい。行かせろ。」
「ダメだ!」
俺がウデに力を込めたその瞬間、ディラン君の拳が顔の前に現れた。
「闘い求む拳」は起動されている。
「最終警告だ。手を離せベロキ。俺はお前を殴りたくない。」
たぶんディラン君は本当に俺を殴る。
きっと、そういう奴だから。
絶対に離してやらない。
ここまで来ても、俺の中にあるエゴはまだ折れなかった。
「嫌だ。」
「離せ。」
「イヤだ!!!」
キラン。
視界の端で桃色が照らす。
再び茎の先端が口みたいに開いて、それで....................。
気づかれた。
避けられない。
どうやって逃げる?
ディラン君はどうする?
自分だけでも?
それは不義理だ。
そうだ。
手を繋ごう。
それで、それで、ふたりで逃げるんだ。
駄目だ。
間に合わない。
間に合わない。
間に合わない。
間に合わない。
間に合わない。
間に合わない!!!
....................イヤだ、まだ死にたくない。
刹那、思わず目をつむる。
死の瞬間を覚悟するように。
これから訪れる異常な熱や光や痛みを甘んじて受け入れるために。
死にたくないってのも俺のエゴ。
ディラン君を助けたいのも俺のエゴ。
仇討ちも、俺のエゴ。
エゴとエゴとエゴを全て叶えようとして、こうなった。
欲張りには当然の結末ってやつだろう。
そうだ、せめて神様。
貴方がいるのかいないのか知らないけれど、ひとつだけ聞きたいんだ。
本当に俺は、何をしたかったんだろう。
ギラの仇討ちとか、死にたくないとか、友達守りたいとか。
全部中途半端じゃないか。
それらしく笑顔なんて作っちゃって。
楽しいのか楽しくないのかわからない日々を過ごしちゃって。
でも昔よりマシだと俺に言い聞かせて。
丁寧な言葉遣いで、嫌われないように努力なんてしちゃって。
それでもディラン君に「怖い」と言われて。
それで、それで....................。
ディラン君は全て正しかったんだよ。
今後悔するならさ、あのとき真剣に考えときゃよかったじゃないか。
はあ、なんか疲れた。どっと疲れた。
やけに思考が長く、速い。
走馬灯ってやつかな。
とにかくただ、毎日を過ごしたかった。
適当に暮らして、適当に食べて、映画やドラマなんて見ちゃって。
インターネットもやっておけばよかったな。SNSなんておもしろそうだった。
それなのに、よく分からない敵に狙われて。
そのせいでギラのために殺意が湧いてしまって。
抜きたくなかった刃を抜くことになってしまって。
それなのにその決意すら不安定で、ゆらゆらしたもので。
ちょっとしたときにふっと消えてしまいそうで、それが本当に怖くて怖くて。
でも、抱いている殺意なんてディラン君たちにバレたくなくて。
ほら、やっぱりそうじゃないか。
俺はどこまでも利己的だ。
利他的に模範的になろうとしたけど、そんなことは無駄だったんじゃないのか?
いや、そもそもこの「利己」のドロドロした考えだって本当に存在しているの?
俺に、心なんて。
...................あったのかな。
そもそも。
....................俺は、一体誰なんだよ!
すごい爆発音がした。
あれ、まだなのか?
普通こういうのって、全身が火傷して、痛みとともに死ぬんでしょ?
まあ、普通なんて知らないけどさ。
それとも、ここがあの世なのかな?
俺はもう死んでいて、世界から切断されたとか?
そうか、本当にそうなら、もう無駄な悔いは持つまい。
大人しく幽霊になって成仏しよう。
おまたせ!
「え?」
そんな風に。
馴染みのある声が聞こえた気がした。
ネガティヴな思考たちは、そこでキッパリと打ち切られた。
目なんて開けていないのに、なぜだか視界が妙に晴れたような気がした。
ほっと全身から力が抜ける。
多分俺は、この声の持ち主を....................ミクロさんをこれっぽちも信じていない。
これまでは信じていられているつもりだったけど、やっぱりこの人はうさんくさい。
でも、でも、でも。
こうやって目を開けて、俺の前に立ち塞がってくれているのを見ると、すごく安心する。
ああ、俺は助けてもらえるほどに価値のある存在なのだと、そう思えてくる。
どうでもいいし、自分勝手だし、スケールの小さい浅い考えだけど。
俺はこうして、ふぅっと溜息をつけて、心の底から嬉しいんだ。
「ベロキ。戦えるかい?」
「無理です....................すぐには。」
「そうか。じゃあ、彼を連れて逃げなさい。」
ミクロさんがそう指さした先には、体躯の大きな男の人に支えられたディラン君がいた。
ディラン君はやはりすごく消耗していて、全身から力が抜けているようだった。
この人は見たことがある。
筆記試験のときに壇上で挨拶をしていたここの責任者。
トケラさんだ。
「君は誰だったか。」
「ベロキです。」
「ベロキ。殆ど初対面だろうが、俺にひとつ、頼まれてくれ。
....................俺の愛弟子を、よろしく頼む。」
ディラン君は寡黙な人だから、自分に師匠がいることは教えてくれても、その人がどんな人だとか、どんな思い出があるんだとか、踏み込んだことは教えてくれなかった。
けれど、彼の目を見れば、彼がどれだけディラン君を大切に思っているかがわかる。
子を見る親のようだ。
俺は迷いなくディラン君の手を握り、そのままおぶる。
「もちろん!」
敬礼の真似事をして、その場から1歩踏み出した。
体重がぐっとかかってくると同時に、彼の体が異常なまでに強ばっているのが感じられる。
しかしディラン君はまだ喋る。タフな人だ。
やっぱり、限界だったじゃないか。
「し、師匠..........俺、まだ....................。」
「いい心がけだ。しかしお前は体を治せ。後は俺たちに任せるのだ。いいな?」
「....................了解。」
ディラン君が了承したのを確認すると、俺は大袋を抱えた盗賊のようにその場から走り去った。
まだ酷く酔うけれど、それでも走るくらいはできる。
一刻も早く、彼を運ぶのだ。
俺だって言いたいことは山ほどあるけれど、ディラン君がその決意を折ったんだ。
すごく悩ましいことだったに違いない。
....................ならば俺のほうも、このエゴの鋭利な刃をしまい込むのが筋って話だ。
ああ、そうだ。そうに違いない。
「ベロキ!!!」
背後から、ミクロさんが呼び止める。
俺は立ち止まらず後ろを振り返る。
そこには俺に横顔を見せるミクロさんの姿があった。
隣にはトケラさんもいる。
たったふたりの「人間」という、せいぜい2メートル程度の生物が、すごく頼もしく見える。
巨大な一輪の華を前に立ち塞がる彼らが、すごくカッコイイんだ。
あの背中が、とても大きな背中に見える。
ああ大丈夫だ、彼らなら任せられる。
それでミクロさんは、俺に見えるようにグッドサインを見せてくれて。
それで、
「あとは僕たちに。
カッチョイイ大人に任せなさい!」
ニカッ!と笑った。
屈託のない笑顔。まるで少年みたいだ。
俺はこの笑顔を見たことがある。
オニドリを足止めする前のコスモスさんのようだ。
....................この笑顔は演技じゃない。
そう確信できる。
ミクロさんは今、本気で俺たちの身を案じて、逃がしてくれようとした。
いくら彼がうさんくさい人間でも、疑わしい行為が多くても、これは事実だ。
「はい!!!」
走れ、走るんだ。とにかく走れ。
ディラン君が俺のことをどう思っているかなんて、どうでもいい。
俺はディラン君のことを、大切な友達だと思ってる。
ならば、友達のために走るんだ。
理由なんてなくていい。俺が満足するために!
奇妙な体験とともに、俺の中になにかが芽生えた。
すごく、すごく、どうでもいい、小さな幸せを感じた気がした。
*決着まで、あと数分。




