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淘汰の最期

 死は嫌だ。


 死は怖い。


 だからこそ、敵の弾丸の前に体をさらすほどに近づかねばならない。恐怖と痛みを涙ながらに心の奥底に押し込めて、階段を一段一段下りる。そうしなければ俺の腕は敵の命に届かない。もはや、勝利への道筋を見出すために思考を紡ぐ事など放棄していた。一歩踏みしめるごとに、左肩に迸る痛みと、死地へと近づいているという恐怖が思考と体を侵す。


 ふと、階下の様子に目が留まった。そこにいたのは黒い敵。思考は機能していなくとも、体が勝手に反応した。銃を握る右手に力がこもり、身を低くする。周囲の気配を察知するべく探りを飛ばし、臨戦態勢を整える。 

 

 一通りの準備が整ったところで、敵の異変に気づいた。敵は柱の影にうずくまり、敵と交戦するでもなく、動きを見せない。どこか負傷し、満足に行動できないのかと思い、すぐさま考えを改めた。奴の周囲には血痕が見あたらない。ただ、身を隠しながら索敵をしているだけか。そう思い直すが、どうやらそうでもなさそうだ。それなりに周囲の様子に気を配っている風にも見て取れるが、それは徹底できていない。現に、奴の位置からは真っ先警戒しなきゃいけないような位置に居る俺の存在に気づいていない。 


 恐怖と痛みに麻痺した思考が、眼前に理解不能な事象を捉えた事で少しづつ機能を回復させた。そして、『己』の思考を読むため自分の思考をトレースして、すぐ、奴の挙動を理解した。そしてその瞬間全身を怖気が駆け抜ける。跳ねるようにして顔を上げ周囲に視線を走らせた。


 瞬く間に汗が吹き出るのを感じ、周囲に危険が無いことを確かめ、一度深く息を吐く。階下の敵が取っている行動。あれは何度も俺が取ってきた行動でもある。すなわち思考しているのだ。このゲームが始まり、幾度となく俺は考えてきた。このゲームのカラクリに考えを馳せ、敵の思考を読み、勝利への道筋を練り上げてきた。それこそが、命を繋ぐ唯一無二の手段であると信じて。そして、全身がひりつく緊張感の中、知恵を振り絞るという行為で繋ぐ命に「リアル」を感じ続けていたのだ。


 そんな俺の命綱。絶え間なく思考を紡ぐ事こそこのゲームの核だと信じてきたのに。


 眼前の光景は、そんな俺の信条をいとも簡単に打ち砕き、無常な現実を突きつける。思考はこのサバイバルで命を繋ぐ武器足りえていなかったのか。


 俺の考えは甘かった。頭をガツンと横から強く叩かれたような衝撃が走り、足元を支える大地が急に消失したような感覚に見舞われる。

 

 確かに思考は刃にも鎧にもなるかもしれない。しかし、このゲームで天秤にかけられた死が生み出す闘争は、刃を構える暇も、鎧を纏う隙も与えてくれはしないのだ。そんな単純なことに今まで気づけなかった。


 思考で心臓は貫けない。思考で弾丸は弾けない。あくまで危険に去らされているのは生身の体で、それを穿つのは非情の鋼鉄。刹那の隙が、一寸のブレが、生死を別つ瀬戸際になり得るのだ。そこに迂遠で冗長な思考などを挟む余地などが生まれるはずもない。


 そして、その非情な事実になぜ今まで気づけなかったのか。そこに自らの甘い希望的観測が混じっていた事にも気づき。その甘さに反吐が出た。

 

 周囲への警戒を強める。回転する思考とは裏腹に、警戒がおろそかにならぬよう細心の注意を払う。


 それでも。その行為が隙をさらけ出すかもしれないと知りながら。俺は考える事をやめなかった。やめれなかった。その行為が愚考だと知りながら。


 怖かったのだ。それは思考が銃同様に矛と盾を兼ねるから手放しがたいという意味ではない。

 

 敵は自分と同じ技量、同じ体力を有している自分のコピーなのだ。ならばゲームを決めるのは、この世界に降り立ってから何を目にし、どうやって敵の命を奪い、その経験の上にどのような思考を紡ぎだす事ができるのか。そこにかかっているのだと今まで信じていた。しかし、それすらも無力だった。


 だとすれば、残るものはなんだ。このゲームで俺を勝利に導いてくれるものはなんだ。思考での差異化すらも不可能なら、残るのは運しかないではないか。


 つまりその時の状況だ。もっと言えば、このゲームが始まった時点でどこに居たかで、どの俺とどんな状況で戦ったのかですべて決まってしまう。そこに俺の意思が介在する余裕などない。俺は、生き残ろうと思って生き残る事など始めから許されていないのかもしれないのだ。


 そんな運任せで俺が蔑ろにされているなんて事は、認めたくなかった。俺は俺で、他の俺はコピーの俺でしかない。生き残るのは他ならない俺でなければならない。運とその場の流れだけで決まるのでは俺も他の俺と同様死んでしまうかもしれない。そんな。そんな馬鹿なことなどあってたまるか。


 遠くで銃声が響いた。また一つの命が朱に散ったのだろう。今、戦いに敗れ死んだ俺は何をどう思って死んでいったのか。


 いや違う。この時俺は大きな間違いに気づいた。俺が俺として生き残る事のできる必然がまだ一つ残されている。


 その考えに至ったところで、背後に感じた気配が敏感にも、体を突き動かした。


 射線を外すべく、右足の力を抜き、そのまま重力に任せ側方に倒れる。その時点で背後からの銃声。眼前十数メートル先の柱に弾痕が穿たれる。

 

 危機一髪。

 

 しかし、息つく暇など与えられはしない。倒れながら、上体の力を振り絞ると肢体を捻り回転。時計回りに流れる風景を尻目に、右腕を伸ばし、突き出す。走馬灯のような光景の中、左目が黒い影を捉えた。大地への加速と、捻った体の遠心力で方向感覚の倒錯に陥りながらも、発砲。銃声が重なり木霊する。幾度目かの衝撃が全身、そして左肩を貫き、激痛を発する。


 そして、左肩ともう一つ。新たな衝撃と激痛に俺の視界が真っ赤に染まる。


 黒い敵が大地と平行にそびえていた。一瞬遅れてそれは俺が地面に臥しているからだと気づく。銃を突きつけようと右手をかざしはしたが、その力なき掌中に銃の影はない。焦って周囲をまさぐれば、ぬるりと嫌な感覚。真っ赤に染まったのは視界だけではなかった。

 

 それに気づいた途端に全身から力と熱が抜け落ちていくのがわかった。流れ出る血液と共に、今までの高揚と緊張感も薄れていく。冷めていく思考は、死への恐怖を抱く事すら忘れていた。

 

 自らが流れ出る血の海に溺れながら、俺の命の灯火が消え往く瞬間を待つばかりとなっていた。


 眼前に立ち光の灯らぬ虚ろな瞳でこちらを見つめているのは俺の命を摘んだ、俺でない存在。いやそうではないのだ。ほんの先ほど思い至った考えがよみがえる。 


 俺が俺として生き残るにはどうすればいいか。その単純で合理的な方法があるのだ。それは。


 甲高い異音がさっきまで俺だったはずの、俺じゃない何かの最後の時を告げていた。ふと今まで激痛で苛まれ、頭を悩ませた左肩の感覚がなくなっている事に気づく。急いで視線を移せば、すでにデータの残滓としての消滅が始まっていた。


 体が削れ、同時に意識も薄れてきた。色彩を失い輪郭が歪み。世界が閉ざされていく。


 圧倒的な絶望感と空っぽで虚ろな感覚。相反するような感情を抱くのが死の間際というものなのか、そんな事を考えていると。黒い敵が微細な光の粒子を纏っている事に気づいた。必至に意識を繋ぎとめ、その正体を探ると。そこには。俺が立っていた。


 ああ。やはり。やはりそうか。


 俺が。確固たる、純然たる俺が、偽者で埋め尽くされたこのゲームを勝ち抜き生き残るにはどうすればいいか。それは銃の腕などではない。気配を察知する術でもなければ、巧みな手練手管を紡ぐ思考などでもないのだ。ここで生死を決めるのは時の運。必然性などありはしない。それでいいのだ。


 状況に応じ、たまたま勝ち残った俺がどんな人間であろうと。それが俺の思う俺らしさなど欠片も抱いては居なかろうと。そんな事は何一つ関係ない。生き残った俺が俺になる。ただそれだけだ。


 黒い仮面が剥がされ、素顔を拝んだ俺は、瞳に何も宿していない無表情の空虚をその顔に湛えていた。それが淘汰の結果選ばれた俺の姿だった。


 その光景を最後に「俺」は死んだ。


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