空虚の顎門
「GAMEOVER」の文字が目の前の空間に現れ。その下には今俺がはじき出したスコアが並んでいる。右手を払いそれらの文字を吹き飛ばすと、そのまま強く掌を閉じる。
空が壊れた。
完成したジグソーパズルをバラバラにするかのように、空が、山々が、今まで自分が立っていた大地すらも崩れさっていく。
世界が壊れ果てて現れた虚空に佇む俺の前に、システムメッセージが浮かび上がった。
――「RED out BATTLE システムアウト」
そのメッセージを最後に虚空すらも消えると、PCC(Personal Control Computer)のメイン画面が戻ってきた。
視界の隅には「RoBシステムログーFinishtask」と表示されているウィンドウが点滅している。そのウィンドウを指でつまんだままトラッシュボックスへと放り、同時にシステムデータの全消去を指示。
前評判からして今期ナンバーワンのビッグタイトルと言われていた異世界FPSゲーム「RoB」だったが、俺が満足感を覚えることは最後までなかった。
キャラクターの種類、フィールドのバリエーション、戦略と運のバランス、その他諸々、システム面で問題が在ったとは思わない。眉間を打ち抜かれたモンスターから飛び出る血しぶきや、手に残る打った銃の反動、漂着した異星の生態系に至るまで、ゲーム世界の環境の作り込みで粗は一切ないと断言できる。システム、グラフィックからサウンドまで、間違いなく今までのゲームの最高水準であった事は否め無い。
にも関わらず、なぜ俺は満たされてないのか。それは俺自身にもわからなかった。
PCCのメイン画面に強制的にウィンドウが開かれた。
――「識別ID38485bbo9 福見マルセオ セントラルよりメッセージを受信」
――「ID38485bbo9 基本労働期間開始まで残り24時間 クラスB−2 αタワー47フロアにて24時間後に労働を開始」
――「ID38485bbo9 基本労働期間開始まで残り24時間 クラスB−2 αタワー47フロアにて24時間後に労働を開始」
基本労働の定期アナウンスが画面にて表示される。
点滅するウィンドウが邪魔くさいが、消すことはできない。ネイション構成員全員に支給されている高性能コンソール、通称PCCの使用の自由の一切は個人に委ねられているし、事実俺はゲームの使用に主に使っているが、本来のPCCの目的はセントラルによる個人の監視だ。
遺伝子解析技術が発達し出生前診断が徹底されている現代、人は生まれる前にすべての能力適正が判断され仕事を割り振られることになっている。それの管理を完璧に行うため、個人情報や行動履歴、人間関係の情報に至るまでその全てがPCCを通してセントラルに集められているのだ。
このメッセージはその労働タスク管理の一環で、定期的に時刻を伝える役割を担っている。こちらの任意で削除はできないのだ。
こんなことをせずとも、寝ている間も脳内に埋め込まれた小型擬脳素子がPCCとリンクしていて、労働の時間になれば強制的に意識を覚醒させるなんてこともセントラルの権限には含まれているので寝坊することすら許されない。そもそもこの小型擬脳素子とPCCとのリンクは人が生まれたときから死ぬまで維持されており、どこで何をしていようがセントラルの管理から逃れる術はもたないというのに。
セントラルからのシステムメッセージの終了を待って、俺はネット回線をオープンにする。
馴染みの、ゲームに対する情報や意見を延べ合うBBSへと接続。「RoB」のトピックをざっと流し読みする。
そこに書いてあることは大体予想通りだった。つまりは賞賛の嵐だ。ほとんどは俺も感じたような感想でトピックは埋め尽くされていた。
「他銀河の星系に飛ばされるというフィクションをノンフィクションと呼べるものにまで高めた作り込みは文句なし。しかもそれをゲームとして昇華させているのだから見事と言うしか他無い」要約するとそんなところだ。
しかし、俺が見たかった意見はそんなものではなかった。
そんな最高峰のゲームをやってなお、満たされない空虚感を感じた奴は居ないんだろうか。
あのゲームの舞台は、天文学、生物学、物理学、おそらくありとあらゆる自然科学の見地からシミュレーションを繰り返し生み出せれたリアルの極みにあるような異世界なのだろう。そこにさらに作為的な娯楽性を融合させたものを作るなど並大抵の労力でないことは想像に難くない。しかしそんな努力の結晶を前にしながらも、俺が感じ続けた空虚感は一体なんなのか。
ありきたりの賞賛を眺め続けるのが苦痛になってきたので、俺はBBSのシステム画面から別の画面へとアクセスした。
そこは同様のBBSでありながら決定的にさきほどのBBSと異なる空間だ。
セントラルによってネットも全て管理されている今、法的にも技術的にも匿名掲示板というものは存在しない。全ての書き込みにはネット上で統一されているネイションIDが付与されるためだ。
しかし今俺が開いている掲示板はすこし違う。IDの表示プログラムを敢えて壊し、バグを発生させることで、IDの表示を不安定にし、限定的な匿名状態を生みだしているのである。
書き込み者の情報がセントラルによって管理されていることは変わらないが利用者間では匿名性が実現されているのだ。
非常にグレーゾーンの存在で、書き込みや閲覧で法的処罰を受けたものが居るとは聞かないが、主催者側では取り締まりの対象になったという事例をよく聞く。結局イタチごっこで一つ閉鎖されれば、別のBBSが開設されるという状況だが。
俺がここに来たのは匿名掲示板ならではの変わった意見が聞かれるのではと考えたからだ。なにに対しても、賞賛、非難、忠告、広告、さまざまな意見が玉石混交で眠る
この場なら一風変わった視点が見れることがある。
トピック一覧から「RoB」を探し出すと、書き込みを閲覧する。
現れた匿名での書き込みの数々は期待通り、賛否を基調にして多岐の論調に別れていた。全文を読むこと無く、単語単語に目を通しながらそれぞれの書き込みの文意を把握し、全体を流し読みする。
ふと一つの意見に目が止まった。
その書き込みの要旨は「リアリティはあるがリアルでない」と言ったものだった。
その書き込みの後に続いているのは「ゲームなんだから当たり前だろ」といった論調だ。当然と言えば当然だし、概ね俺も同意見だ。いかに作り込まれていようとゲームは所詮デジタルデータの並んだバーチャルの世界だ。リアルでないのは当たり前で、そこにリアルを求めるのはお門違いも甚だしい。
しかし、心のどこかで「リアルを求める」という意見に引っかかるところがあった。
その違和感を引きずりながら、書き込みを目で追っていると、再びある意見に目が止まる。
「リアルを求めるならゲームなんかせずに、リアルで生きてろよ」と先ほどの書き込みの主を揶揄する内容のものだった。
それを見た途端さきほどの違和感の正体が解ける。
ゲームを止めて、現実の世界に戻れば、この書き込みの主の言うリアルは手に入るのだろうか。
ここからは文意を曲解した考えだが、もしかしたらその書き込みをした誰かは、現実の世界でリアルを得ることができないがために、リアリティの満ちた仮想世界にそれを求めたのではないか。
推論の域を出ない考えだが、俺にはこの考えが的外れじゃない確信めいた実感があった。なぜなら。この考えに至った時、自分こそがそれを求めてリアリティのある仮想世界に没入しようとしていたからだと気づいたからだ。つまり現実の世界で自分は、リアル、それが肉体感覚に基づくものなのか、精神的なものなのかはわからないが、つまりは生の実感を得られていないのだ。
現代の最高峰の技術をもって作られたゲームに満足感を得られなかった。逆に空虚感が募るばかりだったのはそういう事だったのだ。
俺は自問する。
俺の求める「リアル」とは何か。
PCCと小型擬脳素子が可能にした高度情報化社会は存在のすべてをデジタルデータの基で一元化。ありとあるゆる世界、人間をネットから垣間見る事のできる世界を実現した。
加えて、前世紀に成功した核融合による小型太陽とも言える人工の半恒久的エネルギー体の実現化以降、エネルギー問題は解決し、原子改竄及び生成技術の向上も相まって人類は生を得るための労働から解放された。
さらには、人々の不平等を失くすべく考案された「セントラルシステム」は超情報集積回路「セントラル」によって機能し、全ての資源供給や生活環境を管理し、誰一人餓える事なき理想郷を現実のものとした。
今現在の労働システムは個人の存在意義の確立と人間の社会生の維持のための機能だが、俺はそうは感じない。
個人の資質があらかじめ把握され、能力的に可能な事が分かりきっていて、さらに言えば機械化すれば済む仕事を、スケジュール通りにこなすことにどんな意味を見いだせるのか。俺や例の書き込みの主のような存在そのものがその問題点を浮き彫りにしてるのではないか。
考えれば考えるほど、心の内で焦燥感が大きくくすぶっていくのを感じていた。
ある意味構造的に完成されたともいえる世界を実現した人類。その恩恵によって生きる人間が触れてはいけないタブーが俺を揺さぶる。
餓える事ない世界。
争う必要のない世界。
「構造的完璧さ」に満ち足りた世界は人に何をもたらすのか?
心の内に潜んでいた飢えに気づいた瞬間、それは大きく顎を開き牙を剥く。
この、大きく虚ろで、今も広り続ける穴をどうやって埋めることができるのだろうか。
ふと、自動スクロールのまま放っておいたBBSの画面が勝手に止まった。
気づかぬうちに自動スクロールを解除したかと怪訝に思いながらも、なにげなく表示されている書き込みに目が止まる。
「よりリアルを感じたければ」と書かれた書き込みとそれに続くアクセスポイントのパスが書かれていた。
その不思議な書き込みに若干の興味を覚えるが、怪しげなページにアクセスはしたくない。
少しでも情報を探ろうと、この書き込みに対する反応を見ると、「上のページ、バグでもウイルスでもないけどよくわからん」「俺も行ってみたけど同じくよくわからん」「なんか変な入力フォームがあるけど意味不明」等の意見が見受けられた。
どうやら、危険性は無いようだが、中身のあるものでもないらしい。
思わせぶりなイタズラといったところだろうか。
この手のBBSでは匿名性ゆえにこういった書き込みは珍しくもない。この書き込みもそういったものの一つだろうと思った時、あることに気づいた。
書き込みにしっかりとIDが付与されているのである。
匿名性を保つこのBBSではプログラムの改変によって、IDの表示は文字化けを起こしその意味がなくなるようになっているのだが、この書き込みに限っては文字化けが起こっていない。
そもそも自動スクロールがこのメッセージに合わせて止まったのも謎だ。なにかスクリプトを紛れ込ませていたのだろうか。
なにからなにまで得体の知れない書き込みだったが、その後続いた危険性は無いという書き込みを信じてアクセスをしてみる事にした。
心のどこかで、RoBに求めていたリアルを感じられるかもという希望を信じたかったのかもしれない。
匿名のBBSから跳んだそのページは一瞬画面がブラックアウトしたかと思うとぼんやりと謎の入力フォームが出現するという仕様になっていた。
――「Please your score」
一言その問いかけがあるだけだ。
これが「意味不明な入力フォーム」と言うやつだろうか。直訳すると「あなたのスコアを」という意味だが、いったい何を問うてるんだろうか。
今一度先ほどのBBSに戻り、途中まで読んでいた閲覧を再開。なにかこのページの解読のヒントになる書き込みは無いだろうかと追っていくが、めぼしいものは見当たらない。
一体、入力を求められているのは何のスコアなのか。
それがわかれば、RoBを超えた、リアルを感じられる世界が待っているかもしれない。イタズラに振り回されているだけなのかもしれないのに関わらず、俺の中で牙をむき出しにした空虚が暴れまわり、興味は膨れ上がる。
試しに架空のパーソナルIDを入力してみるが、反応はない。
「スコア。スコア。スコアって何だ?」
頭をフル回転させ、知恵を絞り出す。
「何かの得点じゃなくて何かの楽譜の事だろうか?」
音楽の楽譜のことをスコアと呼ぶことを思い出すが、結局なんの楽譜を入力すればいいかわからないので、根本的な解決には繋がらない。
文章で楽譜を表現する方法を調べてみたり、試しに音階をアルファベットや数字に置き換え、適当な音楽を入力をしてみたが、手応えはない。
あと、試してみてないのは自分の本当のパーソナルIDだけだが、得体の知れない人間にこちらの素性がバレるのはよろしいことではない。
たとえ、セントラルの基で平等化されたがゆえに、個人情報などなんの価値も持たず、ネイションのデータベースを照会すればある程度のことは調べられるとしてもだ。
ここで、俺は一端謎のアクセスページを閉じた。
手先を操作し、トラッシュボックスを開くと、削除したデータを漁り「RoB」のログを発見する。
パーソナルIDとゲームの固有のユーザーIDを入力し、データの再発行を要求。「RoB」のデータを開き、ゲームのサーバにアクセスすると、個人ログを照会、つい一時間前までやっていたゲームのシステムログを呼び出した。
はやる気持ちを抑えながら、中身を確認していく。そのデータの羅列の最後の行に十二桁の数字を見つけた。俺が「RoB」をクリアした際にはじき出したスコアだ。
これだ。
十二桁の数字を記憶させ、さっきのアクセスページを再び表示。入力フォームに「RoB」のスコアを入力、送信。
新たなページに飛んだ。
「よしっ!!」
完全な勘だったが功を奏したようだ。
再び画面がブラックアウトし、新たなメッセージが浮かび上がる。
――「RoBに満足できなかったあなたへ。リアルに餓えるあなたへ。リアルを、あなたを感じられることのできる世界をあなたへ」
なんとも思わせぶりなメッセージだ。
画面をスクロールさせると、そこに現れたのは住所と管理者のIDだった。
――「あなたの任意の時間を下のフォームにご入力頂き、その時間に上記の住所までお越しください。無償にて未知の体験をあなたに提供させていただきます」
得体の知れないその怪しげなメッセージを、俺はしかし、信じることにした。
なにか危険なことに巻き込まれようと、セントラルに取り締まられるようなやっかいな事態になろうと構わなかった。虚無感で満たされる現実などリスクとして賭けるには安いものだ。
俺は入力フォームに明日に控える基本労働が終わった時間を指定し、送信した。
その後、ページに書いてある住所と、管理者のネイションIDをネットで検索にかける事にした。
ネイションデータベースで照会すると、ブランクページに行き当たった。
「ブランク……?登録がないんじゃなくて?ブランクってどう言うことだ?セントラルの管理外のネイションなんて存在しないはずじゃ…」
一切の情報が書かれておらず「ブランクコード」とだけ書かれたページをいつまでも眺めていてもしょうがないので、わからない情報は諦めて、今度は住所を調べる事にする。こちらは、ブランクページにこそ行き当たらなかったが、現在では使われていない荒廃地域が指定された。
前世紀の震災以降排他地域に指定され、セントラルの管理からも外された地域だ。立ち入り禁止になっていたかはわからないが、住んでいる人はおろか、ライフラインの供給もなされていない地域のはずだ。本当にここになんらかの施設があるんだろうか。
疑念は深まる一方だが、騙されてもしょうがないと腹を決めたばかりだということを思いだし開き直る。明日直接出向いて、自分の目で確かめれば良いことだ。登録のページを閉じると、PCCからログアウトした。