レグルス
「……『レグルス』……星の名前か?」
蛍の回答に、奏芽が「勘は良いみたいだね」と肯定する。
正解らしい。
「レグルスは獅子座を構成する星の一つで、αとβ……指極星を繋いだ線をβ側へと伸ばして辿った先に行き着く星だよ。つまりはβと関わり深い星って訳。まあ重要なのは星そのものの概要じゃない」
アッサリとしたレグルスの説明が終わると、奏芽は「土萌蛍くん」と自身の異能を使って、簡単な伊達眼鏡を生成する。
カチャリと眼鏡を鳴らせば、「問題です」と教師よろしく口を開いた。
「この世に存在する、真に星の力を扱える者達は星天七宿家の人間のみである。丸かバツか。……さて、どっちでしょう?」
「…………丸、だと思ってたが……その言い方ならバツなんだろ」
ぶっきらぼうに蛍が答えると、奏芽はニコリと笑みを浮かべる。
「正解!現代に生きる貴人の殆どは紛い物の星の力を使っているけど、唯一一人。星天七宿家の人間のように本物の星の力を授けられてる人間が居る。星天七宿家に力を貸してくれてるのが北斗七星なら、その人物に力を与えているのがレグルスって訳。勿論、本物の星の力だからね。星力量、質共に北斗七星に引けを取らない優秀な貴人だよ。まあ向こうは“覚醒”とかないし、決められた家の中で代々受け継いでる星力でもないけど……」
「…………」
「で、ここからが本題。さっきも言った通り、レグルスはβと縁深い星。だからかどうかは知らないけど……北斗七星“β”は、土萌家の人間の血に流れてるβの星力とレグルスの星力が合わさらない限り覚醒しない。他者の星力を体内に入れることのできない貴人が、相手の星力と自身の星力を交ぜようと思えば、取れる方法は唯一つ。まぐわって、両者の星力を継ぐ子供を作ることだけ……」
「…………」
「代々土萌家当主はレグルスに選ばれた人間と結婚し、βとレグルス……二つの星力の合わさった子供を絶やさず作ってきた。だから現当主の子供しか次期北斗七星に選ばれないし、もし現当主の結婚相手がレグルスに選ばれた者でなければ、子供を産んだとしても次期北斗七星には選ばれない。つまり君が北斗七星に覚醒しない理由は、君の血にはβの星力しか流れていないから。逆に言えば、レグルスの星力を体内に入れ、上手く自身の星力と馴染ませることができたら次期“β”に覚醒する。で、その体内に相手の星力をできる限り馴染ませて入れる方法が子作りって訳」
「…………」
ペラペラと舌を回す奏芽とは対照的に、蛍は一言たりとも発せなかった。
言葉が出てこない訳じゃない。膨大な量の不満や疑念がドンドンと溢れて来て、自分でも処理し切れていないだけである。
だがとりあえず奏芽の言いたいことはわかった。自身の求める答えも。
要は、北斗七星に覚醒したければ、レグルスに選ばれた人間とセックスすれば良いと、それだけの話である。それだけの話ではあるが……。
「ふざけんな!何で俺が顔も名前も知らねぇ女とヤらなきゃなんねぇんだよ!そんなふざけた覚醒条件があって堪るか!!」
ある意味当然の反応である。
奏芽はやれやれと言わんばかりに肩を竦めた。
「私に文句言わないでよ。君がどう思おうと、ソレが事実なんだからさ。それに……これでわかったでしょ?」
「何のことだ?」と蛍が視線だけで訴える。
意図を汲み取った奏芽はニヤッと不敵な笑みを浮かべた。
「土萌家当主が特に他家の異性と仲良くしたらダメな理由。何が何でも“レグルス”と結婚してもらう為だよ。と言うか、土萌家当主の第一子が“レグルス”との子でなくちゃ困るんだよね」
「…………」
蛍は口を噤む。
奏芽は更に続けた。
「星天七宿家の子供は確実に貴人な訳だけど、親の優秀な遺伝子……星力量とか異能の強さとかね。ソレらを継ぐのは、基本的に長子だけなんだよ。次子以降の子供は言わば残りカス程度の力しか受け継がれない。だから、星天七宿家の人間で兄弟持ちは限りなく少ないし、居たとしても殆どが双子とか……不可抗力で二人目が出来た場合くらいしか居ない。私とか梨瀬さんみたいにね」
奏芽の話に、自身の父親と梨瀬が双子の兄妹であると聞いた記憶を、蛍は思い出す。
他家の事情は知らないが、少なくとも蛍の知る限り、確かに土萌家に兄弟持ちの人間は居なかった。
「だから当主の子供が次期北斗七星に選ばれることが決まってる土萌家当主だけは、絶対に“レグルス”以外と性関係を築いて欲しくないんだよ。正直子供さえできなきゃ何しても良いけど、人間関係なんていつどう拗れるかもわかんないし、周りの人間が常に状況把握やあらゆる関係性を管理できる訳でもない。だったら、最初から間違いを犯す可能性を無くせってことで、蛍くんと奏楽の関係に躍起になってる訳」
奏芽が話を区切る。蛍は小さく「ふざけんな」と溢した。
「外野にどうこう言われる筋合いはねぇよ。大体その覚醒条件だって納得できるか!!」
「えぇ、別に良いじゃん。気持ち良いことするだけで、念願の北斗七星に成れるんだよ?大空家なんか殺し合いまでして、覚醒の儀式をしてるってのに」
「知るか!!俺はソラ以外とそんな関係になりたいなんて、微塵も思わねぇんだよ!大体、向こうだって御免だろ!見ず知らずの人間となんてよ」
一向に「はいそうですか」と頷かない蛍に対して、奏芽は「アハハ」と軽薄な笑みを溢す。
薄気味悪い表情だ。蛍は背筋に悪寒が走るのを感じた。
「心配しなくて良いよ。本心がどうあれ、君と違って向こうは、生まれた時から次期“β”に嫁ぐことが決まってたからね。ずっと『次期“β”と子供を作れ』って半分洗脳みたいな教育を受けて来てる。だから今更、君と子作りすることに反抗なんてしない。喜んで自分から服脱いで閨に来てくれるさ」
「……最悪かよ」
蛍が吐き捨てる。もはや嫌悪感なんて生易しい言葉では表せそうもなかった。
それくらい気分の悪い話だ。
だがこれで終わりではない。
奏芽は変わらず笑顔のまま「それにさ」と告げた。
「どれだけ嫌がってたって、どうせ向こうも、それに君も。出会えば一瞬で……恋に堕ちるから」
瞬間時が止まる。
奏芽の言ったことが、蛍には一切理解できなかった。
……俺が誰と『恋に堕ちる』って……?
一時間にも思える一分が過ぎて、蛍は開口一番「は?」と眉根を寄せた。
「どういうことだ?俺がソラ以外を好きになる訳ねぇだろ」
蛍が苛立ちの混ざった声で断定すれば、奏芽はクスクスと笑いながら「今はね」と意味深に返す。
「おかしいと思わない?絶対に蛍と奏楽が結ばれる訳にいかないのに、釘を刺されてるのは奏楽だけ。一番この件に口出しして来そうな土萌家現当主である梨瀬さんは、君に全く『奏楽と別れろ』なんて詰め寄って来ない。どう考えても変でしょ」
最もな問い掛けだった。
奏芽の言う通り、梨瀬から奏楽との関係を指摘されたのは、後にも先にも土萌家に正式に戻ると決まった日の一回限りである。
蛍が奏楽と行動を共にするにあたって、莉一の件も透の件も、梨瀬から文句を言われたことは一度もなかった。
蛍が次期当主、次期“β”となり、次代の北斗七星誕生の役目も担っていると言うのであれば、蛍と奏楽の関係を危惧し、何度か警告を出してもおかしくない筈である。
梨瀬に関する疑問を蛍に植え付けた所で、奏芽は「どういう理屈か」とその答えを教え始める。
「βとレグルスは互いに惹き合う力が強いんだよ。だから本人の意思関係なく、出会ったら最後。絶対に互いのことに夢中になるんだって。まあ言葉だけ聞いても納得できないだろうけどさ〜。実際、土萌家の人間以外で、βとレグルスの結び付きの強さを信じてる奴は居ないしね。そうでなきゃ、わざわざ奏楽に『蛍と縁を切れ』なんて根回しする筈もない」
「…………」
「梨瀬さんから聞いた話を教えてあげるよ。それでも実際に体験しなきゃわからないだろうけど。でも……星同士の呼応の前では、いかに人間の心なんてモノがちっぽけかって、痛感させられるから」
そう言って笑んだ奏芽の瞳は怪しく細められている。そんな中、蛍はふと梨瀬との会話を思い出した。
……『蛍……お前……奏楽に惚れているのか?』
……『だったら悪いかよ』
……『……即答か……。なら悪いことは言わん。諦めろ。いずれ必ず後悔することになるからな』
今になってあの日の梨瀬の言葉が、嫌に蛍の脳内を反芻するのであった――。
〜 〜 〜
一年前。奏芽と梨瀬が合同任務に就いていた日のことだ。
「……『好きな人』……梨瀬さんからそんな単語が出てくるなんて意外ですね」
「失礼な奴だな。お前は私を何だと思ってる、奏芽」
任務も終わり、後はそれぞれ家の人間に場の後始末を任せるだけとなっていた。その待ち時間の退屈凌ぎとして、梨瀬の愚痴を聞いていたのだ。最初の方は秋峰家当主である秋峰紅葉の愚痴を延々と語り、「奏芽はあんな女になるんじゃないぞ」と口酸っぱく言われていた訳だが、どう流れが切り替わったのか。いつの間にやら話は梨瀬の初恋に変わっていた。
「嫌だな。ただ梨瀬さんは常に旦那さん一筋の方なんで、別の男に恋愛感情を抱いてたことが意外だなって思っただけですよ」
「『旦那一筋』……まあ、そうかもな」
奏芽の言葉に、梨瀬がフッと自嘲するかのように鼻で嗤う。
「夫に……レグルスに選ばれる人間に会うまで、私はずっとたった一人の男に片想いをしていた。想いを告げることは無かったが、もし両想いになれたら結婚したいと考える程にはその男に夢中だった」
「へぇ。そんなに素敵な方だったと……でも今の旦那さんの方がずっと好きなんでしょ?それなら旦那さんに一途になるのも無理はないかもしれませんね」
「否、そうじゃない」
梨瀬が奏芽の言葉を否定する。
奏芽は不思議そうに首を傾げた。
「βとレグルスの結び付きが強いことは知ってるだろ?」
梨瀬からの問いに、奏芽は「ええ」と応える。
土萌家の世代交代は、他の星天七宿家と異なる事が多い。万が一にも北斗七星が欠けてしまわないように、ある程度の情報共有は他家の人間であってもされてきた。
その為、秋峰家の人間である奏芽も、βにとってレグルスがいかに重要な星かは知っている。
「レグルスの星力を交ぜなければ、次期“β”となる子は生まれない。だから毎世代、土萌家の当主は当代“レグルス”と結婚する。婚約が土萌家最大の慣習。ですよね?」
「ああ。だが『慣習』だから、私はあいつと結婚した訳じゃない」
「??」
梨瀬の言っている意味が理解できず、奏芽はキョトンとした表情でハテナを浮かべた。それに対し、梨瀬は「体験してない者にはわからんだろうな」と嘲笑する。だがその笑みは、どこまでも自虐的だった。
「さっきも言ったが、私は例の男に酷く懸想していた。慣習など知った事ではないと……βの星力とレグルスの星力を交ぜれば良いだけなら、別の土萌の娘と結婚させれば良いんじゃないか。それが許されないなら、いっそレグルスに選ばれた人間を殺せば良いんじゃないか、とすら思っていた。実際、初の顔合わせの日。私は相手に盛る為の毒を持って行ったくらいだ」
「……相変わらず極端ですね」
呆れたように両肩を竦める奏芽。
気を害した様子はなく、梨瀬は「まあな」とむしろ自身の評価を受け入れていた。
「だが結局、毒薬を使うことはなかった。殺す必要がなくなったからな……」
梨瀬の声に諦念が滲んでいる。奏芽はその続きを静かに待った。
「“レグルス”の男を一目見た瞬間、全身が稲妻に打たれたみたいな衝撃を受けた。『ずっと会いたかった』『離れたくない』『もっと側に居たい』『触れ合いたい』……そんな感情が次々に溢れて来て、気が付けば二人同時に抱き合っていた」
「………………」
「アレは……人智を超えた縁だ。土萌の当主とレグルスに選ばれた人間にしか理解し得ない。本人の意思など関係ないんだ。私の中のβが、『あの男を愛せ』と強く訴えていた。星の本能とでも言うべきか。私達人間の理性や感情なんてちっぽけなモノは、強大な星の導きの前では在って無いようなモノだった」
「…………」
奏芽は反応しない。
構わず梨瀬は自身の右手の平へと視線を落とし、そして右手拳を握り締める。
「たった一瞬……あいつに会ったあの瞬間に、私は失恋した。今までの気持ちが全部嘘みたいに無かったことにされた。驚く程何も感じないんだ。こうして話してる今でも、あの時の恋を思い出せない。私の想いは宇宙の何処かに消え去ったらしい」
「…………」
「今思えば、片想いで良かった話だ。どう策略したとしても、いずれは“レグルス”の男と会っていた。もしあの男と付き合っていたとして、“レグルス”に会ってしまえば……私はあの男を理不尽に捨てることになっていただろうからな」
「……自身の気持ちじゃないとハッキリわかっているのに、それでも旦那さんのことを……“レグルス”のことを愛してるんですか?」
ふと奏芽が尋ねる。
まるで多重人格のようだと思ったからだ。
梨瀬という個体の中に、梨瀬とは別の人格……βが居る。“レグルス”を愛しているのがβ”で、普段表に出ている人格が梨瀬なら、常からレグルスの継承者たる旦那に恋心を抱ける訳がない。
にも関わらず、梨瀬は愛妻家ならぬ愛夫家で有名だ。
奏芽が疑問に思うのも当然だが、しかし梨瀬は自嘲するように笑っているだけである。
「良いか、奏芽。私達はあくまで北斗七星の容れ物に過ぎないんだよ」
梨瀬の瞳が冷たく細められる。
奏芽は反論することなく、口を閉ざした。
「生命の集合体である星に比べれば、人間など取るに足らない生命だ。だが“北斗七星”はこのちっぽけな身体に、莫大な星一つ分のエネルギーを入れている。人間一人には当然過ぎた力だ。主導権を北斗七星が持っているのも当然だろう。星の意志を無碍にすることはどうやってもできないんだよ。確かに夫の側を望んだのも、夫を愛せと叫んでいたのもβの意志だ。だが同時にソレは……私のコエだった。肉体も精神も、私の全てがβのモノということだ。当然、δを継ぐお前もな?奏芽」
「……認めたくない話ですね。まるで操り人形みたいだ。私達は北斗七星の玩具になる為に生まれて来た命だとでも?」
「さあ?ここまで星の意志を認知できるのは土萌家当主だけだろうし、お前は死ぬまで星の意志に気付くことなく、一生を終えるかもしれん。だがどちらにせよ……ソレが事実だ。どう足掻いてもな」
「………………」




