知らない記憶
「……か、なめ……?」
「……久しぶりだね、奏楽」
奏楽と奏芽、両者の全く同じ碧眼が交差する。
まるで時間も空気も、空間そのものが凍り付いたと思われること、たったの数秒。
奏楽はパァアアと効果音が付きそうな程満面の笑みを浮かべると、「奏芽!」と奏芽に駆け寄った。
「お久しぶりですね、奏芽!元気にしてました?」
嬉しくてしょうがないと言わんばかりの明るい声音だった。奏芽の右手を両手で包み込み、非常に柔らかく微笑む奏楽。
そんな奏楽の表情を一瞥すると、奏芽はフッと自虐気味に口角を上げて奏楽の手を冷たく振り払った。
「テメッ!!」
奏楽に見つからないよう、奏芽の背にしゃがんで隠れていた蛍が、思わず声を荒げる。しかし、奏楽は怒る様子も傷付く気配もなく、優しい笑みを浮かべているだけだ。
奏芽は瞳の奥が冷え切った笑顔で応対する。
「正月の宴会以来だったっけ?ほんの数秒前までは元気だったよ。どっかの誰かさんに会わずに過ごせてたからね。私の仕事中に一体何の用?くだらない用しかないなら、今すぐ消えてくれないかなぁ」
完全に敵意しか感じない物言いだが、奏楽は特に気にしない。「お仕事?」と首を傾げると、奏芽の嫌味を綺麗にスルーして質問を続けた。
「ほたちゃんも一緒にお仕事中なんですか?……ここに倒れている人達……皆凡人みたいですけど、何かあったんですか?」
「人の話が聞けない訳?私は『消えろ』って言ったんだけど?大体さぁ、お前に言う必要ないでしょ。私の仕事なんだから。蛍君にも秘匿義務を命じてるし。とにかくお前には関係ないことだよ。首突っ込まないでくれる?」
つっけんどんな態度を貫く奏芽。
奏楽が気にしなくても、コレには蛍の堪忍袋が限界だ。
「テメェッ!」と自身の怪我のことも忘れて、蛍は奏芽の前へと出て来る。そのまま胸倉を掴み上げれば、奏楽から「ほたちゃん!」と大声が上がった。
「しまった」と蛍が後悔する間もなく、奏楽が蛍へと駆け寄って来る。
「傷だらけじゃないですか!!だから隠れてたんですね!?」
奏楽の両手が蛍の両頬を包み込んだ。
どれだけ嫌味を言われても一切気にしない奏楽だが、傷だらけなのを隠そうとしていた蛍には怒っているようだ。珍しく眉を吊り上げさせている。
蛍は奏楽を刺激しないように、両手を前に出して慣れていない作り笑顔を頑張った。
「お、落ち着け。な?傷だらけっつっても、全然大したことねぇから」
「どこが『大したことない』んですか!?こんなに血が……いっぱい出て…………」
「?……ソラ?」
突然口を閉ざしてしまった奏楽に、蛍が顔を覗き込むようにして首を傾げる。目線が蛍の傷口で固定されたまま、奏楽は固まってしまっていた。
……『ソラちゃん危ない!!!』
瞬間、奏楽の頭の中に身に覚えのない記憶がフラッシュバックされる。
既に止血されている蛍の傷口。だがしかし、奏楽の視界には大量の血が溢れ出て来る映像が過ぎっていた。
ユラユラと、奏楽の瞳が揺れる。焦点が何処とも合っていない。目の前の蛍のことが見えていないようだ。
「ソラ?……ソラ!?おい!しっかりしろ、ソラ!!」
「…………な、に……今の……ほたちゃ……」
蛍の声が届かない。
……『ほたちゃんッ!!ほたちゃん!!?ねぇ!ほたちゃん!!!』
代わりに、何処からか幼い頃の奏楽自身の声が聞こえて来た。
今よりも短く華奢な腕で奏楽が抱き抱えているのは、ドクドクと大量の血が留まることなく流れている血塗れの蛍。
段々と蛍の体温が下がっていく。肌から赤みが引いていく。
知らない筈なのに知っている。
……何……?嫌だ……ほたちゃん……お願い……ボクの前から居なくならないで…………。
ポロッと、奏楽の瞳から涙が溢れ落ちた。
「ソラ!!ソラ!!」
「……ほたちゃ、血が……嫌だ……死なないで……嫌…………」
「死なねぇよ!!俺を見ろ!!ソラ!!俺は死なねぇ!!大丈夫だ!!頼むから……ッこっち見ろっつってんだろ!!!」
蛍が奏楽の両肩を掴んで必死に叫ぶが、奏楽の意識は帰ってこない。
……クソッ!!また俺は止められねぇのかよ!!
蛍は奥歯を噛み締めると、バッと奏芽へと顔を向けた。
状況に脳内処理が追いついていないらしく、奏芽はポカンとした表情を浮かべている。
「奏芽!!今すぐに星力で結界張れ!!」
「はぁあ!?て言うか、何コレ?何が始まってんの?」
当然の切り返しをする奏芽だが、蛍は「早くしろ」と急かすだけだ。
「急がねぇと、ここら一帯の人間が全員死ぬぞ!!!」
「ッ!?……チッ……しょうがないなぁ……」
全く蛍の言っている意味はわからなかったが、状況の危うさは理解したらしい。
奏芽は舌打ちと共に、奏楽の星力の流れに意識を向ける。
……何が起こってるかは知らないけど……確かにマズイな。奏楽の星力が有り得ないくらい膨張してる。もしコレが決壊するって言うなら……冗談抜きで全員お陀仏じゃん……。
奏芽は蛍の言う通り、慌てて奏楽を囲むように最大出力で結界を張った。
次の瞬間。
奏楽が両腕で自身の頭を覆ったと同時に、凄まじい衝撃波となって、奏楽の異能が暴走したのである――。




