チート能力
……誰だ、コイツ……。
蛍が鋭い目付きで相手の少女を睨み付ける。
しかし蛍が訝しんでいる間に、少女は薄紅色の瞳を再び真紅へと染めた。
微塵も動かない少女。
……何だ……?
しかし、咄嗟に蛍がその場から転がるように飛び退く。
そのすぐ後にはキンという短い金属音。
音の方へと目を向ければ、先程まで蛍の前方に居た筈の少女が、いつの間にやら蛍の後方からナイフを振り下ろしていた。
……いつの間に……!?
目で追えないなんてレベルじゃない。
正に瞬間移動と言える早技だ。
驚愕する蛍だが、少女はと言えば「あれ?」と軽い口調で笑顔を浮かべていた。
「よく反応できたね。割と本気で殺すつもりだったのに」
「……ふざけんな。テメェは一体何者だ?」
「教える義理ある?」
それだけ告げると、少女はまた動きを止めた。
その数秒後に殺気を感じて、蛍は前方へと転がり込む。そして、またもや空振りしたナイフによる空気を裂く音。
音のした方へと目を向ければ、やはり先程まで全く別の所に居た筈の少女の姿があった。
……何の能力だよッ!?ホントに亜人の能力か!?コレ……!どっちかって言えば、貴人の異能じゃねぇか……!
驚きよりも苛つきの方が優ったらしい。
蛍は額に青筋を立てて、思いきり舌打ちを溢した。
だが怒っている余裕はない。
相手は謎の能力を使う亜人で、蛍を殺す気である。しかし蛍は只今、星力も体力も使い果たして満身創痍。
……マズい……反撃の手立てどころか、攻撃を躱すことすら精一杯だ……どうする……。
汗が一筋、蛍の頬を伝って落ちた。
少女が真紅の瞳を怪しく光らせ、再び身体の動きを停止させる。
攻撃の合図かと身構える蛍だが、体力の限界で震える手足は役に立ちそうにない。
すぐ側から殺気。
反射的に蛍は目を瞑った。
……“壁”
凛とした声が蛍の鼓膜を震わせた。
次いで、蛍の横側の床が突如盛り上がり、少女の攻撃から身を守ってくれる。
「いやぁ、困るな〜。ソレ、借り物だからさ〜。勝手に壊さないで貰っても良いかな?」
場に似付かない緩い声音で姿を現したのは、奏芽だった。奏芽は庇うように、蛍の前へと降り立つ。
……誰が『借り物』だよッ!
心の中でツッコみながら、額に青筋を立てる蛍。『凡人だけ』と言う情報に間違いがあったことも含めて、文句の一つも言ってやりたいところだが、生憎そんな体力は残っていない。唯一睨み付けるだけの細やかな不満の提示に、当の奏芽はどこ吹く風だ。
そんな仲間同士とも見えない二人を前に、少女は一度距離をとると、奏芽の姿に一瞬だけ動揺を見せた。
「……その顔……北斗七星“δ”秋峰奏芽……あらら、まさか北斗七星まで出て来るとは……しくったなぁ〜。あんなに気を遣って、情報が漏れないように作戦進めてたのにさぁ」
大袈裟なまでに天を仰ぐ少女だが、言葉とは裏腹に悲壮感は微塵もない。
何処までも演技臭い少女の言動に対し、奏芽もまた応じるように、貼り付けただけのような笑みを浮かべた。
「いやぁ、気にする必要はないよ?別に北斗七星として来た訳じゃないし。私には耳の良いトモダチが沢山居るからね。むしろここまでバレずに薬を作れただけでも、優秀だったと思うよ?」
「『耳の良いトモダチ』ねぇ……流石は裏世界の情報屋さん。耳の良さは折り紙付きみたいだね」
「!……へぇ、私が情報屋をしてるって知ってるんだ。星天七宿家の人間すら知らないのに……。そっちも負けず劣らず耳が良いみたいだね。道理でここまで秘密裏に暗躍できた訳だ」
どちらも食えない笑みを携えて、相手の情報を引き出そうと会話を続ける。
だが延々と冷めた談笑を続けている時間もないので、「さて」と奏芽はブワッと今まで抑えていた星力を解放させた。
「本題に入ろうか。聞きたいことが幾つかあるんだけど……素直に話して見逃して貰うのと、このまま私に殺されるのと……どっちが良い?」
ニコリと老若男女が見惚れる微笑みを少女へ向ける奏芽。美しい顔に違いはないのに、何故かゾクリと悪寒を覚える。
少女は冷や汗が額から流れて来るのを感じながら、ペロリと舌舐めずりをした。
「あっはは……殺されるのは、ちょっと勘弁したいかな……ッ!?」
少女が目を見開いて、首元に手を持って行く。少しだけ顰められた眉に、余裕の消えた表情。
何が起こったのか蛍にはサッパリだが、少女とは対照的に悪い笑みを浮かべている奏芽を見て、奏芽が何かしたのだろうと察する。
……“酸欠地獄”
奏芽は愉しげに口を開いた。
「苦しいでしょ?君の周りから酸素を抜いたんだよ。ナイフを捨てて、降参してくれるなら、戻してあげる。それとも窒息死する前に、私を殺してみる?多分できないと思うけどね!」
ニッコリ笑って言い放たれた台詞の、何と性格の悪いことか。
蛍はドン引きしながら奏芽の言葉を聞いていた。
だが、気になったのは奏芽の性格の悪さよりも、その異能だ。
……空気から酸素を抜くって、どんな異能だよ……。
半分チートである。
当然無敵な能力など、この世には存在しない。だがしかし、奏芽の異能がどんなデバフを抱えていたとしても、空気中の酸素を操れる時点で、生物に勝ち目はないということだ。
「ッ!…………」
奏芽の異能の凶悪さを証明するかのように、酸欠によって少女の顔色がどんどんと悪くなっていく。少女はフッと口元を緩めると、瞳を閉じてナイフを捨てた。そして、両手を挙げて「まいった」のポーズを取る。
だがしかし……。
……“モズの早贄”
奏芽が唱えれば、少女の足元の床がいきなり剣山のように姿を変えた。当然少女は全身を串刺しにされ……ホログラムのように空気中へと身体が消散される。
「……やっぱり偽物か。つまり窒息死がお望みってことで良いのかな?」
奏芽が虚無に向かって問い掛ければ、先程投げられたナイフの側に、少女の姿が現れた。
「……………」
少女は薄紅色の瞳のまま、諦めたように再び両手を頭の上へと挙げる。今度こそ本物らしい。
奏芽はパチンと指を鳴らした。
「ッ!……ハァ!ハァ!ハァ!……」
少女が荒い呼吸を繰り返す。
どうやら奏芽が酸素を戻したようだ。
過呼吸染みた息が落ち着けば、少女は手を挙げたままニコリと微笑んだ。
「まさか見破られるとは……流石現役北斗七星は一味違うね。降参だよ。何でもって訳にはいかないけど、質問答えてあげる」
先程までの苦しそうな姿は幻だったのかと思う程、既に元通りの少女。
だが奏芽はそんなこと気にしない。
「それじゃあ聞こうか」と意味深な笑みを更に深くさせた。
「お前、その目……『赤目の怪人』でしょ?『アゲハ蝶』とどういう関係な訳?」