悪魔の誘惑
「……秋峰、奏芽……」
思わず蛍が復唱する。
そして、「ん?」と内心引っ掛かった。
……『奏芽』って、確かどっかで……。
聞き覚えのある名前に、蛍は自身の記憶を辿る。
何処か見覚えのある奏芽の笑顔と確かに聞いた覚えのある名前。
蛍は古い記憶を思い出した。
……『ボクね、実は双子の妹が居るんですよ〜。年に一度くらいしか会えないんですけどね〜』
……『双子の妹?』
……『はい〜。と言っても、二卵性なんでそんなに似てる訳じゃないですよ?「奏芽」って言って、と〜っても可愛いんです〜』
蛍はハッとする。
『奏芽』……奏楽が昔話してくれた双子の妹の名前だ。
ということはつまりである。
「……ソラの妹か?」
「!」
蛍が疑心暗鬼で尋ねれば、奏芽と名乗った美少女は僅かに目を見開ける。少し視線を地面に落とすと「へぇ」と抑揚のない声を漏らした。
「……何だ、てっきり忘れてるかと思ってたのに……」
あまりにも小さく呟かれた為、蛍にその声は聞こえなかった。
訝しむように睨み付けてくる蛍に、奏芽は打って変わってニコリと嘘臭い笑みを浮かべる。
「そう!奏楽とは一応“元”双子の仲!と言っても、会話したことすら殆どないから、赤の他人と対して変わんないけどね〜!まあ何にせよ、私のこと知ってるなら自己紹介はもう良いや」
高めのテンションで一気に捲し立てれば、奏芽は蛍の目の前まで急に距離を詰めてくる。
「君に仕事の手伝いを頼みに来たんだよ、土萌蛍くん?」
「…………」
胡散臭い仮面に、蛍はジトッとした目で奏芽を睨み付ける。
『“元”双子』と言う奏芽の言葉は気になるが、どちらにせよだ。いくら奏楽の妹だからといって、奏楽本人でもない人間の言う事をわざわざ聞く程、蛍は優しい人間ではない。
「知るか」と吐き捨て、躊躇なく踵を返す。しかし、蛍に背を向けられても、奏芽は一切気にしない。
「『奏楽に関係する事だ』って、言ったらどうする?」
「!!」
背中越しに告げられた言葉に、反射的に蛍が振り返る。奏芽はニヤリと口角を上げた。
「君、奏楽と仲良いんでしょ?奏楽の事助けたいって思うなら、手を貸してよ」
「…………」
* * *
そうして蛍と奏芽がやって来たのはカフェだった。
あの後、『奏楽』という名前にまんまと釣られた蛍に対して、奏芽が性格の悪い笑みを浮かべながら「場所変えようか」と言い出したのだ。
既に来店から五分。注文を済ませ、二人の手元にはそれぞれコーヒーが置かれてあった。
奏芽は予め店員に頼んであった蜂蜜をコーヒーの中に入れて、ティースプーンで混ぜながら一口カップに口付ける。
「コーヒーに蜂蜜……」と蛍からのジト目を無視して、奏芽は「さて」と口を開けた。
「一応先に言っとくけど、今回私は北斗七星として、君に仕事の依頼をしに来た訳じゃないから。そこんとこ、勘違いしないでね」
「……北斗七星としてじゃねぇなら何なんだよ?」
「私はさ、家に内緒で情報屋をやってるんだよ。勿論正体は隠してね?結構裏では有名なんだけど……主な仕事内容としては、客の欲しい情報を金で売ったり、逆に客が持ってる情報を客の望みを叶えることで買ったり……後は情報収集とか情報操作とか色々だね。で、今回は前半後者……つまり、客の依頼を叶えることで私の欲しい情報を売って貰おうって訳。その客からの依頼って言うのが、私の代わりに君にやって貰いたい仕事だよ」
ニコニコと底の見えない笑みと共に説明する奏芽のことを、いまいち信用し切れず蛍が訝しむ眼差しで睨み付ける。
そもそも、奏芽の事は何一つ知らない訳だが、北斗七星であるということはそれ相応の実力があるということである。情報屋をやっていると言うなら、戦闘力だけでなく頭脳レベルも高いのだろう。
そんな奏芽が受けた依頼内容を、北斗七星どころか星天七宿家に戻って一ヶ月も経っていない蛍にできるとは到底思えない。第一、何故蛍に頼んで来たのかもわからない。
「何でテメェの代わりに俺が依頼を受けなきゃならねぇんだよ。ソラに関する事ってのは、どういうことだ?」
当然の質問を蛍がすれば、奏芽は「そう慌てないでくれる?」とコーヒーを口に流し込む。音も立てずカップをソーサーに戻し、奏芽は「依頼内容だけど」と説明を再開させた。
「『北斗七星殺害阻止』が今回客に言われた条件の一つ。もう二、三頼まれたことはあるけど、そっちは並行で私がやるから、君は気にしなくて良い」
「……『北斗七星殺害阻止』……ソラだけじゃなく、北斗七星全員が狙われてんのか?」
蛍が尋ねる。確かに奏楽に関する事に間違いはないが、蛍が思っていたよりもスケールが大きい。と言うよりも、『北斗七星殺害阻止』など個人が受ける依頼内容ではない。
しかし、奏芽は「否」と首を横に振った。
「聞いた話によると、とある組織が対北斗七星用の劇薬を作ってるらしくてね。それが本当に北斗七星に効くかどうか、近々実験する気らしい。だから、北斗七星の中の誰が狙われるかは現状知らない」
「……つまりソラが狙われてるかどうかはわかんねぇんだな?」
「そういうこと」
「帰る」
言うが早いか、蛍はさっさと席から立ち上がり店の出口へと足を向ける。
その行動は予想通りだったのか、奏芽は特に焦るでもなく「ちょっと待ちなよ」と蛍を呼び止めた。気にせず蛍は足を進める。
『奏楽に関係する事』などと、大袈裟な話だ。実際に奏楽が巻き込まれるかどうかもわからないのに、こんな胡散臭い奴の話に付き合う義理はない。
しかし奏芽は「おーい」と更に蛍を引き留めようと口を開く。
「奏楽が狙われる可能性はゼロじゃないんだけど?」
奏芽が蛍の背に言葉を投げ掛ければ、煩わしくなって蛍は立ち止まり、視線だけを奏芽に向けた。
「わざわざ薬を使うってことは、本人の実力自体は低いってことだろ?それこそ俺に殺害阻止を頼めるくらいにな。だったら、俺がずっとソラの隣に居ればいい。万が一薬を喰らっても、こっちには解毒できる異能持ちが居るから問題ねぇ。そもそも俺が殺れる相手如きに、ソラが殺られる訳ねぇだろ。じゃあな」
淡々と告げた蛍は「これで話は終いだ」とでも言うように再び踵を返す。
わざわざ奏芽の仕事を手伝わなくても奏楽を護れるなら、これ以上話を聞く必要はない。
だがしかし、この切り返しには奏芽の方が「へ?」と間抜けな声を漏らしていた。
「『ずっと隣で』……?」
奏芽がキョトンとした表情で繰り返す。その反応に、蛍は「何だよ?」と気になって身体を振り向けた。
「もしかして君さぁ……当事者の癖して何も知らないの?」
「だから何の話だよ?」
馬鹿にされたと思った蛍が、額に青筋を立てて聞き返す。すると奏芽は取り繕うこともなく、「へぇ〜」と嘲笑するように口角を上げた。
「ここ最近、奏楽もしくは梨瀬さんから隠し事されてるなって思った時ない?」
突然の話題転換だが、あまりにもタイムリーな話に、蛍は隠すこともできず表情を顰めてしまう。奏楽とついでに梨瀬から隠されている電話の内容について、つい先程まで悶々と悩んでいたことを思い出したのだ。
蛍の表情に「その様子だとあるみたいだね」と奏芽はニコリと微笑んだ。
「後君、奏楽に対して劣等感あるでしょ?奏楽より弱いことに……実力不足で奏楽を護れないことに、負い目を感じてる……違う?」
「なっ、何でそんなこと……!?」
ずばり図星を突いてきた奏芽に、蛍が一気に警戒心を強める。対する奏芽はケラケラと軽い動作で両手首を振るだけだ。
「ちょっとした趣味だよ。人の心を読んだり、感情の起伏を見るのが好きなんだよね〜。だから、ちょっとした会話や動作だけで、相手の心情が読めるんだよ。好きこそ物の上手なれってね」
あっけらかんと言い放った奏芽に、「悪趣味な奴」と蛍が吐き捨てる。言い返すこともなく、奏芽は変わらず笑顔のまま「まあね」と自身の性格の悪さを肯定した。
「話戻すけど……要は君、奏楽より強くなりたいんでしょ?そして、その為には最低でも北斗七星に覚醒しなくちゃいけない。しかし覚醒条件が不明。実力が足りていないのか、それとも他に足りないモノがあるのか……奏楽も梨瀬さんも、君の周りに居る北斗七星は、理由は違えど生まれ付き北斗七星になることが決まっていた人間ばかりだから、ヒントを聞こうにもアテにならない」
次々に蛍の現状を言い当てられ、本当に趣味の範囲で収まる能力かと、蛍は茫然とする。
奏芽は続けた。
「私が教えてあげようか?」
「ッ!!?」
奏芽からの提案に、蛍が目を見開く。
蛍の反応に気を良くして、奏芽は人差し指を口元まで持っていき、ウィンクを一つ飛ばした。
「奏楽達が何を君に隠しているのか。どうすれば君が北斗七星に覚醒できるのか。私の仕事を手伝ってくれたら、その対価として教えてあげる」
それは紛れもない……悪魔からの誘惑だった――。




