『南星十戒』
まるで敵意を感じない、何てことない挨拶。
物腰の柔らかさやヨーロッパの貴族のような出立ちも相まって、品の良さを感じる程だが、問題はそんなことじゃない。
……気付けなかったッ……!
蛍がその目で相手の姿を確認するその時まで、この男が近くまで迫って来ていたことに微塵も気付くことができなかったのだ。
この男から莫大な星力量を感じているのにである。
もし奏楽が星剣で相手の爪を受け止めていなければ、今頃蛍の頭は男の腕に貫かれていたことだろう。
男は攻撃を当てるつもりだった。にも関わらず、今も先程も全く殺気や殺意を感じない。
これ程まで自身の気配を完璧に消せる、鋭利な爪ととんでもない星力量を持った男。間違いなく化け物級の亜人だ。それも蛍がこれまでの人生で見てきた亜人の中で最強の亜人である。
亜人の男は腕の力を抜くと、フワリと後方に跳んで、一度奏楽達から距離を取った。
「改めて初めまして。僕の名は月詠。今会う気はなかったんだけどね。気が変わったので、ちょっと挨拶しに姿を現したんだ」
言葉通り、ただの自己紹介を含めた挨拶に困惑する蛍達。しかし透だけ、月詠と名乗った亜人の男に見覚えでもあるのか、「あ……あ……」と身体を小刻みに震わせていた。
「透殿?」
「……コイツだ……奏楽!優里亜を誘拐したって俺に伝えに来たコウモリはその亜人だ!!」
「「「ッ!!」」」
透の情報に、全員が表情を引き締め直す。
優里亜を攫ったと伝えに来た亜人……ということは祐希を唆し、『MB』という薬を渡した張本人であるということだ。
それを肯定するかのように、月詠は透に向けて軽くお辞儀する。
「その節はどうも。君の異能は我々にとって色々と不都合があるから、是非祐希には君を殺して貰いたかったんだけど……流石に北斗七星に守られてちゃ無理だったか。まあ、薬の効果を北斗七星相手で見れたのは良いデータだったから、感謝するよ」
そう言ってニコリと微笑む月詠。
透が「なッ……」と怒りに言葉を失う。
代わりに奏楽が口を開いた。
「君、その星力量……“十戒”ですね?」
「「ッ!!??」」
奏楽の発した単語に、莉一と透が驚愕した表情で奏楽を見やる。
月詠はニヤリと口角を上げると、パフォーマンスをするかのように右手をクルリと回しながら左腕を広げ、「えぇ」と頷きながら一礼した。
「改めて、僕は『南星十戒』が一人、“怨念”の月詠。以後お見知り置きを」
軽く告げる月詠だが、それを聞いている莉一と透は、言葉を発することも身体をピクリとも動かすことすらできない。
奏楽も滅多にない程真剣な表情で相手を見据えていた。
ただ一人、『南星十戒』が何なのかわからない常識知らずを除いて……。
蛍は「おい」と莉一に耳打ちした。
「何だよ、その『南星十戒』ってのは」
「「ハァア!!?」」
当然その声は隣に居る透にも聞こえたようで、二人の驚きの声が重なる。莉一も透も信じられないと言わんばかりの表情で蛍を見つめた。
「『南星十戒』……全ての亜人達の始祖と呼ばれている、最強の十体の亜人達の総称ですよぉ。簡単に言えば、亜人版の“北斗七星”と言ったところでしょうかぁ。とにかく、その存在は伝説級の化け物として、本当に生きているのかどうかさえあやふやだった程ですよぉ。まさか本当に存在していたなんてねぇ……」
「……」
莉一の説明を受けて蛍は改めて月詠と奏楽を観察した。
余程体調や状況に問題がない限り、奏楽は亜人との戦闘において、緊張することも身構えることもない。何故なら圧倒的な強さを誇っているからだ。『最強の貴人の一人』という称号は伊達ではなく、フラッシュ状態だろうがドーピングしてようが、大抵の亜人は奏楽の本気の一割も見ることなく倒されてしまう。
だがしかし、今の奏楽は蛍がこれまで見たことない程、緊張しているようだった。震えこそないものの、その空気感から余裕のなさが窺える。
……『最強の亜人』……ソラが身構える程かよ……。
蛍も薄々感じていた状況のヤバさが確信に変わり、表情を強張らせた。
「さて、自己紹介も済んだことだし、まずは……」
そこで言葉を区切ると、月詠は一瞬にしてその場から姿を消した。残ったのは、フワリと舞っている土煙だけである。
「ッ!……………」
透が目を見開いたまま固まっていた。目と鼻の先には星剣と月詠の爪。
あの瞬きもしない間に月詠は透に攻撃を仕掛け、唯一それに反応した奏楽が星剣で相手の攻撃を受け止めたのだ。
殺されかけた恐怖よりも、起こった出来事の脳内処理が追い付かず、蛍達三人は何かに圧迫されているかの如く額から大量の汗を流す。
対して奏楽はギリッと奥歯を噛み締めた。
「何でボク以外の人から狙うんですか!?」
「これは失礼。先程告げた通り、七海透さんの異能は早めに潰しておきたくてね。後、我々の闘いの邪魔になるかと……まあでも、星剣を出してその程度の実力しか持っていないようなら、正直期待外れも良いところかな。邪魔者が居ようと居なかろうと関係なさそうなんで、折角なら今攫って行こうか……」
残念そうに首を振ると、月詠は一旦奏楽達から距離を取り、身体から力を抜くようにそのまま構えもなく立ち尽くした。
どうやら余程奏楽のことを舐めてかかっているらしい。
月詠が離れたことで、その圧から解放された蛍が今の内にと、慌てて近くに散乱している瓦礫の中を漁る。
蛍の行動に気付いた奏楽は、月詠に向かって困ったような笑みを浮かべた。
「??何故今笑うんだい?」
「あっはは……否〜、未熟な自覚はあるんですけど、そんなハッキリ面と向かって言われたのは初めてだったんで〜……恥ずかしい話、ボクまだ星剣を全く使いこなせないんですよね〜。君の言う通り、星剣を使ってたんじゃ全然思い通りに闘えません。だから……」
奏楽は苦笑から自信に満ちた笑みへと表情を変える。
「ソラ!!」
蛍が奏楽へ何かを投げ付けた。凄まじい勢いで奏楽の背に向かっているのは木の棒だ。恐らく破壊された家などの残骸の一つだろう。
奏楽は持っていた星剣をポイッと手放すと、一切後ろを振り返ることなく腕を背中に回して、蛍からの木の棒をしっかり受け取った。
……“龍木剣”
途端に、ただの瓦礫に過ぎなかった木の棒が龍の形を模した立派な剣へと姿を変える。
「ボクが今出せる全力で相手しますよ」
奏楽の発言に月詠も面白そうに笑った。




