“複合体”
落ちた腕と言えど、馬鹿力は健在なのか、ニャイチは拘束から逃れられず「ニャーニャー」と暴れている。
「ッ莉一ッ!!」
「ッ!!……」
左腕に意識を持っていかれてる間に926番が莉一へと接近していた。蛍の声に呼応するように、咄嗟に莉一がその場から飛び退く。次いでやってきた926番の攻撃の余波で少し煽られるが、擦り傷程度で済んだ。それでも毒の影響か、莉一の身体がグラリと傾く。
だが、莉一に構っている場合ではなかった。
「ッ!透殿ッ!!」
926番が透へ向かって駆け出していたのだ。透が臨戦体勢を取ろうとする。
……“水鏡壁”
透に突進がヒットするよりも先に、蛍の水鏡が926番を弾き返した。
そのまま水鏡の盾を透の周りに展開する蛍。
「透は解毒剤造りに集中しろ!」
「ッわかってるよ!」
透の安全確保ができたところで、蛍は改めて926番を観察した。水鏡に跳ね返された衝撃で、926番の腰が変な方向へ曲がっている。だが動きに支障が出ている様子はない。
「マジで何なんだよ……」
「チッ」と思いきり蛍が舌打ちを溢す。とそこで、莉一から「恐らくぅ」と声が上がった。
「アレは自然に生まれた亜人ではなく、誰かによって意図的に生み出された“複合体”でしょうなぁ」
「『キメラ』ぁあ?」
蛍が片眉を吊り上げる。
莉一は「えぇ」と頷くと、926番の動きに意識を向けながら、説明を始めた。
「複数の別の個体が混ざり合ったような星力の気配に、同じく既存の亜人の毒を混ぜ合わせたような毒……おまけに身体の特徴……四本腕に三つの首、しかも皮膚は鱗でできた部分もあれば、獣人のように毛深いところもある……フラッシュ状態でもないのに、自我がないところを見ると、どう考えても哀れな実験動物でしょうなぁ」
莉一が926番を見つめながら、目を細めた。
「……んなモン、何処のどいつが実験すんだよ」
迫って来た926番の蹴りを一つ躱してから、蛍が本日何度目かの舌打ちを打つ。それに対して莉一は「さぁ?」と嘲笑の笑みを浮かべた。
「できるできないは兎も角、興味がありそうな人達なら、今考えただけでも何人か居ますよぉ。うちの両親もそうですなぁ。まあ、あの方達なら実験体をこんな形で表に出して、むざむざ壊されるリスクを冒すなんてことしないんで、今回は別の人間でしょうけどぉ」
「それで、倒し方は?“複合体”の弱点は何かあんのかよ」
イライラしながら蛍が尋ねれば、莉一は肩を竦めて見せた。毒が回ってきたのか、立っていられなくなり地面に膝を着く。荒い息のまま、莉一は自虐的に笑った。
「わか、てたら……とっくに実行、してますわぁ。……わかって、るのは……ハァ……外傷に強く、いくらダメージを与えても……無駄、てこと……ですかねぇ……ハァ!ハァ!……」
莉一の様子に、蛍が透へと視線を向ける。まだ充分な量の解毒剤はできないようだ。
「ハァ……ッ!蛍殿ッ!!」
「ッ!?」
莉一の声に反応して、咄嗟に蛍が両腕をクロスさせながら後方へジャンプする。いつの間にか目前まで迫って来ていた926番が、ボロボロになっている右腕を蛍へ向けて振りかぶっていた。
毒で反応速度が鈍っている蛍は、コレをモロに喰らってしまうと、思いきり後ろへ吹き飛ばされる。
そのまま瓦礫に背中から直撃した。
次いで926番は莉一の元へと瞬く間に移動すると、膝を着いたままの莉一の身体に横蹴りを入れる。
「ッ〜!クソッ……!!」
悪態を吐きながら、蛍が瓦礫から起き上がる。擦り気や汚れは目立つものの、不思議と身体の何処からも出血はしていない。
しかし蛍の目の前には、低い呻き声を上げ続けている926番が立っていた。
マズイと思った時にはもう遅い。
926番が鋭い爪の切っ先を蛍の心臓目掛けて突き出していた。
……“水面鏡”
蛍がワンテンポ遅れて水鏡を張る。タイミングがズレた所為か、926番の突きを受けて水鏡の膜にヒビが入った。
ガードし切れない。この場から離れなければ心臓を貫かれて終いだ。
だがしかし、もう蛍の身体は麻痺して使い物にならなくなっていた。
万事休す。その時、透が「蛍!莉一!」と声高らかに叫んだ。
「ハァ!ハァ!……待たせたな」
肩を上下にしながらも透がニヤリと口角を上げる。
……“解毒液・霧状化”
途端に、透の身体を中心に淡い青緑色の霧が辺り一面を包み込んだ。
霧状の解毒剤は空気と一緒に、蛍達の身体に入り込んでくる。
「ウゥ……グァアアア!!!」
926番の咆哮が上がる。と同時に水鏡が壊された。
926番の爪が蛍の心臓を捉える。
「ッ!」
身体の痺れが取れた瞬間、蛍がその場から飛び退いた。
間一髪である。
926番から距離を取ると、自身の手の平を見つめながら、握り拳を作ったり解いたりを繰り返した。動きに支障はない。
毒の効果は完全に抜けたようだ。
莉一も同じらしい。
926番からのダメージで少しぎこちない動きながらも、問題なく蛍の隣まで移動してきた。それに透も続く。
「透殿、ありがとうございますぅ。間一髪でしたねぇ、蛍殿ぉ」
「ああ。これで相手の毒はもう効かねぇ。ようやくスタートラインだ」
「まあ、お陰で星力量残り僅かだけどな……それより莉一、怪我大丈夫かよ」
透が莉一へ視線を向ける。
926番の蹴りで容赦なく吹っ飛ばされた莉一は、当然だが額や腕から血を流していた。外傷も酷いが、この分だと身体の内側も相当の重傷を負っていることだろう。
莉一は「まぁ」と曖昧な返事をしながら、蛍の方へ意識を向ける。
「どちらかと言えば、出血一つしていない蛍殿の方が不思議ですけどねぇ」
莉一の指摘に、「言われてみれば」と透が蛍の全身を確認した。
「確かに……亜人のパンチはともかく、瓦礫に直撃したら、身体の何処かは出血するだろ」
「……防御の方は間に合わなかったけど、瓦礫の方は水鏡が張れたからな。直撃してねぇんだよ。つか、ソラの見てる前でそう簡単に血なんか流せるか」
「「??」」
莉一に同意する透に対して、蛍が告げれば、透と莉一は揃って首を傾げた。
だが、いつまでもお喋りをし続けている場合ではない。926番は深傷を負っているにも関わらず、未だピンピンしているのだ。
再び臨戦体勢を取り、926番を警戒する蛍達。しかし、異変に気が付いた。
「……何だ?」
「攻撃してこない……?」
蛍に続いて、透が口を開く。
926番は蛍への攻撃の後、全くその場から動いていなかった。「ヴゥ……」と苦しそうに呻き声を漏らしながら、身体を痙攣させている。
「……漸く攻撃が効いたのか?」
透が半信半疑な様子で呟く。それに対して、莉一が冷静に「否ぁ」と否定した。
「今更攻撃ダメージで動けなくなるような不良品じゃないでしょぉ。恐らくは……」
「お前の解毒剤が効いてんだろ」
莉一の声に被せて、蛍が告げた。
「タイミング的にも、あの化け物の反応的にも、透の解毒剤が効いてんのは間違いねぇ」
蛍が926番を見据える。
蛍達にとって解毒剤は薬だが、926番にとってはただの薬物……否、毒に近しいモノだ。何せ、自身の身体の一部を溶かされているのと同義だ。
とそこで、蛍は先程の莉一の言葉を思い出した。
……『外傷に強く、いくらダメージを与えても無駄』
つまりは、身体の内側からのダメージなら効く可能性があるということである。
「透、まだ解毒剤出せるか?」
「は?否、もう充分空気中に充満してんだろ?まだ要るのか?」
「違ぇよ。良いから、出せるのか出せねぇのかさっさと答えろ」
到底人に質問している態度には思えない程、高圧的な口調で喋る蛍。透は額に青筋を立てながらも、「手の平サイズの解毒液なら、後一回分は出せる」と素直に答えた。
それを聞いて、蛍はニヤリと口角を上げる。
「よし、なら今すぐ作れ。そんで、できた解毒剤を直接アイツの体内に流し込む」
「「!!」」
蛍の考えがわかったらしい。莉一と透も口元に弧を描いた。
「なるほどですわぁ。要は“毒抜き”ですねぇ」
“毒抜き”……有毒生物から毒素だけを抜く技で、毒素を抜かれた生物はしばらくの間身体が麻痺して動けなくなる。亜人の身体から毒抜きをする為には、亜人の身体の構造を熟知している必要がある為、ちょっとの知識技術でできるものではない。当然蛍や莉一、透にそれ程の知識や技術はないが、それでも異能を使えば話は別だ。
透の異能は言わば“毒消し”。体内から毒素を抜き取るのではなく、体内の毒素を全て消すのだ。
有害物質と言えど、身体の一部。それを急に消されれば、必ず身体に支障を来たす。毒抜きが効果的なのは、現在透の“解毒霧”を吸って、苦しんでいる926番を見れば一目瞭然。
「星力量はギリギリだけど……それしかねぇか、あの化け物を倒す為には」
透が一つ深く息を吐いた。表情を引き締め直すと、自身の異能に集中する。
……“解毒調合”
再び解毒造り開始だ。
とそこで、解毒霧にも慣れてきたのか、926番が荒い息のまま蛍達を睨み付ける。まだまだ戦意は失われていないらしい。
蛍と莉一はそれぞれ透を庇うように前に立ち、構えを取った。
「さあ、最終ラウンドと行こうか」




