化け物
「グ……ォオオオオォオオオ!!!」
凄まじい雄叫びに、一陣の風が吹き抜ける。砂埃が舞う中、蛍達三人はそれぞれ926番を見据えた。
……“水鏡篭”
蛍が印を結ぶ。
すると蛍達と926番を囲むように、巨大な直方体の水鏡が現れた。
「これで、少なくとも一般人への被害はねぇだろ」
「便利な異能ですねぇ」
「……来るぞ」
透が告げるのと、926番が蛍達の目の前まで移動してくるのは同時だった。咄嗟にその場から飛び退く蛍達。
「デカブツの割には速ぇな」
「ですねぇ……さて、強度はどれくらいですか……」
蛍の発言に頷きながら、莉一が氷結銃を取り出し、標準を926番に当てる。そして躊躇なく引き金を引いた。
乾いた音が響き、その直後には獣のような呻き声。
「うっわ……凄いな、莉一の銃」
透が感嘆の声を漏らす。
莉一の銃弾は見事、926番の二本の左腕の内一本を氷漬けにしていた。一気に氷結した為か、そこから皸が入り、926番の左腕一本が呆気なく胴体からボトリと落ちる。
これには撃った本人である莉一も驚いた。
「……通常の亜人より脆い?……」
訝しむ莉一だが、身体が弱いことは朗報である。
チャンスとばかりに、蛍と透が同時に飛び出した。二人共身体を捻り、蹴りのモーションへと入る……がしかし。
「「ッ!?」」
「ウオッ!」
「グアッ!」
突然目の前から926番が消えたかと思うと、目にも止まらぬスピードで二人の背後へ回り込み、横腹に回し蹴りを入れられてしまったのだ。
少々飛ばされながらも、空中で体勢を整えた二人は、そのまま回転しながら地面に着地する。しかしダメージが大きかったのか、蛍も透も蹴られた箇所を片手で押さえ、地面に膝を付いた。
「ッ〜!……速!んだよ、今の攻撃!?」
「防御が低い代わりに、スピードとパワーに全振りしてんのか?」
それぞれ感想を溢すが、すぐさま926番からの追撃が来る。蛍が立ち上がる前に、蛍の目前に926番が拳を突き出していた。
咄嗟に両腕をクロスさせて、顔面を守ろうと構える蛍。がしかし、両腕に衝撃は来ず、その代わり「ニャー」と言う場違いな鳴き声が鼓膜を震わせた。
「ニャイチ!?」
蛍が目を見開く。
ニャイチが926番の身体を突進で吹き飛ばしていたのだ。
スタッとスマートに着地したニャイチはドヤッと、蛍に向けて胸を張る。何となく馬鹿にされた気がして額に青筋を立てた蛍だが、構わず莉一に視線を向けた。
「いつの間にニャイチなんか持って来てたんだよ」
「最初からですわぁ。外出する時は連れて行けって煩いんですよぉ。前に言ったでしょぉ?」
莉一からの切り返しに、「あー、確かそんなこと言ってたな」と記憶を辿る蛍。
「おい!んなこと言ってる場合か!?アレ見ろ!!」
慌てた透の声に、蛍と莉一が揃って振り返る。
透の指差した先、どてっ腹に穴の空いた926番が立っていた。恐らくは先程ニャイチに突進された時にできた傷だろう。
図らずも大ダメージを与えたみたいだが問題はそこじゃない。
「おいおい。腹に穴空いてんのに、何で立ってんだよ」
蛍が思いきり顔を顰める。
確かに亜人の肉体は貴人や凡人よりも遥かに強固で、老いて弱ることもない。それでも不死ではないのだ。大量に貴人を食わないでもしない限り、大怪我を負えば人間同様死ぬ筈である。
その疑念が蛍達に隙を作った。
「ッ!!グッ……ゥア!!」
「莉一!!……ッ!!」
瞬く間に莉一へと接近した926番の棍棒のような腕が、莉一を真横へ払い飛ばした。次の瞬間、926番は透へと三本の腕を振り上げる。
……“水面鏡”
透の脳天に攻撃が直撃するという所で、蛍の水鏡が攻撃から透を守った。すぐさまその場から透が移動する。蛍がパチンと指を鳴らせば、926番の衝撃を水鏡が反射した。
「グォオオオオ!!!」
亜人の咆哮が上がる。反射により自慢の腕すらボロボロになっていた。ダメージも決定打も与えている。にも関わらず、倒れる気配がない。
蛍が一つ舌打ちを溢した……その時である。
「ッ!?」
グラリと蛍の身体が傾いた。足に力を入れ踏ん張るが、段々と呼吸が荒くなっていくことに蛍は気が付いた。
……まさか……。
バッと蛍が莉一へ顔を向ける。莉一も同じように片手で頭を押さえながら、フラフラと自身の身体を支えていた。
「透!解毒剤だ!解毒剤を辺りにばら撒け!!」
蛍が叫んだ。透もハッと気付く。
どうやらここら周辺に926番の毒が漂っていたらしい。透に効果はないが、蛍と莉一には致命的である。
すぐに解毒剤を作りたいところだが、しかし問題があった。
「いきなりすぐは無理だ!!周辺全域にってなったら、五分は掛かる!その間、どうすんだよ!?」
要は五分間、誰が敵を引きつけておくかという話である。
蛍と莉一は毒により、身体能力が低下している。そもそも毒に侵されている状況で、動き回るのは危険だろう。透は毒によるデバフはないが、まだ自身の異能をコントロールできるようになって日が浅い。戦闘をしながら、解毒剤を作るにはまだまだ技術が足りなかった。当然奏楽による手助けも無し。
だが戦える奴は蛍達三人の他にもまだ居た。
「莉一!ニャイチ、囮に使うぞ!良いな!?」
蛍が莉一へ視線を送る。莉一もそのつもりだったのか、「えぇ」と口角を上げた。
「構いませんよぉ。ちょっとやそっとじゃ、怪我一つできませんしぃ……ニャイチ、頼みましたよぉ」
「ニャー!」
莉一の合図でニャイチが再び926番の前に飛び出した。と同時に、透も自身の異能へ集中する。
……“解毒調合”
後はニャイチが五分間、926番の攻撃に耐えてくれれば良い。
だがしかし、そんな甘い相手ではなかった。
「ニャー!?」
「ッニャイチ!」
莉一が焦った声を上げる。
ニャイチの身体が見覚えのある腕に掴まれ、動きを止められていた。
「っな!?」
「はぁあ!?」
莉一と透が驚愕に満ちた声を漏らす。蛍も心底ふざけんなと言いたげな顔で「おいおい」と低い声を溢した。
「何なんだよ、あの化け物は……」
蛍達の目線の先。ニャイチを掴んでいる腕は紛れもなく926番の腕だった。それも莉一の氷結銃によって氷漬けになり、そのまま身体から千切れた筈の左腕だ。
落ちた左腕が腕だけで宙に浮かび、ニャイチを掴み上げていたのだ。




