誘拐
「……すごい……すっごく楽になった!!」
血星の点滴が終わった後、打って変わって顔色が戻った優里亜が満面の笑みで奏楽に告げる。
「良かったです。これでしばらくは大丈夫ですよ」
優里亜の笑顔を見て、奏楽もまた嬉しそうに笑った。
しかし、侮りがたし子供の目。優里亜は奏楽の顔を見て、少しだけ表情を曇らせた。
「……医者?大丈夫?何か苦しそう……」
優里亜が心配の眼差しを奏楽に向ける。それも仕方ないことだろう。
現在奏楽の顔色は、青白いを通り越して真っ白になっていた。
だがそれだけである。別に汗が酷かったり、身体が震えたりしているわけではない。
奏楽は一つニコリと笑った。
「そんなことないですよ〜。元気いっぱいです!……じゃあボクはこれで帰りますけど、午後の検査も頑張ってくださいね、優里亜ちゃん」
「う、うん……医者、ありがとう!!」
「いえいえ〜、どういたしまして〜」
「じゃあ、また今度」と手を振って、奏楽は優里亜の病室から出ていった。
「奏楽様、大丈夫ですか?点滴や輸血の準備などもございますが……」
すぐ側で控えていたナースが、廊下に出てすぐ、奏楽に声をかける。それを奏楽は笑って断った。
「大丈夫ですよ。少し仮眠室で休憩したら、すぐに帰ります。帰りに寄りたいところがあるんで、車は大丈夫ですよ。後、もう仕事に戻ってもらって大丈夫なんで、どうもありがとうございました」
「……そう、でごさいますか……」
少し後ろ髪を引かれながらも、奏楽の言う通り、ナースはその場を離れた。
「…………」
完全に誰の姿も周りにいなくなったところで、奏楽は膝から崩れ落ちた。
「ハァ!……ハァ!……ハァ!……」
額から汗が滲み出し、身体は小刻みに震えている。
ずっと我慢していたのだ。
……星、力が、操れ、ないのって、不便で、すね……身、体に、力が、入らな……。
いつここに人が来るかわからない。
早く人目のないところまで行きたいと思うが、残念なことに足が震えて立つことすらままならない。
「……ハァ!……ハァ!……こ、れは……ほたちゃ、には……絶、対に、秘密で、すね……ハァ!……ハァ!……」
「誰に何を秘密にするって?」
「ッ!」
この場で聞こえる筈のない声に、驚いて奏楽が振り返ろうとする。だがその前に、蛍が奏楽の目の前に回り込んで視線を合わせるように膝を折るのが先だった。
「……ほ、ほたちゃ……ハァ……ハァ……」
何故蛍がここに居るのかわからず、奏楽は疑問符を頭に浮かべる。そんな奏楽の心の声が聞こえたのか、蛍は呆れたように溜め息を吐きながら、ガシガシと頭を掻いた。
「どうせまた碌でもねぇことしでかすんじゃねぇかと思ってな。梨瀬さんに社会勉強だ何だ言い訳して、咲良病院に行く許可貰って来たんだよ。丁度土萌の人間が入院してるみたいだから、そいつの見舞いに来たってことにしてな……」
そこで言葉を区切ると、蛍は奏楽の瞳を真っ直ぐ見つめた。有無をも言わさぬ無言の圧に、奏楽はビクッと肩を震わせる。
「はぁ……予感的中かよ……こんなことなら、最初からソラに付いて行けば良かった……」
「ハァ……ハァ……ほ、ほたちゃ……」
溜め息混じりに告げる蛍に、奏楽が恐る恐る声を掛ける。その目は、今から親に怒られるのを怯えている子供のように、不安で揺れていた。
蛍はもう一度溜め息を大袈裟に吐くと、ソッと奏楽の左頬に自身の右手を添えた。
「言い訳聞くのも説教するのも後だ。とにかく莉一ん家戻るぞ」
「……え……」
「弱ってる姿、誰にも見せたくねぇんだろ?見られねぇように運んでやるから、ソラは身体を休めることだけ考えてろ」
言うが早いか、蛍は驚きで言葉も出ていない奏楽を姫抱きにすると、星力反応を探ることに集中した。咲良病院に居るのは、貴人の患者か体内に亜人の星力を宿す凡人の患者、後は春桜家出身の医者や看護師達だけである。つまり、星力反応で居場所がわかる者達しか居ないということだ。
「ソラ、ちょっと揺れるが平気か?」
滅多にない程優しい声色で尋ねる蛍に、奏楽はコクンと一つ頷いた。
その顔色は一段と悪くなっているように見える。どうやら、もう声を出すのもキツいらしい。
……こりゃ、想像以上にヤバいな。クソッ!もっと早く来てれば……。
蛍の頬に一筋汗が流れ落ちる。
しかし後悔してる場合でもない。
キリッと表情を変えた蛍は、できる限り奏楽に振動が行かないよう気を付けながら、急ぎ足で人目のない道を走って行った。
* * *
蛍が奏楽を抱いて、咲良病院を出てから十分後。
病院近くの廃ビルの屋上から、ジッと咲良病院を見つめている人影が居た。
「……あそこの病室か……」
人影はニヤリと笑うと、瞬きの間に屋上から消えた。
* * *
「クッソ!あいつら、絶対に許さねぇ!!」
ダンッと大きな音が、広く感じるようになった部屋に響く。
苛立ちを露わにしながら、透が自室の勉強机を叩いていた。十八人の亜人が居なくなった部屋は先の異常さが殆ど消え、今は普通の部屋と言って差し支えない様子である。
にも関わらず、透の心情は怒り一色であった。勿論怒りの矛先は昨日の奏楽達三人である。
「また新しく亜人を捕まえてくるか……クソッ!早く優里亜を治してやりたいのにッ……」
ギリッと奥歯を噛み締める。
ギュッと閉じた瞼の裏に焼き付いているのは、優里亜の笑った表情だ。
……亜人なんかを庇うような奴らなんかに任せられるか!優里亜は俺が絶対に助けてやるんだ!
目を開き、覚悟を決めた表情を浮かべる透。
その時、カーテンを閉め切った窓から、カタンと音が鳴った。
「?……」
不思議に思った透が、窓へと視線を向けるとカーテンに黒い影が映っていた。
窓に近付き、カーテンを開ける透。外に居たのは、一匹のコウモリだった。
「……コウモリ?……ッ!!」
首を傾げたのも束の間。コウモリから突然発せられた莫大な星力を感じ取り、透は無意識に身体を強張らせた。
「初めまして、七海透さん」
「っな、何で俺の名前……」
コウモリの姿のまま人語を話す相手に、透は袖の裏に仕込んであるナイフを手にする。
星力を持ち、コウモリの姿になれるモノなど亜人しかいない。
警戒心と敵意を剥き出しにしている透だが、対するコウモリに変した亜人は、天気の話をするかのような自然な口調で次の台詞を言った。
「貴方の妹……優里亜さんを誘拐しました」
「ッな!!?」
「無事に返して欲しければ、一人で〇〇町の廃工場に来てください。では」
「ッおい、待てッ!!」
飛び去ろうとする亜人に、慌てて手に持っていたナイフを投げつける透だが、亜人はそれをヒラリと躱すと、アッサリと空の彼方へ飛んで行ってしまった。
その姿が確認できなくなるまで空を見つめていた透は、固く拳を握り締めると、思いきり窓枠に拳を振り下ろした。
「クソッ!!」




