お守り
借金取りから逃げ回ること三十分。小さな川に架かった橋の上で二人はようやく足を止めた。
体力は無駄にある為息切れこそしてないものの、蛍はどっと疲れが押し寄せて来るのを感じた。対して奏楽はケロッとしている。
「あー……朝からマジで疲れ……うおっ!?」
「ほたちゃん!?」
少し休憩と言わんばかりに蛍が橋にもたれ掛かると、元々老朽化が進んでいたのか何なのか、蛍が体重をかけた部分から亀裂が走り、橋の一部分が崩れてしまった。当然蛍は真っ逆さまに落ちていき、蛍に腕を掴まれていた奏楽も一緒に川の中へドボンだ。
不幸中の幸いは、二人共橋から落ちたくらいじゃ傷一つ付かない程強いということだろう。
「はぁー……ソラ、大丈夫か?」
川から上がった蛍は自身の不運さに呆れながら、同じくずぶ濡れになっている奏楽の顔を覗き込む。
陶器のような白い肌をした奏楽の頬に手を添えて、蛍がその青い瞳を見つめると、心配しているように眉を下げた自分の顔が奏楽の眼に映っているのが見えた。
「大丈夫ですよ〜。ほたちゃんこそ、どこか怪我してないですか?」
言葉通り全然平気そうな奏楽が小首を傾げる。当然だが、どうやらどこも怪我しなかったようだ。
そのことに安堵しつつ、蛍は「大丈夫に決まってんだろ」と優しい眼差しを奏楽に向けた。奏楽も安心したのか、フッと微笑む。
「「…………」」
少しの沈黙。互いに互いを瞬きせず見つめ合っていると、奏楽が突然吹き出した。
「フッ……アハハ!本当にほたちゃんの不幸体質は呪いレベルですね〜!お祓いした方が良いですよ〜?」
「うるせぇよ!」
人の不幸を笑うなと蛍が声を荒げるが、別に蛍は怒っていない。
こうして奏楽が笑い飛ばしてくれることで、蛍には散々な人生が少しはマシなものに思えてくるのだ。
そのことをしっかりと理解している奏楽は笑うことを止めようとしない。楽しそうにカラカラと笑う奏楽の表情を、蛍は魅入るように見つめていた。
しばらく笑っていると、奏楽は何か思い出したのか「あ、そうでした〜」とびしょ濡れになった通学鞄の中を漁り始める。
「?」
「少し濡れちゃいましたけど……はい!誕生日プレゼントです」
そう言って蛍に渡されたのは、小さなリングケースだ。透明なガラスケースは光を反射させ、キラキラと光っている。中には、薔薇に囲われた小さなリングが一つ。
シルバー素材で出来たソレはシンプルなデザインをしており、中央には青緑色の宝石が一粒埋め込まれていた。
「……指輪か?やけに小せぇけど……」
ケースの蓋を開け、ソッとリングを取り出した蛍が不思議そうに首を傾げる。そんな蛍の様子を見てクスッと笑うと、奏楽は「いいえ〜」と首を横に振った。
「これはリングピアスですよ〜。指じゃなくて、耳に付けるやつですね〜」
「へぇ……ソラがアクセサリーって、何か意外だな」
興味深そうにピアスを日光に透かしながら見つめる蛍。宝石の淡い青緑色の光が、蛍の顔を照らしていた。
確かに蛍の言う通り、奏楽がアクセサリーを選ぶのは非常に珍しいことだ。普段ファッションに微塵も興味がない奏楽は装飾品の一つも身につけたことがない。
だが別に、奏楽はファッションとしてピアスを蛍に贈ったわけではなかった。
「深い意味はあんまりないですけど……お守りですよ」
「お守り?」
蛍が聞き返すと、奏楽は「そうです〜」とフワフワ頷く。
「ほたちゃんの不幸体質が〜少しでもマシになるようにっていうお守りです〜」
そう言った奏楽の口元が悪戯っぽく上げられるのを蛍は見逃さなかった。言葉の節々から、蛍を揶揄っているのが読み取れる。
蛍は額に青筋を立てると、無言で奏楽の頬を片方つねった。
「いひゃいれひゅ〜」
「痛くしてんだよ!!」
そうは言いつつも、蛍はすぐに奏楽から手を離した。そして少し赤くなった奏楽の右頬にソッと触れる。
何だかんだ言って、蛍は奏楽に激甘なのだ。当然奏楽も、蛍が本気で怒るわけないと思って揶揄っている。
「まあ冗談は置いといて……ほたちゃんを守ってくれるようにっていう願いは本気ですよ?ピアスは昔から魔除けに付けられてたみたいですしね〜」
「へぇー、魔除けねぇ……あぁ、だからお前の色入れてんのか?」
蛍がリングの中央で煌めく宝石を撫でる。淡い青緑色は奏楽の髪の色と同じだった。
蛍にとってはこれ以上ない程の“魔除け”だろう。
奏楽が居るだけで、自身の不幸がなくなっていく気さえするのだから。
「まあ、それもありますけど……この宝石“アレキサンドライト”っていう名前なんですけど、知ってますか?」
「俺が宝石なんて知ってる訳ねぇだろ?」
蛍が答えれば、奏楽がクスクス笑う。別にこれは馬鹿にしている訳じゃない。
奏楽は蛍の手からリングを取ると、非常用に持ち歩いているペンライトの光を宝石へと当てた。
すると……。
「!……赤になった……?」
蛍が目を見開く。その反応に満足した奏楽は「不思議ですよね〜」と微笑んだ。
「このアレキサンドライトって、受ける光によって色の見え方が変わるんですよ〜。この赤はほたちゃんの色でしょ?なんかピッタリだな〜って思ったんで、この宝石選んだんですよね〜」
「………綺麗だな」
思わずと言った様子で溢れた言葉は非常にシンプルな感想だった。
「気に入りました?」
「ああ。付けてくれよ、ソラ」
笑顔を返すと、蛍は奏楽に左耳を向けた。「もちろん」と快諾した奏楽は手に持っていたピアスを、そのまま蛍の耳たぶに刺し込んでいく。元々穴は開いてるので、痛みはない。
付け終わると、蛍の左耳で奏楽の色をした宝石が優しい光を放っていた。
「付けましたよ〜。やっぱり似合ってますね。カッコいいですよ〜、ほたちゃん」
「おう、ありがとな」
嬉しそうにはにかんだ蛍は素直に奏楽の賛辞を受け入れる。そして熱の篭った眼差しで奏楽を見つめた。ついつい奏楽の顎を持ち上げると、そのままキスしてしまう。
一度口付けを交わしてしまったら、そう簡単には止まれない。蛍はしばらく触れるだけのキスを繰り返した。
奏楽は蛍のキスを拒絶することなく受け入れながら「ほたちゃん、本気で学校遅刻しちゃいますよ〜」とフワフワ告げる。
固まった蛍。学校のことが頭から抜け落ちていたらしい。
一瞬の沈黙の後、蛍はすぐさま奏楽の手を繋いで走り出した。
「何でもっと先に言わねぇんだよ!!?」
「何かほたちゃん、幸せそうだったんで〜」
「おう、お陰で最悪の誕生日が最高になったよ!ありがとな!」
「どういたしまして〜」
凄まじい勢いで道を駆け抜けていく二人。
最悪から最高へと変わった蛍の誕生日は、まだまだ始まったばっかりだった。