異常な部屋
「……な、何だコレ…………」
珍しく蛍が引き攣った声を上げる。
家に入ってすぐにある居間の隣。恐らくは透の自室であろう部屋の引き戸を開けて見えた光景に、蛍は思わず立ち尽くした。その一歩後ろでは、莉一も同じように顔を引き攣らせている。
部屋の中心に置かれた机。その上には学校の理科室でしか見たことのない実験器具や注射器、乱雑に広がった紙が置かれてある。完全に閉められた窓には、一筋の光も入ってこれない程、厳重にカーテンが閉じてあり、外から中の様子が見れないようになっていた。ここまでなら変わった奴の住む部屋という軽い認識だけで済むだろう。問題なのは、部屋の壁一面に沿うように、十八人という数の人が天井から縄で吊し上げられ、グッタリと気を失っていることだった。
「……全員亜人だな」
「えぇ。それも、全て毒を持ってる種族ですねぇ」
蛍の呟きに莉一が頷く。
吊るされているのは十八人全員、種は違えど毒持ちの亜人だった。その上、亜人達の腕や首筋、至る所に注射痕が残っている。
「……想像以上にヤバい奴かもな」
「ですねぇ……」
あまりに現実離れした状況に、ドン引いた声を出す蛍と莉一だが、先に部屋に入っていた奏楽は部屋の異常さには興味がないのか、吊るされている亜人達の状態を何を考えているのかわからない表情で確認していた。
「…………」
「?ソラ、どうかしたか?」
難しい表情をして一言も喋らない奏楽を不思議に思いながら、蛍が奏楽の側に近寄って同じく亜人の様子を見る。
頬に鱗の浮かんでいる男の亜人は酷く血の気の引いた様子で、死んでいるかのように固く目を閉ざしており、時折身体をピクピクッと痙攣させていた。何かの中毒症状にも見えるが、それよりも近くに来てよりわかるのが、亜人の星力量が枯渇寸前に陥っているということだ。他の亜人も様々な症状が出ているが、皆一様にに星力量枯渇による危篤状態にあることがわかる。
「かなりヤバい状態だな。どうすんだ?ソラ……ソラ?」
話しかけても奏楽から返事はない。
不思議に思った蛍は奏楽の方へと顔を向ける。奏楽は男の亜人に目を向けたまま固まっていた。
仕方なく蛍が奏楽の目の前に回り込んで、「ソラ」と両肩を掴んで揺らす。すると、奏楽はハッと我に帰ったようで「ほたちゃん」と静かに蛍の名を呼んだ。そのあまりに抑揚のない声に違和感を感じるも、蛍は努めて何でもないように「どうした?ソラ」と奏楽に尋ねた。
「七海透さんに聞きたいことが増えました。後……」
そこで一旦言葉を切ると、奏楽はいつになく冷えた眼差しで蛍を見据えた。自身の感情を一切排除したかのような瞳に、蛍は内心気圧される。いつもフワフワと笑っているからこそ、奏楽の感情を映さない面立ちは自然と相手の身体を強張らせる。
……久しぶりに見たな。ソラのこの感じ……。
冷や汗が頬を伝うのを感じながら、蛍が心の中で声を漏らす。そんな蛍の心情など知らずに、奏楽は淡々と口を開いた。
「ほたちゃんには悪いんですけど、一刻を争う状態なんで……今からボクの血をこの人達全員に与えます」
「…………は…………はぁあ!!?」
* * *
部屋の異常さにも慣れてしまった莉一が、机近くに置かれてあった座布団の上で溜め息を溢す。傍らで気絶している透の様子を時折確認しながら、はっきりと呆れた目で奏楽と蛍の二人を見つめていた。
奏楽による「自分の血を亜人十八人に与える宣言」から約五分。
奏楽と蛍は互いに一歩も引くことなく討論を続けていた。否、討論ではなかった。ただただ五分間、蛍が怒りのまま奏楽に怒鳴り散らし、それを奏楽が軽くあしらっているだけだ。しかしお互い折れる気配は微塵もない。
「ふざけんな!!絶対に許さねぇぞ!!見ず知らずの!それも亜人なんかの為に!ソラの血をくれてやるなんて、死んでも御免だ!!」
「でも、そうでもしないと、この人達の少なくとも半数が今日中に死んじゃうんですよ?」
「んなこと知るか!!俺はソラが自分の身を犠牲にする方が耐えられねぇよ!!大体何でわざわざソラの血を使う必要があるんだ!?貴人の血が必要なら七海透の血使えば良いだろ!!」
「それだと量が足りないんですよ。ほたちゃんも知ってるでしょ?」
貴人の血……それは亜人にとっては何にも勝る薬であった。
亜人が凡人や貴人の血肉を食らうのは、何もタンパク質やビタミンなどの栄養を補給する為ではない。人間の体内に刻み込まれている星力を直接摂取して、自身の星力量を回復する為である。
主に異能を発動する為の動力として星力を認識している貴人と違い、亜人にとって星力とは直接命に関わるその名の通り生命線だった。自身の星力が完全に枯渇した時、亜人の命は終わる。逆に言えば、星力が尽きない限り、亜人に寿命というものは無い。
フラッシュ状態という、亜人の体内にある星力量が著しく枯渇した時になる暴走状態も、生きる為に本能が取っている手段の一つに過ぎない。だからこそ、星力を手っ取り早く回復しようと、一番近くに居る最も星力量を持った貴人を襲おうとするのだ。
つまり、星力量枯渇で死にかけの亜人を助けたい場合は、貴人の血を……それもできるだけ星力量が多い貴人の血を与えてやるのが一番効果的というわけだ。まあ一番効果的なのは、血だけでなく身体全体を食わせてやることだが……。
問題なのは、この亜人十八人全員を助けたい場合、必要になる貴人の血液は一般の貴人約十人分にもなるということである。これはあくまで一時凌ぎに必要な分であるので、亜人達を全快させようとすれば必要数はその三倍以上にもなるだろう。種を蒔いた張本人である透一人だけでは、全く血の量も星力量も足りないということだ。
しかし北斗七星だけは別であった。
星力量が一般の貴人と桁が違うというだけはない。星力の質が非常に高いのだ。
十八人だろうと三十人だろうと、北斗七星の血であれば、注射器一個分あれば全員救える。
だからこそ、奏楽は自身の血を亜人達に与えると言っているのだが、蛍は首を縦に振ろうとはしない。
「何でわざわざお前が血を出さなきゃならねぇんだよ!!ソラの身を削るくらいなら、コイツら全員見殺しにした方がマシだ!!」
蛍が叫ぶ。
たった注射器一個分の血液で大袈裟だと思うが、蛍の言い分も間違いではなかった。何せ亜人に手を貸すことは誰であろうと重罪だ。
わざわざ罪を背負ってまで、奏楽が血をあげる必要性は蛍の言う通り皆無である。
まあ、蛍は罪の有無など知ったことではない。ただ奏楽の一部を自分以外の奴にあげるのが心底嫌なだけである。
勿論蛍の心情を把握している奏楽は、コレに一つだけ小さく溜め息を吐くと、己の纒う空気を変え「ほたちゃん」と無意識に蛍を威圧した。
「……申し訳ないんですけど……ボクはコレを許せません!」
「ッ!!」
思わず蛍が押し黙った。
奏楽の声や瞳にハッキリと怒気が滲んでいる。奏楽が怒りを露わにするのは滅多にないことだ。
つまり、それだけこの状況に怒っているということである。
……あのソラが本気で怒ってやがる……。
初めて見たわけではないが、蛍は先程までの苛つきも吹き飛んで、ただただ感心していた。
一時間にも感じられる十秒が経つ。
蛍は大袈裟なまでに大きく息を吐いた。
「わかった。やれよ。ただし!血を出した後、ちゃんと手当てしろよ!!血をやるのは、ソラの手当てが終わった後だ!!」
ビシッと人差し指を奏楽に突き付ける蛍。結局蛍が折れたのであった。
それに対して、少しいつも通りのふわふわした雰囲気に戻った奏楽はニコッと柔らかく微笑む。
「ありがとうございます、ほたちゃん」
「次はねぇからな!」
「考えときます」
「次はねぇっつってんだろ!!」
ギャーギャーと騒ぐ蛍をスルーして、奏楽は早速作業に取り掛かった。まず自身の爪で左手首を切りつけ血を出すと、その場にあった乾かし中の試験管に何ミリリットルか入れる。その中に血の量の約十倍水を入れ軽く混ぜた。後はコレを注射器に入れ、亜人の腕に直接打てば良いだけである。
その前に机の上に置かれてある全ての注射器を煮沸消毒した。
「莉一くんも注射器使えますよね?手伝ってください」
「ちょっと待て!先に手当てしろっつっただろ!!莉一、包帯持ってこい!」
「……つくづく騒がしい人達ですなぁ……」
そうして、約十分後。何やかんやありながらも、亜人達の応急処置が終わったのであった。




