最悪の朝
「……ソラ………」
蛍が呟くと、奏楽は老若男女が見惚れる微笑みを蛍へ向けた。そして……。
「ほたちゃん、お誕生日おめでとうございます!」
「……お、おう……ありがとう?……………」
全く状況を理解していないのか何なのか、緊迫した空気を無視して誕生日を祝う奏楽に、蛍が疑問符を浮かべながら礼を告げる。
……否否否、今は誕生日どころじゃねぇんだが?
言葉に出す気にもなれず、心の中だけで蛍はツッコんだ。
相変わらず、超の付く程マイペースな奴だ。
「それより、ほたちゃん。この人達、誰ですか〜?」
……今それかよ……。
我が道行く奏楽に蛍が溜め息を吐くと、今までポカンとしていた男二人がハッとしたように再び声を荒げ始めた。
「て、テメェ、突然誰だ!!?今俺達はこのガキから借金取り立ててんだよ!!」
「邪魔するってんなら、痛い目遭わすぞ!!!」
「!!ッ!!」
奏楽に牙を向けるような男の発言に、蛍の中で何かが切れる。
蛍一人が理不尽な借金取り立てに付き合わされるだけなら別に良いが、その腐った矛先が奏楽に向けられたとなると話は別だ。
殺意にも似た怒気が身体中を駆け巡り、蛍は足に力を入れる。
とそこで、奏楽が口を開いた。
「え……ほたちゃん、まさか……到頭借金に手を出す程お金に執着するダメ人間になっちゃったんですか!?」
「は!?」
今正に男二人の首に回し蹴りを喰らわせようとしていた蛍は、奏楽の突拍子もない言葉に毒気を抜かれてしまう。
そんな蛍の心情など知らない奏楽は構わず続けた。
「うぅ……幼少期の環境の所為で自分以外の人間を全く信用できなくなっちゃうし、その反動で唯一の心の拠り所はお金になっちゃうしで、ずっと心配してきましたけど……まさか借金に手を出すような人間になっちゃうなんて……」
悲壮感たっぷりに奏楽が目元を拭う。別に涙は出ていない。ただの嘘泣きだ。というか、ただの茶番だ。
奏楽が本気で言ってるわけではないと蛍にはわかっているが、それを差し引いても失礼極まりない発言である。
「んなわけねぇだろ!!いくら金に困ってるからってこんな奴らの汚れた金なんざに手ぇ出すか!!」
「じゃあほたちゃん、借金の保証人になったんですか?天変地異の前触れですか?」
「テメェは俺を何だと思ってんだよ!!?」
「“人間不信拗らせちゃった守銭奴”?」
間髪入れずに答えた奏楽の瞳の何と純粋なことだろう。
残念なことに全くもってその通りな為、蛍は反論しない。
むしろ蛍だって、自分が善意で誰かの借金保証人になったりしていたら正気を疑う。他人を信じることにデメリットは多数あれど、メリットは一つもないのだ。金にさえならないことに手を貸す慈悲の心など、蛍は到底持ち合わせていなかった。
そんな蛍の性格をよくわかっている奏楽だからこそ、この失礼な発言が許されるのだ。まあ蛍にとっては悪口にさえ聞こえていないが。
「それで〜?誰の借金なんですか〜?ほたちゃんのじゃないんでしょ?」
奏楽がこてんと首を傾げる。蛍は溜め息を吐きながら口を開いた。
「俺の両親のだとよ。一千万に利子つけて一億円」
「…………」
蛍の言葉を受けて、目を見開いて固まる奏楽。
普通の常識人なら妥当な反応だが、奏楽にしては珍しい反応だ。蛍が地味に驚いていると、やはり予想通り一呼吸置いて奏楽は笑い出した。
「あはは!生まれて初めての両親からの誕生日プレゼントが多額の借金だなんて、笑い話にもならないですね〜」
「うるせぇよ!俺も同じこと考えてたわ!」
ズレた感想を溢す奏楽に蛍がツッコむ。
笑えないと言っておきながら、思いきり笑っているのはどこの誰だろう。
「おい!!いい加減にしろ!!さっさと金払うか、大人しく俺達に付いて来るか選べや!!ゴラァ!!」
黙って蛍と奏楽のやりとりを聞いていた男二人が我慢の限界と言わんばかりに吠え散らす。むしろよく待った方だろう。
そんな男の脅し文句に微塵もビビることのない二人は、涼しい表情で互いに肩を竦めて見せた。
もう飽きたから、さっさとこいつらを片付けようという訳だ。
基本的に何をするにしてもダメダメな蛍だが、奏楽に火の粉が降りかかるとなると一味違う。
蛍は頭に血が上っている男二人の内、契約書を握っている男の方に突進した。先程のようにバランスを崩して転けたのではない。
まだ高校一年生といえど、身体はもう大人だ。勢いに負けてよろけた男の隙を突いて、蛍は奏楽の隣へと駆けた。
「おい!何やってんだ!?さっさと立て!!……何しやがんだ!!?クソガキ!!」
「まあそう騒ぐんじゃねぇよ」
そう言って蛍は右手に掴んだものを二人に見せつけるように前へ突き出す。その白い物体は風によってヒラヒラと靡いていた。
「「ま、まさか……!」」
男達の目の色が変わる。
どうやらその紙の正体がわかったらしい。
蛍はニヤリと笑うと、男から奪った契約書を両手に持ち替えた。
「お、おい!待て!!」
「悪ぃな。俺は守銭奴なもんで、テメェらに渡す金なんざ一銭たりとも持ち合わせてねぇんだよ」
それだけ告げると、蛍は躊躇なく契約書をビリビリに破り捨てた。
「「て、テッメェ〜〜〜!!!」」
ワナワナと拳を震わせる借金取り二名。ご愁傷様だ。
「逃げるぞ、ソラ!」
「は〜い」
蛍が奏楽の手を掴むと、二人は一斉にアパートの二階から飛び降りて、男二人から逃げ出した。
「待ちやがれ!!」
男の怒鳴り声が聞こえるが、待てと言われて待つ人間がどこにいる。
男達に追い付かれないよう走る中、蛍は内心今日何度目かの溜め息を溢した。
……はぁ……ったく、散々な誕生日だな。
別に何か幸せなことを期待していたわけではないが、蛍が朝起きてまだ数時間も経たない内にコレだ。
借金取りに絡まれて始まる誕生日など、一体どんな星の下に生まれれば経験する羽目になるのだろうか。
しかもこの分だと、今日の学校は遅刻確定だろう。
土萌蛍、不幸体質十六年目の朝が最悪の気分で始まった。