漁夫の利
蛍の掛け声に合わせて飛び出した莉一。
まずは蛍が“水壁鏡”を解除できるように、亜人の気を引き、奏楽から亜人を引き離さなければならない。
いくら攻撃しても奏楽から意識を逸らさない亜人を動かす方法は一つだ。
「ニャイチ!奏楽殿から亜人を引き離してください!」
「ニャー!!」
莉一がニャイチに命令をかける。
一声鳴いたニャイチは命令通り、亜人の元へと駆けていくと、亜人の横腹に突進した。信じられないことに、氷結銃やレーザー、反射攻撃にすら全く揺らぐことのなかった亜人の肉体が、たかだかぬいぐるみの突撃で一気に壁まで吹っ飛んでいく。
そう。どんな攻撃も眼中にないのなら、無理矢理力づくで動かせば良いのである。
「なっ!?」
思わず驚きの声が漏れる蛍。
あのフラッシュ状態の亜人が簡単に吹き飛んだ事実が信じられない。
だがしかし、吹き飛んだだけだ。
鉄でできた壁が凹む程強く激突した筈の亜人の身体には、擦り傷一つ付いていない。「飯ィ……飯ィ……」と虚ろな目で唱えながら、何事も無かったかのように平然と立ち上がっていた。
だが、そんなことは想定内である。
「蛍殿、今ですよぉ!」
「わぁってるよ!」
莉一の合図に、蛍が手で印を結んだ。
すると、奏楽達を囲っていた壁が一斉に消え、今度は蛍を囲むように十枚の水鏡が現れる。続けるように蛍がレーザーを水鏡十枚の内一枚に当てると、後は自動で十枚の水鏡を超スピードでレーザーが反射していく。
ここからがお互いの正念場だ。
レーザーの攻撃力が充分上がるまで、亜人を押さえなくてはいけない莉一と、込める星力量を増やし続ける為、並大抵の集中力以上を発揮しなければいけない蛍。
「莉一!五分だ!死んでも踏ん張れ!!」
「蛍殿こそぉ、へばんないでくださいよぉ!」
互いに煽りながら、それぞれ自分の役目を全うしようと表情をキリリと変える。
「飯ィ……飯ィ……飯ィイイイイ!!」
空腹からか、蹌踉ながら歩いていた亜人が、奏楽に向かって思いきり跳躍した。
「させませんよぉ!」
銃声が響く。
氷結銃により片足を凍らされると、空中でバランスを崩した亜人は、氷を粉砕しようと体勢を変える。
その隙を逃す莉一ではない。
「ニャイチ!」
「ニャー!!」
莉一の声に合わせてニャイチは思いきりジャンプすると、無防備な体勢になっている亜人へ本日二度目の突進をかました。そのまま亜人諸共、勢いよく壁に激突するニャイチ。
轟音と共に土煙が舞う中、ニャイチも亜人も無傷の状態で立っていた。
「……わかってたことですけど、本当に嫌になる程頑丈ですねぇ……」
莉一が堪らずぼやく。
ニャイチが頑丈なのは、異能で造られた生命体であって、本物の生き物ではないからだが、そのニャイチと同等かそれ以上の強度さを誇るフラッシュ状態の亜人に、莉一は嫌気が差して溜め息を一つ溢した。
しかし、流石の亜人も何度も奏楽への攻撃を邪魔されて怒ったのか、目の前に居たニャイチをガシッと片手で鷲掴みにする。
「ニャイチッ!」
「飯ィ……飯ィイイイイ!!!」
雄叫びと共にニャイチを力一杯投げ飛ばすと、目にも留まらぬ速さで亜人は莉一の目前まで迫っていた。
……速――……。
「グッ……ァアア!!」
「莉一ッ!!」
たった一発の拳で壁まで吹き飛ばされる莉一。咄嗟に腕が反応してくれた為、急所直撃は避けることができたが、凄まじい力の前に左腕は骨折、打った額からは少なくない血が流れ落ちていた。
「飯ィ……飯ィ……」
邪魔者が居なくなり、亜人はすぐさま身体の向きを奏楽へと変える。そのまま走り出そうとするが、片足が何かに掴まれていて動かせない。
「ニャーニャー!」
ニャイチだ。ニャイチが亜人の右足にしがみついて、亜人の動きを止めていた。
「ウゥ……ゥオォオオオ!!!」
到頭言葉すら言えなくなったのか、本能のまま咆哮上げた亜人が、蹴りでニャイチを振り払う。吹っ飛ばされたニャイチは天井にぶち当たった。
「ヴゥ……ヴゥ〜〜〜」
呻き声を漏らしながら、亜人は荒い息で奏楽を視界に入れる。
「ヴゥ……ォオオオオ!!!」
飢えた獣のように牙を剥き出しにして奏楽に勢いよく飛び掛かる亜人。
「ソラ!!」
蛍が思わず水鏡を貼り直そうとするが、それよりも莉一が亜人に体当たりする方が速かった。
「グッ……ウゥッ……ッ!」
全身が痛む中、馬乗りする形で上から全力で亜人の身体を莉一が押さえつける。そして、蛍の方へキッと目線を向けた。
「蛍殿はレーザーの方に集中しなさい!!」
「!!……わぁってるよ!!」
再び集中し直す蛍。
威力が充分に上がるまでもう少しだ。
「ヴゥ……ヴァアアアアア!!!」
「グッ……ッ!!」
莉一が顔を顰める。暴れる亜人の力が強すぎて身体ごと持っていかれそうになるが、それでもこの力を少しでも緩めれば、今度こそ奏楽が亜人の餌になる。莉一は奥歯を噛み締めて踏ん張った。
……えぇ、知ってましたよぉ……本能に負けた亜人の底力がどれ程強大で……それを押さえるのが、どんなに大変かなんて……。
莉一の頭の中に、亜人としての本能により暴走してしまった実花を、長時間押さえてくれていた奏楽の姿が思い浮かぶ。
確かに奏楽は現北斗七星で莉一よりも遥かに実力があるが、それでも強大な力を有する亜人を押さえるのは一筋縄ではいかない。それも互いに無傷で、だ。
だが、奏楽はそれをやってのけた。他でもない実花と莉一の為に。
……だったら、自分も……ここで亜人を食い止めることができなければ……。
「ッ……奏楽殿にも、蛍殿にも……そして実花にも!!合わせる顔がないんですよぉ!!!」
莉一の深緑の瞳に光が宿る。その瞬間、聞き慣れた銃声音が二つ、工場内に木霊した。
「ヴゥッ!!!」
「ウッ!!」
それぞれ、両手から来るキンとした冷たさに表情を歪める莉一と亜人。
二人の両手は氷によって、床に繋ぎ止められていた。
二人から少し離れたところでは、いつの間にか莉一の氷結銃を持っていたニャイチが銃口を二人の両手に向けている。
莉一が亜人に殴り飛ばされた時、氷結銃が壊されないように、ニャイチが受け取れる位置まで予め投げていたのだ。それを拾ったニャイチが、莉一の意図を汲んで、莉一諸共亜人を凍らせ動きを一瞬でも止めたのである。
「蛍殿!!」
莉一が蛍の名を呼ぶ。
丁度五分だ。
「ああ」と静かに応えた蛍は、ニヤリと口角を上げた。
「良くやった、莉一。そのまま押さえとけ」
蛍が手の印を結び変えると、レーザーを反射しながら十枚の水鏡がそれぞれ位置を変えていく。
……“水面鏡・反射線弾《極》”
蛍が唱えると、亜人と莉一の周りを囲むようにして陣取った水鏡を、ピンボールのように光速で反射していきながら、レーザーが最後の一枚を反射し、一直線に亜人の額目掛けて飛んでいく。
「行けぇええええ!!!」
「はい、そこまでです〜」
蛍の力強い掛け声を掻き消すように、フワフワと場違いな声が蛍と莉一の鼓膜を振るわす。
いつの間にか、蛍の放った強力なレーザーの一撃は何処かに消え去り、いつ目覚めたのかニコニコと笑っている奏楽が亜人の頭の上で立っていた。
「ソラ!?」
蛍が驚きの声を上げる。莉一も莉一で驚きの余り、身体から力を抜いてしまった。
「ウアッ!」
「ヴァアアアアアアア!!!」
チャンスを逃すことなく、莉一が力を緩めた隙に氷を粉砕し、莉一の身体を吹き飛ばした亜人が、奏楽に牙を向ける。
しかし、奏楽は全く焦ることなく、手に持っていた龍型の鉄パイプを一つ横に振るった。
……“龍鉄剣・竜盤圧魄”
奏楽の詠唱に合わせて、鉄パイプが龍の首のように伸びていくと、亜人の身体に巻き付き、亜人の勢いや力を殺して、そのまま亜人の身体を締め上げる。約十秒で亜人の気を落とすと、奏楽は異能を解除した。
正に瞬きする間の出来事である。
「ふぅ〜、これで一件落着ですね〜」
「……な、何が『一件落着』だ!!ソラ、お前いつから起きてた!!?」
あまりに突然の事態に、少しの間フリーズしていた蛍が、奏楽の呑気な声にハッと我に帰ると声を荒げた。
対する奏楽はフワフワした口調のまま「ついさっきですよ〜」と答える。
「本当か?」
「本当ですよ〜。ほたちゃんが、壁解除した辺りに目が覚めたんで、五分前で間違いないですね〜」
「つまり、一部始終見てたんじゃねぇか!!!起きてんなら、起きてるって言えよ!!!」
「えぇ〜、あの場でボクが起きちゃったら、ほたちゃんと莉一くんが仲良くなれそうな折角の雰囲気を壊しちゃうかもしれないじゃないですか〜」
「そんな雰囲気出してねぇよ!!つか、命が掛かってる状況でそんな悠長なこと言ってられねぇだろ!!!」
「ほたちゃんは恥ずかしがり屋ですね〜」
ワアワアと言い合う蛍と奏楽。蛍の方が正論ではあるが、残念ながら奏楽に正論は通用しない。
二人の戯れ合いのような口論を大人しく見守りながら、莉一は呆れからか、ついつい笑みが溢れる。
「あ、そうです〜。莉一くん」
「おい!話終わってねぇぞ、ソラ!!」
蛍の言葉をスルーして、構わず奏楽が莉一の前にしゃがみ込み目線を合わせる。
「さっきは助けてくれて、ありがとうございました〜」
ニコリと微笑む奏楽に、少し惚けた莉一は、一呼吸間を置いて、それから奏楽に釣られてフッと笑う。
「本当、飽きない人ですねぇ」
こうして、フラッシュ状態の亜人襲撃は一人の死者も出ることなく終わったのであった。
読んで頂きありがとうございました!!
蛍が放ったレーザー光線は奏楽が亜人に当たる前に斬り落としました。
文章じゃ伝わらないなと思ったので、ここで補完しときます。
ようやく、もうそろそろで莉一編が終わります。本当はもうちょっと早く終わる筈だったのに、グダグダ長くなってしまいました笑笑。
次回もお楽しみに。




