昨日の敵は今日の友
実花の瞳が静かに閉じられる。
穏やかな笑みを携えた安らかな表情だった。
しばらく俯いたまま肩を震わせていた莉一だが、顔を上げるとスッキリとした表情を奏楽に向けた。
「本当にありがとうございました。後、色々ご迷惑を掛けて……」
礼の後、謝罪の言葉が中々言えず、しどろもどろになる莉一。そんな莉一の様子に、奏楽は困ったように笑った。
「別に良いですよ〜。お礼も謝罪も。むしろ、勝手に首を突っ込んで謝るのは、ボク、らの……ほう…………」
「ソラッ!!?」
言葉の途中で急に意識を失った奏楽が、床に倒れる直前で蛍にキャッチされる。
「ソラ!?おい、ソラ!……寝てる?」
慌てて奏楽の名を叫ぶ蛍だが、どうやら奏楽は眠っているだけらしい。
一体何故と思ったところで、既に普段通りに戻った莉一が「ああ」と推測を話し始めた。
「恐らく先程の“共鳴”?とやらで星力を大量に使った反動でしょぉ。かなりの星力量使ってましたからねぇ。しばらくは起きないんじゃないですかぁ」
つまりはバッテリー切れという訳である。
奏楽に何ともないことがわかってホッと胸を撫で下ろした蛍は、そのまま眠っている奏楽を抱き抱えた。
「ったく、心配させやがって。はぁ、じゃあソラが起きるまでここで待機か……誘拐被害者の保護もしなくちゃいけねぇしな」
「それはそうと、先程の奏楽殿の能力、あれは何ですぅ?奏楽殿の異能って“龍装”でしょぉ?」
同じく実花の遺体を抱き抱えた莉一が、蛍に質問する。
奏楽の異能は、奏楽が触れている、動物以外のありとあらゆる万象に龍型の武装を施し武器を造るというもの。先程実花にやって見せた能力は、明らかに“龍装”とは別の能力だ。『星力鎧包』のように、異能とは別で、星力を使った術は色々あるが、それとも違う。
となると、奏楽の言う“共鳴”とは一体何なのか。
だが、莉一の質問に答える前に蛍はジトッと莉一を睨み付けた。
「……何でテメェがソラの異能知ってんだよ」
くだらない嫉妬である。
呆れた莉一は溜め息を一つ吐くと、何言ってんだと言わんばかりに眉根を寄せた。
「先代と当代の北斗七星の異能は、必ず星影高校で教えられるんですよぉ。万が一現場で北斗七星と共闘する時、邪魔にならないようにねぇ。……で、授業で習った話では、奏楽殿の異能に“共鳴”なんて効果は出てきません。アレは何だったんですかぁ?まあ、お宅が知ってればの話ですけどぉ」
「ぁあ?」
最後の莉一の余計な一言に蛍が反応を示す。喧嘩を売られたと思った蛍は「知ってるに決まってんだろ」と、声を荒げた。
「ソラは……ッ!?」
「!?」
蛍が話の途中で言葉を呑み込む。
蛍と莉一は同時に工場の天井へと意識を向けた。
刹那、轟音と共に天井を破壊して、二人の目の前に一体の亜人が現れる。
…………亜人!?…………。
心の中で二人同時に呟いた。
それもただの亜人ではない。
焦点の定まっていない目に、荒い息遣い。
フラッシュ状態の亜人だった。
「な、フラッシュ状態の亜人……」
莉一が緊迫した声を漏らす。フラッシュ状態の亜人など、莉一にとっては嫌な思い出しかない。
「チッ!守る対象が九人……厄介なタイミングで来てくれたなぁ、おい」
蛍が舌打ちと共に愚痴を吐く。
今この場には守るべき対象が、七人の誘拐被害者と眠っている奏楽、そして実花の遺体と合計九人居るのだ。対してその九人を守る騎士は、蛍と莉一のたった二人。
相手が一人と言えど、フラッシュ状態の亜人に対して、かなり厳しい状況だ。
「本当に……よりによって“北斗七星”殿が眠ったタイミングで来るなんて……最悪なんてものじゃないんですけどぉ」
莉一も文句を溢すが、そう悠長に感想を述べている場合ではない。
「飯ィ……飯ィ……ッ」
焦点が合ってない筈の亜人の瞳がギロリと奏楽に向けられた……その瞬間。
「ッ!!」
瞬きする間もない程の速さで、亜人が蛍の目の前まで、奏楽目掛けて鋭い牙の切っ先を向けていた。
反射的に奏楽を庇いながら亜人の突進を躱した蛍は、攻撃を避けた体勢からすぐさま蹴りのモーションに入る。
「俺のソラに手ェ出そうとしてんじゃねぇよ!!」
いつも通りの発言と共に、突っ込んで前屈みの体勢になっている亜人の横腹に蹴りを入れる蛍。
だがしかし……。
「ッ〜!?」
右足に走った電撃のような痛みに、思わず蛍は顔を顰めた。
……右足逝った!?
「馬鹿ですかぁ!!フラッシュ状態の亜人に生身で攻撃すれば、逆にこちらの身体が粉砕しますよぉ!?『星力鎧包』はどうしたんですぅ!?」
「そういうことは先に言え!!……生憎『星力鎧包』なんざ、まだやり方知らねぇから使えねぇよ!!」
「はぁあ!?貴方それでも星天七宿家の人間ですかぁ!?」
「うるせぇな!!土萌に戻ったのはごく最近なんだよ!!」
敵を前にして言い合う二人。
莉一の言う通り、骨にヒビが入ってしまった蛍の右足に対し、蹴られた亜人の方はピンピンしていた。
譫言のように「飯ィ……飯ィ……」と繰り返しながら、蛍の腕の中で呑気に寝ている奏楽をギラギラと見つめている。
亜人の様子に、本日何回目かの舌打ちを溢した蛍は「おい」と莉一を横目で見た。
「『星力鎧包』今教えろ!」
「はぁ!?」
「生身じゃ闘えねぇんだろ?俺の“水鏡”じゃ防御はできても、直接攻撃できねぇんだよ!」
蛍の“水鏡”の主な効果は“盾”と“反射”……完全な受け身型である。しかし受けてばかりでは、相手を倒せない。フラッシュ状態の亜人に体力切れは存在しないのである。
異能で攻撃手段がないのであれば、肉弾戦で対抗するしかない。
「そんな急に言われても……第一『星力鎧包』は教えたからと言って、すぐさまできるものじゃありませんよぉ!?」
「良いから教えろ……ウオッ!?」
再び凄まじいスピードで突進してきた亜人を蛍が躱す。
そのまま莉一の隣まで跳んで逃げると、蛍は抱いていた奏楽をソッと床に降ろした。
「実花をソラの横に寝かせろ」
「は?」
「……遺体を傷付けたくねぇだろ?一緒に水鏡のバリアの中に入れるっ言ってんだよ」
「!……」
蛍の意外な申し出に目を見開きながら、莉一は素直に奏楽の隣に実花の身体を横たわらせる。莉一が実花から離れたのを確認して、蛍は手で印を結んだ。
……“水壁鏡”
蛍が小さく唱えると、八枚の水鏡がそれぞれ壁のように一斉に誘拐被害者や奏楽達を囲った。
「……バリアの中に入れてくれるのは有難いですけど……貴方の水膜、本当に大丈夫なんですぅ?」
「……力技でどうにかしたけりゃ、俺の星力量を越えなきゃいけねぇ。あの亜人の星力量は俺以下だ。水鏡に突進しても弾かれて終い……つか疑う暇があんなら、さっさと『星力鎧包』のやり方教えろ」
額に青筋を立てながら教えを乞う蛍に、莉一は「本気か」と言いたげに眉を顰める。
「貴方先程から随分と簡単に言ってますけどねぇ、貴方が思ってるよりフラッシュ状態の亜人はかなり手強いんですよぉ?基本的に肉弾戦じゃぁ、自分ら貴人に勝ち目はありません。その上、自分らの異能は互いに攻撃向きの能力じゃない……本当に二人だけで勝てると思ってるんですかぁ?」
莉一が脅すように蛍に忠告する。
実際にフラッシュ状態の亜人と対峙したことがあるからこそ、彼らの恐ろしさは身に染みてわかっていた。
対する蛍は、今日が亜人との初実戦である。
いくら星天七宿家の人間、それも次期北斗七星候補と言えど、莉一が不安に思うのも当然だろう。
蛍には戦いの基礎が全く無いのである。
しかし、莉一の忠告を受けても蛍は鼻で笑うだけだ。
「だったら何だよ。俺はソラを護れるようになりたくて、土萌の家に入ったんだ。ソラならフラッシュ状態の亜人の一匹や二匹、簡単に瞬殺できんだよ。だったら……ソラを護れるようになりてぇなら……こんな亜人一匹くらいに負けてどうすんだよ!」
言いながら、しつこく奏楽を狙って水鏡に激突している亜人にレーザー光線銃を放つ蛍。残念ながらレーザーは亜人の身体を弾くだけで、一切ダメージを与えていない。
それでも蛍は微塵も焦りのない表情で莉一に顔を向けた。
「テメェはどうなんだよ」
「?」
「何でテメェはガーディアンになりたいって思ったんだ?勝てる可能性がなけりゃ、敵前逃亡すんのかよ?そんな奴が本当に命賭けれんのか」
「ッ!!」
蛍の言葉に莉一がハッとさせられる。
優しい訳じゃない。正義感が強い訳でもない。
そんな莉一がガーディアンになりたいと思った理由は……。
……『誰も傷付けたくないの』
実花の言葉が莉一の頭を過ぎる。
そう。莉一は実花の意志を受け継ぎたくて、ガーディアンになろうと思ったのだ。
フラッシュ状態の亜人にこのメンバーで勝てるかどうかはわからない。それでも、ここで逃げれば別の誰かが犠牲になる。
……そうなれば、実花が悲しみますよねぇ……。
莉一はフッと笑った。
そして、氷結銃を握り直すと亜人に銃口を向ける。
「お言葉ですがぁ、奏楽殿のことしか考えてないお宅と違って、自分は誰も傷付けない為なら、相手が誰だろうとどんな状況だろうと命賭けれるんですよぉ。大体、いつ誰が『逃げたい』なんて言いましたぁ?勝手なこと言わないで頂けますぅ?自分は『星力鎧包』も知らない素人に足手纏いになられるのが迷惑だって言っただけですわぁ」
「ほんっとにテメェは一々ムカつく奴だな」
莉一の嫌味にピクピクとこめかみを痙攣させる蛍だが、満足げにニヤッと笑うと同じようにレーザーの銃口を亜人へ向けた。
「闘るぞ、莉一」
「ええ、付き合いますよぉ……蛍殿?」




