ニャニーの正体
ビオトープに一人取り残された奏楽は、その場で静かに立ち尽くす。その静寂を掻き消すように、一つの電子音が奏楽のポケット内で鳴り響いた。
「もしも〜し、ほたちゃん?」
音の発信源である携帯を取り出し、画面も確認せず奏楽が電話に出る。
奏楽の予想通り、電話からは不機嫌そうな低い声音が聞こえてきた。
『……莉一が犯人じゃねぇこと、俺聞いてねぇんだが?』
挨拶もなしに開口一番蛍が告げる。
どうやら蛍は莉一が犯人ではないと奏楽から説明されていなかったようだ。
「あれ?そうでしたっけ?まあ、今言ったんで問題ないですね〜」
『問題しかねぇわ!!情報共有は最初からしろ!!』
反省の色もなくあっさり笑う奏楽に、至極真っ当な意見を蛍が返す。まあ、いくら言っても奏楽に響く確率は五割以下なので、蛍は溜め息と共に溜飲を下げた。
『それで?どうすんだよ。実行犯は別って言っても、実質莉一も犯人みてぇなもんだろ。さっさと捕まえて、もう一人の犯人の居場所吐かすか?』
これまた正論を述べる蛍だが、奏楽の方は納得いかないのか「う〜ん」と唸る。
「多分莉一くんは吐きませんよ〜。昨日もさっきも、莉一くんはその実行犯さんを庇うことだけに意識を向けてますからね〜」
『なら拷問すれば良いだろ?』
「否否、莉一くんは一組を一年間キープしてきたエリートですよ〜?拷問に屈する人が一組キープなんてできません」
奏楽に提案を否定され、蛍は面倒くさいことになったなと舌打ちを溢した。事実、実行犯の手掛かりが星力痕しかない以上面倒くさい捜査状況であることこの上ない。しかし、奏楽は一切焦りを見せることなく呑気に笑っていた。
「それにしても、ほたちゃんすら認める無愛想な莉一くんが庇う相手って、どれだけ素敵な人なんでしょうね〜?」
『ハッ、どうせ莉一と同じくらい可愛げのない無愛想な奴だろ』
「つまりほたちゃんと似てるってことですね〜」
『しばき倒すぞ?』
本当に事件を解決する気があるのかないのかわからない様子で軽口を交わす二人。
それでも、これからどうするかと奏楽が悩んだところで、一つの影が奏楽に近付いてきた。
「……あ、あの!!」
「!……君は……」
突然話しかけられて声の主へと振り返れば、滅多にない驚いた表情を奏楽は浮かべた。
様子の変わった奏楽に、電話の向こうで蛍が「おい、どうした」と心配している声を上げる。
だが、蛍の心配の声に言葉を返す余裕は奏楽にはなかった。
奏楽は声の主にゆっくり近付いていくと、一歩手前で腰を降ろし瞳を煌めかせる。
「ニャニーさん!戻ってきてくれたんですか〜!?」
声の主ことニャニーに目線を合わせた奏楽は、非常に嬉しそうな声を出しながらニャニーを抱き上げた。携帯のスピーカーからは蛍の呆れと安堵の混ざった溜め息の音が漏れている。
「どうしたんですか〜?何か忘れ物ですか?」
ニャニーを抱き抱えたまま奏楽が首を傾げれば、ニャニーは戸惑いながらも先程と同じように「あの」と人の言葉を発した。
「おねがいなの!お兄ちゃんを助けて!!」
「『!!』」
* * *
その頃、莉一は教室の自分の席へと戻っていた。次の授業の用意を済ませ、眉間に皺を寄せたまま机に突っ伏す。
莉一の頭の中をぐるぐると乱しているのは、先程の奏楽との会話だ。
……『莉一くんはきっと、とても優しい人なんですよね』
……『優しさとエゴを一緒にしちゃダメですよ?』
奏楽の言葉が永遠と莉一の脳内でリピートされ続ける。
小さく舌打ちを溢した莉一は、現実から逃げるように固く目を瞑った。
「……知ってんですよ、そんなことッ……」
* * *
「……“お兄ちゃん”ですか?」
奏楽が首を横に倒す。この場にいないが、電話の向こう側で蛍も同じように首を傾げていた。
『つうか、そもそもお前ら人の言葉話せんのかよ。てっきり話せねぇのかと』
蛍が電話越しにボソッと呟く。電話はスピーカーモードに変えてあるので、蛍の声もニャニーに届いていた。
「あ、あのね、イチちゃんは話せないの!イチちゃんはネコさんだから!わたしは違うの。だから話せるの。黙ってて、ごめんなさい」
『あ、否……別に怒ってる訳じゃ……』
ショボンと頭を下げてしまったニャニーに、珍しく罪悪感を感じた蛍がしどろもどろに返す。まるで幼女を相手にしてるみたいで、蛍は少なからず動揺していた。
「大丈夫ですよ〜、ニャニーさん。ほたちゃんが怒り口調なのはいつものことなんで、気にしなくて良いです。それよりもニャイチさんが猫で、ニャニーさんは違うって、どういうことですか?」
蛍と違ってフワフワと優しい口調で奏楽が尋ねると、ニャニーは少し落ち着いた様子で「えっとね」と説明を始めた。
「お兄ちゃんの異能は、ネコさんやイヌさんのココロをぬいぐるみさんや人形さんに移しちゃうの。だから、イチちゃんはネコさんのココロを入れられたから、ネコさんの言葉しか喋れないの!」
『…………』
要領を得ない説明に蛍が口を閉ざす。対して、奏楽は理解できたのか「なるほどです〜」とニャニーの頭を撫でていた。
つまり、莉一の“魂宿”は適当に莉一が魂を生み出して無生物に与えるのではなく、あくまで既存する別の生物の魂を無生物に与えているということだろう。
魂を与えられた無生物は、魂の元身体の人格が現れるので、猫の魂なら猫語しか話せないというわけだ。
人の言葉を話せるということは、ニャニーに入っている魂は人間ということだろう。それも話し方からするに幼い子供だ。
「じゃあ、ニャニーさんはもう一つ別に名前があるってことですか〜?」
「そうなの。わたし、実花って言うの!おねがいなの!わたしのお兄ちゃんを助けて欲しいの!」
実花と名乗ったニャニーは、再び真剣な眼差しで奏楽を見据える。その眼はぬいぐるみの無機質な瞳の筈なのに、確かに熱が篭っていた。
実花の真っ直ぐな視線を受けて、奏楽はニコリと微笑む。元来助けを求められて断れる程冷たい性格をしてないし、助けを求めて来ているのは奏楽が一目惚れした可愛いニャニー。奏楽の中に実花のお願いを突っぱねるという選択肢ははなから無かった。
「勿論です〜!ボクにできることなら、何でもしますよ〜!」
「本当!?」
「はい〜!」
『…………』
ニャニーがお願いをしてきた時点で絶対にこうなると予想していた蛍は、奏楽のお人好しに呆れながらも今更ツッコむことはしない。代わりに特大の溜め息を漏らすだけだ。
『……とりあえず情報共有するぞ。話はそれからだ』




