莉一と奏楽
「どうも~、莉一くん。やっぱりここに居たんですね~」
奏楽が莉一の背後からひょっこり顔を出す。
濃い転入初日から一日経った明くる日の昼休み。昨日と同じように、一目につかないビオトープの奥で莉一は一人佇んでいた。その傍にはニャイチともう一体のぬいぐるみが仲良く戯れている。
「……首突っ込むなら、権限を持ってこいって昨日言いましたよねぇ」
目線だけ奏楽へ向けながら、莉一が低い声を出す。そんなことお構いなしに、奏楽は莉一の隣に腰掛けた。
「権限ならちゃんと取ってきましたよ~、ほたちゃんが」
「は!?ど、どうやって……」
「梨瀬さんに頼んで、警察脅してきました~」
「……………」
あっさり言い放った奏楽の発言に思わず莉一は絶句する。有り得ない話ではないが、どう考えても現実的ではない。
「……わ、わざわざそこまでして首を突っ込みたい程の事件ですかぁ?」
呆れや驚きよりも理解不能といった表情を見せながら莉一は奏楽を見つめる。星天七宿家当主の権力を持ち出してまで突っ込む程、この事件を解決することにメリットがないのだ。
だが莉一の困惑とは対照的に、奏楽はフワフワといつも通り呑気な微笑みを浮かべる。
「そりゃあ勿論、事件に突っ込まないと友達になれませんからね~」
言いながら、奏楽はニャイチと遊んでいたもう一体のぬいぐるみに右手を差し出した。
「改めまして、初めまして~。春桜奏楽っていいます~。お名前教えて貰っても良いですか~?」
「ニャニャー!」
「ニャニーさんって言うんですね~。もし良かったらお友達になってくれませんか~?」
「ニャニャー!」
「うわぁ~、とっても嬉しいです~!」
穏やかに会話しながら、握手を交わす一人と一体。あまりに自然な自己紹介に惚けるが、すぐに莉一は「は?」と口を開いた。
「否、何の冗談ですぅ!?まさか、ニャニーと友達になる為に警察脅して来たとか言いませんよねぇ!?」
最もなツッコみを繰り出す莉一。しかし応えるのは非常識の塊である奏楽だ。奏楽はニッコリと老若男女が見惚れる微笑みを莉一に向けた。
「勿論、それだけじゃないですよ~。ニャイチさんとも、もっと仲良くなりたいですしね〜」
「…………土萌の彼も同じ理由なんですかぁ?」
「ほたちゃんですか?ほたちゃんはですね〜……莉一くんを殴る為だって言ってました〜」
「…………」
莉一が再び沈黙する。
奏楽の動機よりも理解はできるが、どちらにしろ星天七宿家が出張ってくる理由ではない。
全ての感情を通り越して、ただただ死んだ目で莉一は虚無を見つめた。
「殴る為って……そんなに苛つかせることしましたかねぇ、自分。まあ自覚はありますけどぉ……」
莉一がボソリと呟く。
まさか土萌の当主まで巻き込んでくるとは思わなかったが、自分の言い方が嫌味ったらしいことは自覚している。
わざわざ当主の権力を使ってまで仕返ししたい程、蛍のことを苛つかせてしまったのかと莉一は一つ息を吐いた。
だがしかし、莉一の呟きが耳に入った奏楽から「あ〜、それはですね〜……」と言葉を濁される。
「莉一くんに昨日、ボク一人で話しかけちゃったじゃないですか〜。それでほたちゃん、莉一くんに嫉妬しちゃったんですよね〜」
「…………」
何を言われたか理解できず、固まる莉一。
莉一の頭の中には疑問符が散乱していた。理由は簡単、蛍が莉一に嫉妬する意味がまるでわからないからだ。
「すみませんが、自分には一切理解できないんですけどぉ?何故昨日の会話すらまともにしてないアレで、おたくの彼が嫉妬するんですぅ?」
「いやぁ……ほたちゃん、ボクが自分の知らないところで誰かと二人きりになるの嫌いなんですよね〜。あの時はニャイチさんが居たんで、二人きりじゃないって言ったんですけど、『ぬいぐるみは一人に換算しねぇ』って言われちゃいまして〜……困った人ですよね〜」
奏楽が両手の平を空へ向けて、やれやれと首を振る。
「……否、それ自分に全く非がない気がするんですがぁ?そんな訳の分からない嫉妬で首突っ込む気ですぅ!?」
全く納得できない莉一。当たり前だが、そんなくだらない理由で首を突っ込んでほしくない。というか、訳の分からない妬みを受ける義理がない。話しかけてきたのは奏楽の方であるし、莉一にとっては巻き込まれ損のいい迷惑だ。
しかし相手は超マイペース姫、奏楽である。どれだけ自身の言ってる内容が理不尽であるかをわかっているのかわからない様子で「そうなんですよね〜」と頷いていた。
「ほたちゃん、ちょっと過保護なんですよ〜」
「そういう問題ですかぁ?」
莉一がまともなツッコみを入れるが、奏楽は膝の上に飛び乗ってきたニャイチとニャニーに意識が持っていかれたらしい。そのまま莉一をスルーして二体と戯れ始めた。
その様子を横目で見て、莉一は大きな溜め息を溢す。そして一つあることに気が付いた。
「ぬいぐるみを換算しないなら、この状況、土萌の彼に怒られるんじゃないですかぁ?」
莉一が尋ねる。
ニャイチとニャニーを除けば、間違いなくこの状況は奏楽と莉一の二人きりである。
バレたらどうするつもりだと、莉一は少しだけ奏楽から距離を取るが、奏楽はニッコリと笑みを浮かべた。
「大丈夫ですよ〜。ボクの制服の袖に盗聴器が仕掛けられてるんで、ほたちゃんにこの会話は全部筒抜けです〜」
「…………………」
絶句を通り越して最早時が止まる。
先程から突飛なことをあまりにも自然なトーンで奏楽が話す為、自分の常識が信じられなくなってしまう莉一。つまり頭の中でカルチャーショックが起きてしまったのだ。勿論ズレているのは奏楽達の方なので、莉一の感覚は全て正しいわけだが……。
「……盗聴は犯罪の筈なんですけどぉ……というより、仕掛けられてることがバレてる時点でもう“盗”聴じゃないのではぁ?」
フリーズから戻ってきた莉一が色々と言いたいことを飲み込んで、それだけ口にする。当然奏楽は呑気に「まあちょっとした誤差ですね〜」と返すわけだが。
完全に呆れた莉一は右手の甲を額に当て天を仰いだ。
「……貴方(方)、頭おかしいんじゃないですかぁ」
「褒めてくれてありがとうございます~」
「微塵も褒めてないですねぇ」
莉一の辛辣な物言いを華麗に受け流す奏楽に、莉一はもう一度溜め息を溢した。何を言っても無駄だと悟ったのである。
だが、莉一はいつの間にか強張っていた身体の緊張が解れているのを感じた。
「何でですかねぇ。貴方と話してると、気を張ってる自分が馬鹿みたいに思えてきましたわぁ」
自嘲気味ではあるが、初めて莉一が口角を上げる。
莉一の笑みに奏楽は自分も目尻を下げると「それはどうも〜」と礼を言った。
「ボクも莉一くんとお喋りするのは、とっても楽しいですよ〜」
奏楽がフワフワ告げれば、随分と雰囲気の穏やかになった莉一が柔らかな目を奏楽に向ける。
「そんなこと言ってきたのは、貴方で二人目ですよぉ。……あぁそう言えば、貴方は自分の異能を見た時もあの子と同じ反応だったんですよねぇ……」
「“あの子”?」
懐かしむように目を細める莉一に奏楽が首を傾げる。しかし、莉一からそれ以上何か言われることはなかった。
代わりに奏楽が口を開く。
「……ついでに聞いちゃいますけど……莉一くん、この一ヶ月間に起きた誘拐事件、あれは君の犯行ですか?」
ズバリ聞いた奏楽だが、その声の雰囲気は柔らかい。莉一も少しだけ目を伏せると、静かに笑って「そうですよぉ」と頷いた。
穏やかな空気が二人の間を流れる。
少しだけ二人共口を閉ざすと、奏楽はフッと笑った。
「……莉一くんはきっと、とても優しい人なんですよね」
「いきなり何ですかぁ?」
急な奏楽の発言に莉一は訝しむように眉を寄せる。構わず奏楽は続けた。
「でも優しさとエゴを一緒にしちゃダメですよ?」
「……だから何の話を……!」
要領を得ない奏楽の話に莉一が顔を振り向ける。
だが、莉一が言い終わる前に奏楽の声が被さった。
「事件の犯人……莉一くんじゃないですよね?」




