屁理屈vs毒占欲
教室の窓から人目につかないように飛び降りた奏楽は、人通りの全くない校舎間にあるビオトープを歩いていた。
理由としては蛍の言いつけを守る為だ。
その一、一人で廊下を歩き回らない。その二、校舎探検はしない。
この二つの約束を守る為に奏楽はわざわざ廊下を通らないよう窓から飛び降り、校舎内に入らないビオトープを歩いているのである。まあ蛍が言っていたことは一人で勝手に何処かへ行くなということであって、廊下を通らず校舎外なら何処へ行っても良いという訳ではない。勿論奏楽はそれを分かった上で、敢えて約束を破らないギリギリのラインを攻めている。
つまり蛍を揶揄って遊びたいだけなのだ。
「さてと、ほたちゃんに見つかるまで何しましょうかね〜」
人通りはないが手入れの行き届いた風景を眺めながら、意気揚々と進んでいく奏楽。
その時、奏楽の耳が何かの声を捉えた。
「……猫?」
奏楽が首を傾げる。
確かに猫みたいな鳴き声と青年の低い声が聞こえてきた。
だがしかし、この星影高校は亜人からの襲撃に備えて、学校周辺に結界が張られている。決まった人間以外は鼠一匹どころか、石ころ一つ入れない。青年はともかく、猫が迷い込んでくることは有り得なかった。
考えられるとすれば、誰かが異能を使って勝手に招き入れたか、元々学校の敷地内に住んでいる動物か。
そこまで考えて、奏楽は口角を上げた。
何か面白い予感がする。
面白いことには全力で乗っかるのが奏楽だ。
「行ってみますか〜」
* * *
一方その頃。
きっちり五分後に教室へと帰ってきた蛍が、教室内を見回して一人、扉前で突っ立っていた。
俯き加減なので表情は見えないが、その肩は微かに震えている。
そしてバッと勢いよく顔を上げると、ワナワナと引き攣るように口角を持ち上げて一言吐き捨てた。
「………あのヤロー………!!」
* * *
「ニャー!ニャー!」
「ちょっ!だから、あんまりはしゃぐなって何度言えばわかるんですぅ!?誰かに見つかったらどうするつもりですかぁ!?」
少し離れた木陰から奏楽が声の主を盗み見る。
そこには桜の木を背もたれに座っている一人の青年と、何と形容して良いかわからないモチーフのぬいぐるみが一体、親子のように戯れていた。
青年の方は星影の制服を着ているので、学生なのだろう。リボンの色は青。二年生だ。
常盤色の肩にかかる程ある髪を後ろで雑に縛り、深緑の瞳は青年の若さとは裏腹に精気をあまり感じない。目元には濃い隈があり、外出が少ないのか肌は不健康な白さだ。目が悪いらしく、眼鏡を掛けていても目付きが悪い。
見た目で判断するものではないが、ファンシーなぬいぐるみと戯れるには、かなり浮く容姿だ。
だが、奏楽はこの青年に見覚えがあった。
……えっと……確か同じクラスの……。
青年の名前を思い出そうとするが、そもそも相手から名乗られていないことに奏楽は気付く。
同じクラスでも学年が違えば、座学の授業は別々だ。今日の午前中は座学の授業しかなかった為、青年とはまだ一回も話していなかった。
……あの人の名前はわかりませんけど、それよりもあのぬいぐるみ……可愛いです〜!
奏楽が心の中だけでテンションを上げる。
普段は男として振る舞っている為抑えているが、実は奏楽は可愛いもの好きだった。
青年のことは何も知らないが、とりあえず青年のぬいぐるみが気になることは事実。
それなら本人に直接聞こうと、奏楽は青年の方へ背後から近づいて行った。
「ニャー!ニャー!」
「はいはい。わかったんで、そう引っ張らないでくださいよぉ」
猫(?)のぬいぐるみの挙動に気が取られているのか、全く奏楽に気付く気配のない青年。
気取られないまま、奏楽は到頭青年の真後ろまで近付くと、ニコッと笑みを浮かべて腰を折った。
「可愛いぬいぐるみですね」
「ッ!!??!」
耳元で突然話しかけられて、慌てて青年が飛び退く。一瞬で相手と距離を取り、流れるように臨戦態勢が取れるその反応は、流石一組の選ばれし貴人であった。
「あ、貴方は……」
完全に警戒している青年に対し、奏楽は曲げていた腰を戻すと、驚かしてしまったことを詫びる様子もなくニコリと微笑んだ。
「どうも〜。春桜奏楽です〜。その子、とっても可愛いですね〜。名前、何て言うんですか〜?」
「…………」
奏楽の質問に対して青年は無言を貫く。奏楽が興味を示しているぬいぐるみも、自身の背に隠した。
「…………ッ!」
「あっ」
そしてそのまま何も言わずにこの場から走り去ってしまう青年。奏楽は追いかけることもなく、その背中を見送った。
「……逃げられちゃいました……」
ポツリと呟くと、何でだろうと奏楽は首を傾げる。無言で逃げ出されるなど、亜人と対峙した時くらいだ。
「ボク、何かしちゃいましたかね?」
「おう。充分しでかしてるだろ」
奏楽の独り言に、地を這うような低い声で返事が返ってくる。
奏楽が声のした方へ振り向けば、般若も泣き出すレベルの形相を浮かべた蛍が怒りのオーラを纏ってズンズンと歩いてきていた。
「ソ〜ラ〜〜!!テメェ、あんだけ言ったのに、ことごとく人の言いつけ無視しやがって……覚悟できてんだろうな!?」
当てられただけで竦み上がってしまうような怒気を蛍が放つ。
それに対して奏楽は「あらま」と声を漏らすと、一切怯んだ様子もなく「お早いお着きですね〜」と悪戯っ子の笑みを見せた。
そんな相も変わらず呑気な奏楽の発言に、蛍の中で何かがブチッと切れる。
「何が『お早いお着き』だ!!一人で出歩くなっつってんだろ!!?約束してんだからそれくらい守れ!!」
「失礼ですね〜。ボク、約束は破ってませんよ?」
「ハァア!?」
怒鳴りつける蛍に奏楽が言い返せば、何ふざけたこと言ってんだと言わんばかりの反応を返される。
気にせず奏楽は口を開いた。
「ほたちゃんの言いつけ通り“廊下”は一人で歩いてませんよ」
「じゃあ廊下歩かずにどうやってここまで来たんだよ!?」
「窓から飛び降りました〜」
「……そもそも学校探検すんなっつったよな!?」
「ボクはそれ了承してませんね〜」
「は!?お前、わかったって言ったじゃねぇか!!」
「“校舎”探検はしないって言ったんですよ〜。ビオトープは校舎内に入りませんからね〜」
「…………俺以外視界に入れんなって言ったよな?」
「それも了承してないですね〜」
「……………………」
完全理論武装された奏楽は、確かに“約束”は何も破っていなかった。
マグマのようにグラグラと燃え上がっていた蛍の怒りは鎮火され、代わりに流水の如き静かな怒りが湧き出てくる。
「わざとやってんな?ソラ」
「ナンノコトカワカリマセ〜ン」
「棒読み止めろ」
額に青筋を立てた蛍は、奏楽の両頬をつまむと思いきり引っ張った。
「いひゃいれひゅ〜」
「痛くしてんだよ!!一人で出歩くな!!お前マジで反省しなきゃ、この次は縄で縛って監禁すんぞ!?」
「ほたちゃんは発想が物騒ですね〜」
頬を解放したと思ったら突然ぶっ飛んだ発言をする蛍に、奏楽がケロッと応える。奏楽が奏楽なら、蛍も蛍であった。
「お前本当にわかってんのか?」
「つまり、次やる時は縄抜け対策しなきゃってことですよね?」
いつものことながら、怒られているにも関わらずフワフワと雰囲気が変わらない奏楽に蛍が尋ねれば、人差し指を空に向けてビシッと答える奏楽。
ほんの一瞬時が止まったと思えば、蛍はビキッと額の怒筋を増やした。
「全然わかってねぇ!!一人になるなっつってんだよ!!俺の知らないところで有象無象にお前を見られんのが嫌だっつってんだ!!マジでわかんねぇなら、明日足腰立たなくなるまで……ッ!?」
「!」
蛍の言葉が途切れる。
すぐ背後に迫った敵意に、蛍は奏楽を咄嗟に抱きかかえてその場から飛び退いた。
「誰だ!?」
蛍が声を荒げる。
先程まで蛍が立っていた場所にクレーターができる程の蹴りを繰り出していたのは……。
「あ、さっきの猫さん!」
「……は?………」
猫もどきのぬいぐるみであった。




